信越本線碓氷峠を越えた 鉄道車両 |
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鉄道線路は、一般的には30/1000(30パーミル・・・1000mごとに30m上ることを指しま す)でもかなりの勾配線区となります。しかし、信越本線の碓氷峠は66.7/1000でした。 このため旧・国鉄−JRの路線としては最も急勾配の線区であり、日本の鉄道技術の上でさまざ まな対策が採用された特殊な急勾配線区でした。 したがってこの区間で運転された鉄道車両にも、この区間のために専用に設計されたものが 数多くあります。それらの車両を紹介します。 ※旧線(アプト式)では、第1号隧道と第2号隧道間に最急勾配区間68/1000がありました。 |
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電気機関車 | EF63 EF62 |
アプト式電気機関車 | ED42 ED41 ED40 EC40(10000形) |
アプト式蒸気機関車 | 3900 3920 3950 3980 |
ディーゼル機関車 | TMC500A(DB201) TMC200B |
電車 | 489系 189系 169系 165系 115系(1000番台) 107系107形 106形(100番台) 185系200番台 |
気動車 | キハ57 キロ27 |
車掌車 | ヨ3500 |
2012年12月23日 撮影
旧・丸山変電所前に展示されていたEF63+189系 | 碓氷峠を通過するさまざまな電車・気動車用ジャンパ栓 |
1963(昭和38)年から、信越本線碓氷峠(横川〜軽井沢)が廃止された1997(平成9)年まで使用された碓氷峠専用の電気機関車。運転整備重量108t、1時間定格出力2550kw(1時間定格引張力23400kg)で、国鉄〜JRで最強の機関車。「峠のシェルパ」の愛称があり、通常は2両のEF63型機関車による重連総括制御により運用されていました。この区間専用の特殊な電気機関車で、力行時と制動時(ブレーキ)の粘着特性を向上させてあります。発電ブレーキ、組み合わせ制御の橋絡渡り、バーニア制御、機械式軸重移動補償、再粘着促進装置、電磁吸着ブレーキ、重連装置、列車無線などの特殊な装備を持っています。ここを通過する列車はすべてEF63が連結され、電車も協調運転ができるように特別に電気回路が変更された車両が使用されました(189系、489系、169系など)。また、客車(貨物)列車には信越本線の本務機として設計・開発されたEF62型機関車との3重連で運用されました。このためEF63は本務機であるEF62との円滑な協調運転ができるように設計されています。25両製造されました。
YouTube ->
・JR 横川運転区 一般公開 EF63解体展示 1987年10月18日
・信越本線 軽井沢駅構内の側線で待機するEF63(碓氷峠専用補助機関車)1996年11月3日
・信越本線 横川駅構内の側線で待機するEF63(碓氷峠専用補助機関車)1997年9月21日
・碓氷線(信越本線 横川〜軽井沢 間)を通過する列車 1996年11月4日
・碓氷線(ありがとう さようなら 碓氷線 1893-1997)1997年9月23日
・碓氷線(信越本線 横川〜軽井沢 間)を通過する列車 廃止3日前
手を振る機関士
66.7‰碓氷峠 〜急勾配に挑むEF63(TeichikuMusicChannel)
動態保存されている4両のEF63(11・12・24・25)
2012年12月23日 撮影
現在、EF63 11・12・24・25が動態保存、EF63
1・2・10・(13)・15・18・19・22が静態保存されています。
EF63 11・12・24・25 碓氷峠鉄道文化むら 動態保存
EF63 1・10・18 (財)碓氷峠鉄道文化むら 静態保存
EF63 2 軽井沢駅舎記念館 静態保存
EF63 15・19 JR東日本 長野総合車両センター 静態保存
EF63 13 2エンド側の前頭部 JR東日本 大宮総合車両センター 静態保存
EF63 22 個人所有 群馬県安中市松井田町坂本 静態保存
※機関車の形式表示で「E」は電気機関車、「F」は動輪数(Fは6つの動輪、Dは4つ、Cは2つです)、63は直流用で最高速度85km/h以上を示しています。
数字の表示は、10〜49が最高速度85km/h未満(10〜19が直流用、30〜49が交流・交直両用)、50〜89が85km/h以上(50〜69が直流用、70〜79が交流用、80〜89が交直両用)、90〜99が試作機関車を示しています。
