いつも教師の立場で、様々な教材を紹介しているのですが、たまにはこんなのもあってもいいかなということで(^^) 写真も白黒で・・・いかにも古そう・・・高校時代写真部だったもので自分で現像するのが趣味でつい白黒写真で記録してしまいました。
私は、1985年4月~1988年3月まで、茨城県立土浦第一高等学校に現役高校生として在籍しておりました。(歳がバレバレですね。)一高では毎年6月はじめに文化祭(一高祭)が開かれています。当時から一高生達は一高祭のわずか数日のために、様々な委員会を自分たちで組織して1年間かけて準備をしていました。
その中で毎年一高祭当日、正門に姿を現すゲートは、わずか4~5万円という超低予算の中で、様々な工夫を重ねて当日にみなをあっといわせる門を作り上げるというものです。
このゲートづくりはこの高校の伝統になっていて。私が知らないぐらいですから、いつ頃からはじめられたものなのかも定かではありません。しかも、今でも 脈々と受け継がれ実に様々な形のゲートが毎年姿を現しています。先日、勤務先の中学校のコンピュータ室で進路指導用のリンク集のページを手直している時 に、母校のページをいろいろみていたら、歴代のゲートを紹介しているページの存在を知り、つい自分が設計したゲートを紹介したくなってしまいました。後輩 達のゲートもぜひみてやってください。→【ゲート委員会、歴代のゲート一覧へ】
私は3年間このゲートづくりに参加しました。1年生の時に、わがままをいって設計をさせてもらい、2年生の時には屋根(にせ入母屋づくり?写真のゲート です。)のあるゲートの設計に挑戦しました。3年の時には、後輩のみなさんがその骨格を手直しして雷門を仕上げてくれました。充実したゲート作成だったな~。
←この写真は、1986年6月の一高祭の時のゲートです。この年のゲートは、姫路の白鷺城の城門などの資料を自分たちで集めてアレンジして設計しました。 本物の1/40の模型を作って、ここをこうしようなどと煮詰めていったのを昨日のことのように思い出します。設営に半日、ここに建っているのはわずかに3日間です。一高祭が終わると次の年のゲートの材料に姿を変えていきました。
写真の1986年のゲートは、幅約6.5m、高さ約5.5m、奥行き約2.2mぐらいの大きさでした。
今もおそらくそうだと思いますが、建築工事用の足場がベースです。この時は、180cm×180cm×90cmの足場を6つ借りてきて、それぞれをパイプなどを組み合わせて金具で固定して一体化した後に、ベニヤ板にたるきをうちつけたパネルを取り付け、パネル同士と、足場との間を針金で固定しました。石 垣はペンキでつくったものです。
屋根の骨格には、9×9の柱材の廃材をもらってきて使い、かすがいやL字金具を使って固定しました。その他の部分はたる木やこわりで組み木をしてつくり ました。簡単に組み立てられるように、垂木をあらかじめ組み木加工しておき、足場の上に現場でくみ上げました。数日間壊れなければよいので、取り付けは全 て針金ですけど、肝心な部分の強度はけっこう真剣に考えてありました。かなりの風でも大丈夫だったはずです。真ん中に隙間があったりして屋根としては意味 をなさないハリボテなんですが、気分だけは本物の建物を建てている感じでした。
もともと、ものを作ることは好きだったのですが、たった数日間のためとはいえ、こんな大きなものを設計して時間をかけてみなで協力してつくるなんてことは、高校生のうちに誰もが経験できるようなことではありません。
現在中学校で技術科教師をしていますが、今にして思えばこの時おぼえた感覚が忘れられずにこの道を選んだのかもしれません。
今でもそうでしょうが、一高のすごいのは、この活動に全くと言っていいほど教師が関わっていないことです。自分たちで考え足場を貸してもらいに交渉にいったり、ペンキや材料を自転車で運んでいました。大変ですが、すごくおもしろいです。みなさんの学校(高校以上かな・・・)でもどうですか。
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