KE77A形ジャンパ連結器(EF62-54)
189系・489系・169系電車およびEF62形電気機関車との協調運転を行うために、EF63に装備されているジャンパ連結器に電車のジャンパ栓を接続して、協調運転のための電気回路を接続させます。
信越本線の高崎〜長野間の電化に備え、上野〜長野間を牽引する信越本線専用(急勾配用)の本務機として開発されました。碓氷峠専用の補助機関車(補機)EF63形機関車と協調運転をはかるために引張力と速度性能を一致させて設計されています。また、発電ブレーキや列車暖房用の電動発電機などを搭載しています。「橋絡わたり」を国産電気機関車としては初めて採用しました。台車はC−C形台車を採用し、1つの台車に3軸の動輪をもつユニークな形式で、独特の走行音を出します。(EF63はB−B−B形台車)
その後、上野〜高崎〜直江津〜新潟(操車場)で運用されました。碓氷峠区間の貨物列車廃止や客車列車の減少によって余剰車両が増え、東海道本線の荷物列車の機関車として下関運転所に所属し、東京〜下関間でも運用されました。瀬戸大橋線で瀬戸大橋1000t列車走行試験にも使われています。EF62の最大軸重は16t、運転整備重量96t、1時間定格出力2550kw(1時間定格引張力23400kg)です。 54両製造されました。
この形式をもとにして、現在上越線や中央線など山岳路線の勾配区間で運用されているEF64形機関車が誕生しました。
現存保存されているものは、EF62-1 EF62-3 EF62-54
EF62 1 EF62 54 (財)碓氷峠鉄道文化むら
EF62 3 JR東日本 長野総合車両センター
YouTube ->信越本線横川〜軽井沢間 専用補助機関車EF63が碓氷峠を去る日(廃車回送 EF62 牽引)1997年10月8〜9日 撮影
EF62−49
アプト式ED41形機関車をモデルにして1933年から日立製作所、東芝、三菱、川崎車両で28両製造されました。1つの台車に1つの電動機が搭載される方式で、アプト式のラックレールと噛み合うピニオンをもつラック台車は歯車で動力を伝達し、粘着台車は歯車・連結棒で動力を伝えました。運転台とパンタグラフは横川側(第2端)のみで、運転室の右側が機関士席、左側が機関助士席で、逆の配置となっています。横川構内と軽井沢構内はパンタグラフから集電し、碓氷峠の急勾配区間は第三軌条から集電しました。軽井沢側に1両、横川側に2〜3重連で列車をはさむようにして連結されました。1963年7月のアプト式廃止まで運用されました。
最大軸重は15.95t、運転整備重量63.36t、1時間定格出力510kw(1時間定格引張力はラック区間14000kg、粘着区間9300kg)、電気方式は直流600Vです。
YouTube ->アプト式電気機関車 ED42 1 復活運転(碓氷峠電化75周年記念 1987年10月18日撮影)
信越本線横川〜軽井沢間電化75周年(1987 (昭和62)年)を記念して動態復元されたED42−1 |
第三軌条からの集電靴 |
ラックレールに噛み合う「ピニオン」 | 昭和9年製造 |
碓氷線75周年記念で修復されたED42−1が現在、碓氷峠鉄道文化むらに動態保存されており、またED42−2が長野県北佐久郡軽井沢町立東部小学校にも展示保存されています。ED42の電気方式は直流600Vであるため、動態復元されたED42−1は、現在の直流区間の架線電圧1500Vで運転できるように、車掌車内に抵抗器などを搭載し、ここで降圧して機関車に供給するようにしています。
電気機関車ED42 2 (長野県北佐久郡軽井沢町・東部小学校) 信越線横川〜軽井沢間の碓氷峠専用アプト式電気機関車、現存する2両のうちの1つ。 |
ED41
主要性能 機関車重量 70t 全長 9780mm 電気方式 直流600V 電動機 2個 1時間定格出力 470kW 最大運転速度 粘着運転区間 25km/h ラックレール区間 18km/h |
1919(大正8)年、国鉄大宮工場で製造された国産初の電気機関車(碓氷峠専用のアプト式機関車)。ドイツ・AEG(Allgemeine
Elektrizitaets Gesellschaft)社製のEC40(10000形)をモデルにして開発されたため、主電動機や機関車の構造、性能は良く似ています。
現存するED40−10(旧10020形)は、1947(昭和22)年に東武鉄道に払い下げされ、東武鉄道日光軌道線でほぼ原形に近い形で使われていたものを、1968(昭和43)年に国鉄大宮工場で復元したものです。これまで、JR東日本・大宮工場に保存されていましたが、現在は鉄道博物館(埼玉県さいたま市)に保存展示されています。
最大軸重は15.65t、運転整備重量60.7t、1時間定格出力470kw(1時間定格引張力はラック区間11400kg、粘着区間5700kg)、電気方式は直流600V。
準鉄道記念物
ED4010号電気機関車
ED40形(旧10020形)電気機関車は、国産最初の電気機関車で、当時の鉄道院大宮工場において1919(大正8)年から1923(大正12)年にかけて14両製造され、信越本線・横川〜軽井沢間(アプト式区間)で活躍した。横川〜軽井沢間は1912(明治45)年に電化されたが、最初はドイツのアルゲマイネ社製アプト式電気機関車(10000形、のちにEC40形と改称された。鉄道記念物として軽井沢駅構内に保存)を12両輸入し、これに充てた。その後、輸送量の増加に対応するため、機関車の増備が必要となり、これにかわる機関車の輸入を検討した。しかし、第一次大戦中のため輸入することができず、また、国内の電気車両工業会は、草創期でその能力もなかったので、自主製作をすることになった。この機関車は、その10番目に製造されたもの(大正14年製造)で、横川機関区に配属されて以来、23年間険しい山岳地において客貨車輸送の重責を果たし、その後は東武鉄道・日光軌道線に移され、1968(昭和43)年2月までの40余年間にわたる稼働に耐えてきた。日本の鉄道発達の歴史上、記念すべきものとして、生まれの地である大宮工場に長く保存することになり、1968(昭和43)年10月14日、準鉄道記念物に指定された。 東日本旅客鐵道株式会社 大宮工場
1912年に国鉄最初の電化区間である、信越本線横川〜軽井沢間に使うためにドイツ・AEG社(Allgemeine Elektrizitaets Gesellschaft)で製造・輸入されたアプト式電気機関車です。
3対の動輪をもつ台車は固定式で、動輪は連結棒で中間軸と主電動機の大歯車につながっており、ラックレールに噛み合うピニオン(ラック歯車)は、同じ方式で専用の主電動機と結ばれています。
運転室は輸入時には機関車両端に設置されていましたが、運用をはじめてしばらくしてから横川側のみになり、軽井沢側には蓄電池を搭載しました。集電装置も当初はポールと集電靴を使っていましたが、ポールはパンタグラフに変更されました。12両輸入され、1936(昭和11)年4月まで使用されました。
最大軸重は16.38t、運転整備重量46t、1時間定格出力420kw(1時間定格引張力はラック区間11000kg、粘着区間5500kg)、電気方式は直流600Vです。
現在、「旧・軽井沢駅舎記念館」に保存展示されています。
運転室と主幹制御器 | 主電動機 | 主電動機と動輪の連結棒 | |
YouTube ->10000形アプト式機関車(EC40)内部一般公開 1987年10月18日 碓氷峠電化75周年記念 |
※「10000形」について
逓信省鉄道庁は1909(明治42)年10月1日に機関車の形式番号を整理しました。これは、それまで登録順に番号がつけられていましたが、機関車の総数が1142両に達し、機関車の形式もわかるような型式番号に改めるために行われたものです。
電気機関車は形式番号が10000以上となり、アプト式電気機関車10000形(のちEC40)は日本で最初の電気機関車として登録されたことを示しています。
なお、蒸気機関車については、
タンク車(車体の一部に石炭と水を搭載) 1〜4999
B形(動輪2軸)1〜999
C形(動輪3軸)1000〜3999
D形(動輪4軸)4000〜4999
テンダー車(機関車本体とは別に炭水車を連結) 5000〜9999
B形(動輪2軸)5000〜6999
C形(動輪3軸)7000〜8999
D形(動輪4軸)9000〜9999
1892(明治25)年、アプト式蒸気機関車としてドイツから日本へ初めて輸入され、横浜港に到着したドイツのエスリンゲン(Esslingen)社製アプト式蒸気機関車4両は、新橋工場で組み立てられて横川へ回送されましたが、この機関車の型式番号は194、196、198、200でした。(この間にも機関車型式番号の変更は1895(明治28)年、1898(明治31)年に行われており、それぞれ126−500、128−501、130−502、132−505に変更されています) 1909年の型式番号の整理によって、3900形(C形タンク車を示す)となりました。
本邦最古のEC40形式電気機関車廃車記念乗車券(京福電気鉄道)1970(昭和45)年6月30日
1936(昭和11)年4月までに廃車となり、大宮工場へ保管されていましたが、1941(昭和16)年に京福電気鉄道へ4両が払い下げられました。のち、国鉄で保存することになり1両が大宮工場で復元されました。
アプト式蒸気機関車
3980
3950
3920
3900
信越線120周年で復活運転された特急「白山」 2005年10月15日 横川駅 (クハ489-1)
YouTube ->碓氷線(ありがとう さようなら 碓氷線 1893-1997)廃止3日前 丸山〜1号トンネル付近 1997年9月28日
EF63形機関車との協調運転ができるようにした、特急形直流電車。下の電車形式を示す写真にあるように、「・クハ189−505」「・モハ189−2」の表示の最初にある「・」は、信越本線
碓氷峠 横川〜軽井沢 間を通過できる対策を施した車両であることを示し、189系はEF63と協調運転もできる車両でした。
ここを通過する電車は、横川駅あるいは軽井沢駅に停車時に台車に取り付けられた「空気バネ」の空気を抜いてから、峠を通過しました。これは急勾配での車両間の「座屈現象」を防止するためで、バネが働かない分、ガタガタした振動になり多少乗り心地が悪くなります。峠を下る際(上り列車)には、軽井沢駅停車中に制動試験が行われます。
下の写真は、1999(平成11)年9月14日に、丸山変電所前に展示されていた、EF63形機関車と189系電車が横川駅4番線に戻されたときのものです。碓氷峠専用の補修用500形モーターカーに牽引され、ゆっくり峠を下ってきました。(この時500形モーターカーからブレーキ用圧縮空気がEF63へ供給されていました。)
YouTube ->
・特急「あさま」軽井沢〜横川 車窓(デッキ)1996年11月22日
・碓氷線(ありがとう さようなら 碓氷線 1893-1997)1997年9月23日
・碓氷線(信越本線 横川〜軽井沢 間)を通過する列車 廃止3日前
手を振る機関士
・1997年9月30日 信越本線 横川〜軽井沢 廃止前夜 最終列車
189系の一部は中央本線特急「あずさ」に使われています。 (1999年12月19日 新宿駅) |
信越線碓氷峠(横川〜軽井沢 間)が廃止されるまで信越線の特急「あさま」用の車両として活躍した189系が、 2001年9月30日に上野〜横川 間で臨時列車として運転されました。 (2001年9月30日撮影 信越線松井田駅付近) |
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2002年6月 「碓氷峠鉄道文化むら」に保存展示されている「クハ189−506」が 国鉄(JNR)当時の外観と塗色に復元されました。 |
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YouTube ->2013年5月4日 189系 特急「あさま」が信越本線 長野〜直江津 間で運転されました。
信越本線 関山駅〜妙高高原駅 間 2013年5月4日撮影
「大田切工事碑」の前を通り過ぎる 189系直流特急型電車 国鉄色
信越本線 関山駅〜妙高高原駅 間 2013年5月4日撮影
勾配線区用の急行形電車165系をベース車両として、碓氷峠専用補助機関車EF63からの総括制御を可能とした碓氷峠越えのために設計された車両です。これによってEF63形電気機関車と169系電車による協調運転ができるようになり、12両編成が可能となりました。(協調運転ができなかった165系では、EF63のみによる推進・牽引運転であったため165系は8両編成に制限されていました。)1968年から量産され、急行「信州」「妙高」「志賀」などで活躍しました。
169系は信越本線の横川〜軽井沢間を通過する際の牽引運転による連結車両数の制限を緩和し、輸送力を向上させるために165系をベース車両として、これにEF63形電気機関車との協調運転が可能な機能を追加した型式です。
169系が誕生するまで、信越本線碓氷峠を通過する165系には、連結器、台枠、台車などに横川−軽井沢間の急勾配区間対策の改造を施した車両(これらの改造が施された車両には、車体側面の車両型式表示に白い点がマーキングされています)が使われていました。しかし車両の強度を高めた改造のみであったため、横川−軽井沢間はEF63形電気機関車に推進または牽引され、電車そのものは力行しない無動力状態で走行していました。この165系を使った信越本線急行「志賀」は、1963(昭和38)年にアプト式の旧線が廃止され全面的に新線に切り替えられた10月1日に、それまで使われていた気動車に変わって運用が開始されました。それと同時に急行「信州」もデビューしました。1966(昭和41)年10月1日からは、信越本線長野−直江津間が電化されたことに伴い、急行「妙高」が気動車から165系の電車の運用に置き換えられました。1968(昭和43)年10月1日に上野−直江津間の信越線急行は全て169系となったため、信越本線に運用されていた165系の急行列車は姿を消し、普通列車などで運用されるのみとなりました。
169系は、横川−軽井沢間の急勾配区間対策として連結器、台枠、台車などの設計が変更されており、力行と抑速ブレーキをEF63形電気機関車と協調させることで、電気機関車付近の各車両間に発生する最大自連力を抑え、連結車両数を増やすことを可能にしました。協調運転時にEF63形電気機関車の出力特性と合わせるため、主制御器、主抵抗器が変更され、界磁制御も複雑になったため、界磁接触箱が新たに設けられました。また、全車両に協調運転用回路が引き通されています。これらの協調運転用回路とEF63形電気機関車の電気回路を接続するためのKE70型ジャンパ連結器が電気機関車と連結する横川側の先頭車両に増設されています。1968(昭和43)年10月1日から信越本線の急行列車として運用されるようになりました。
信越本線・碓氷峠(熊ノ平)付近を通過する169系の急行「信州」
1985(昭和61)年2月 軽井沢駅
現存する車両は、オレンジと緑のオリジナル塗装の1編成を含め3編成9両が、第三セクター「しなの鉄道」で定期列車として使われています。
(2013(平成25)年3月16日のダイヤ改正にともない169系は定期運用から離脱しました。)
第3セクター「しなの鉄道」へ譲渡され運用されていた169系電車
(2000年4月4日 軽井沢駅)
2010年11月20日 旧国鉄色(湘南色)で運転されたリバイバル信州号 軽井沢駅 (クハ169-19)
2012年3月20日、24日、25日、31日
長野電鉄 屋代線の廃止(2012(平成24)年4月1日)にともなって、しなの鉄道(旧 信越本線)軽井沢駅〜屋代駅間で急行「リバイバル 志賀」が運転されました。
急行「志賀」は屋代線を経由して上野駅〜湯田中駅間に運転されていました。
急行「信州」が軽井沢駅〜篠ノ井駅 間で運転されました。
2013年4月に引退する国鉄169系(湘南色)が「上野−長野」の表示で、しなの鉄道・軽井沢駅〜篠ノ井駅間で運転されました。
さようなら 169系 (旧 国鉄、JR、しなの鉄道 169系直流急行型電車)
165系は1963(昭和38)年から製造がはじまった国鉄の代表的な急行型直流電車です。
165系は、東海道線などの平坦地用に開発された国鉄初の新性能直流急行型電車である153系電車(「東海型」と呼ばれ、オレンジとモスグリーンの「湘南カラー」で親しまれてきました)を、山岳地域の勾配線区でも使用できるようにした型式です。そのため出力120kWの「MT54形」主電動機を搭載し(153系の主電動機は出力100kWの「MT46形」)、力行時の速度を任意に調整できるように弱め界磁領域でのノッチ戻し機能を持たせ、さらに下り勾配で空気ブレーキを使用せずに一定の速度を保てるように電気ブレーキによる「抑速ブレーキ」が装備されました。また、山岳勾配線区での運用を考慮して、車体や機器に耐寒耐雪設計が施されました。
こうして登場した勾配用の急行形電車165系は、上越線・新潟地区の電化により、上越線の急行電車用として、1963年から上越線へ新製投入され急行「弥彦」「佐渡」「越路」「よねやま」などに使われ、165系は「上越急行形」とも呼ばれた時期がありました。1964(昭和39)年からは信越本線の急行「志賀」「信州」に、1965(昭和40)年には中央本線の急行「アルプス」「穂高」などにも使われていきました。信越本線に使われた165系には横川〜軽井沢間の急勾配区間に対応させるため連結器、台枠、台車などに改造が施され、のちにこの区間に対応した169系が登場するまで運用されました。中央本線に使われた165系には、トンネルの高さが低いのに合わせて、パンタグラフ部分の屋根が低く設計変更されたものが使われました。その後、信越線急行「とがくし」、日光線急行「日光」、身延線急行「富士川」、飯田線急行「天竜」、中央西線「きそ」「つがいけ」、房総各線の急行列車用として運用されました。
※オレンジとモスグリーンで親しまれてきた車体の配色は、静岡のみかんに由来するとも言われていますが、開発に携わった国鉄車両設計事務所の黒岩保美氏によると、もともとは米国のグレート・ノーザン鉄道の特急「エンパイヤビルダー」の配色を参考としたもので、オレンジ色はもともとは赤味が強かったのですが、二次車から黄色味の強いオレンジ色に変更されたということです。
「・クモハ165-118」
信越本線碓氷峠(横川-軽井沢間)の急勾配区間に対応させるため連結器、台枠、台車などに改造が施された165系には「・クモハ165-118」などの車両形式表示部分に「・」がマーキングされています。碓氷峠専用の169系・189系・489系にはすべて「・」の表示がありますが、165系では、碓氷峠で運用されない車両には「・」の表示がついていません。
165系をベース車両として、修学旅行団体列車用に室内設備、ドアのサイズ、車体塗色を変更した167系、国鉄では日本で最も急勾配である信越本線碓氷峠の横川〜軽井沢間(66.7パーミル)でこの区間専用の補助電気機関車EF63と協調運転(この協調運転によってそれまで8両編成が限界でしたが12両編成が可能となりました)ができるように回路などを変更した169系が誕生しました。
165系の製造(新製)は1963(昭和38)年2月〜1970(昭和45)年8月まで行われ、総計701両が製造されました。165系とその姉妹形式である167系(79両)、169系(81両)を合わせると、総計861両にも及び国鉄の代表的な急行型直流電車となりました。
2003年5月24日・25日
165系を使用したリバイバルトレイン 懐かしの急行列車
急行「妙高」
2003年5月24日・25日に上野−横川間で運転されました。
すでに信越線・横川−軽井沢間が廃止されたため、「上野−直江津」ではなく「上野−横川」の運転となりました。
165系を使った信越線急行「妙高」は、1966(昭和41)年10月1日から1968(昭和43)年9月30日まで運転されていました。
1966(昭和41)年10月1日に信越本線長野−直江津間が電化されたことに伴って、上野−直江津間がすべて電化され、急行「妙高」がそれまでの気動車から165系電車の運用に置き換えられました。1968(昭和43)年10月1日からは169系が信越本線の急行列車として運用されるようになり、急行「妙高」もEF63形電気機関車との協調運転が可能となり、それまでの165系8両編成から169系12両編成へ置き換えられました。その後1985(昭和60)年3月14日からは急行「妙高」は夜行列車となり、1986(昭和61)年11月1日には特急「あさま」と車両の運用が共通化されて169系から特急用車両の189系となりました。
2003年6月14日・15日
(2003年6月15日 信越線・横川駅)
旧・国鉄時代の1963(昭和38)年から急行列車として40年間走り続けてきた165系が2003年6月末で廃車となるため、この165系車両を使用した「さよなら165系」が2003年6月にJR東日本の信越線、吾妻線、上越線で運転されます。2003年6月14日と15日には「急行 さよなら165系 信越号」が上野〜横川間で運転されました。6月15日を最後に、165系は信越線高崎〜横川間から姿を消すことになりました。
1996年当時、信越本線 高崎〜中軽井沢 間には185系を使った普通列車が運転されていました。
下り…高崎20:58発 軽井沢行
上り…中軽井沢6:37発 高崎行
YouTube ->碓氷線(信越本線 横川〜軽井沢)1996年 横軽対策車両
185系200番台
・1997年9月30日 信越本線 横川〜軽井沢 廃止前夜 最終列車
115系1000番台は、信越本線・上越線などの寒冷降雪地域向けに、耐寒耐雪設計となっています。
製造:1977年(昭和52)〜1982年(昭和57年)
YouTube ->
・信越本線 松井田〜西松井田 間 上碓氷川橋梁・妙義山 115系1000番台 (2015年6月24日 撮影)
・115系1000番台 高崎車両センター T1090編成(兼
訓練車)2015年7月12日
・信越本線 西松井田駅 115系1000番台(2015年6月24日 撮影)
・信越本線 高崎〜横川 115系1000番台 2015年6月7日 撮影
・がんばれ! 115系1000番台(JR東日本 高崎車両センター所属)
2016年9月14日 撮影
107系は、直流急行形電車165系の廃車発生品となった主電動機・台車・補助電源装置(電動発電機)・ブレーキ制御装置・空気圧縮機・冷房装置などの主要機器を再利用して製造された直流通勤形電車です。107系100番台は、信越本線碓氷峠(横川-軽井沢間)の急勾配区間に対応させるため連結器、台枠、台車などに改造が施されています。
YouTube→がんばれ! 107系100番台(JR東日本 高崎車両センター所属) 2016年9月18日 撮影
キハ57 キロ27
気動車
気動車用の標準台車「DT22形」「TR51形」の「ブレーキてこ」が、信越本線 横川〜軽井沢間のアプト線に敷設してあるラックレールに構造上接触してしまうため、この区間を通過できるように設計された車両形式です。台車に空気ばねが採用されています。
1961(昭和36)年7月に急行「志賀」「丸池」として上野〜長野・湯田中で運転されていました。1963(昭和38)年に信越本線 横川〜軽井沢間のアプト線が廃止され、また長野駅まで電化されたため165系電車に変わりました。
上信越自動車道・上り線 横川サービスエリア内にある「おぎのや」には、「横川駅メモリアルコーナー」として1958(昭和33)年に「峠の釜めし」発売当時の国鉄・横川駅が再現されています。このコーナーに気動車「キハ57」の急行「志賀」を展示し、車内で食事ができるようになっています。(昭和36年〜昭和38年当時というのが正確といえます。)
信越本線・高崎操車場〜直江津 間の貨物列車で専用に使用された車掌車です。(「信越本線・碓氷峠に貨物列車が走っていたころ」はここをクリック) 戦後初めて設計された車掌車で、1952年から1958年までに1345両が製造されました。ほとんどの「ヨ3500」が運転速度向上のため2段リンクに改造(〜1968年)され「ヨ5000」となりましたが、信越線横川〜軽井沢区間用の車両は改造されずに使用されていました。
「碓氷峠鉄道文化むら」には、ヨ3500緩急車(ヨ3961)が1両保管されています。碓氷線75周年記念で修復されたED42−1が架線電圧直流1500Vで運転できるように、このヨ3500車掌車内に抵抗器などを搭載し、ここで600Vに降圧して機関車に供給するようにしていたものです。現在(2002年6月)は車内に搭載されていた抵抗器類は撤去されています。また老朽化も著しく、対策が望まれます。
500型モーターカー
(碓氷峠専用保守用車両)
おもに信越本線碓氷峠の急勾配区間の保線用に使用された、強力なモーターをもつディーゼル機関車です。現在は2両が「碓氷峠鉄道文化むら」で、展示車両等の入換用に使用されています。下の写真では、EF63形機関車側に連結されている車両が500形モーターカーです。
TMC200B | TMC500A |
軌道モーターカー TMC500A |
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製造番号:No.10 製造年月:1975(昭和50)年3月 製造所:富士重工業 |
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牽引・速度性能表 | ||||
線路勾配 | 牽引重量(TON) | 速度(KM/H) | ||
単車走行 | 牽引走行 | |||
水平線 | 200 | 45以上 | 45以上 | |
66.7/1000 | 25 | 12以上 | 10以上 | |
66.7/1000 (降坂平衡速度) |
25 | 10以上 | 12以上 |
軌道モーターカー TMC200B |
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製造所:富士重工業 製造番号:No.221 製造年月日:1971(昭和46)年 |
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牽引・速度性能表 | ||||
線路勾配 | 積載荷重(t) | 牽引重量(t) | 速度(km/h) | |
単車荷重 積載時 |
荷重積載及 重量牽引時 |
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水平線 | 2.5 | 160 | 50 | 45 |
10/1000 | 2.5 | 110 | 50 | 20 |
25/1000 | 2.5 | 60 | 45 | 15 |
信越線碓氷峠の廃止(1997年9月30日)にともなって、「碓氷峠鉄道文化むら」で車両や線路等の運搬用ディーゼル機関車として使用されていた碓氷峠専用の保線用モーターカー「TMC500A」が、2001年10月14日の「鉄道の日」にちなんで旧・丸山変電所までの区間(25パーミル勾配区間の約2km)で試乗運転されました。「DB20形ディーゼル機関車」の1号機(DB20 1)として保守用車両の黄色塗装からディーゼル機関車の標準塗装(赤と灰色)に変更が施されました。