産業技術遺産探訪 2010.4.29.|2010.5.15.|2010.6.27.|2013.5.4.

大田切工事碑

信越本線 妙高高原駅(旧田口駅)〜関山駅 間

新潟県妙高市坂口新田 大田切川

 信越線の関山駅〜田口駅(現在の妙高高原駅)間6.4kmの建設工事を請け負った鹿島組は、この区間で79人の殉職者(63人は明治19年夏に流行したコレラによる病没、16人は築提の土砂崩壊事故による)を出してしまいました。碓氷峠(碓氷線)とともに信越線の最難関工事と言われた大田切を含むこの区間は、1888(明治21)年5月1日に開通しています。1900(明治23)年に、鹿島組長の鹿島岩蔵は、「大田切工事碑」を建立し、難工事の概要と殉職者名を碑に記録し後世へ遺しています。

碑の裏には殉職者の出身地と名前が記載されています。
大田切工事による築堤(約30万立方メートル)
施工基面までの高さ36m、長さ80m
大田切川の通水隧道
断面約7.6m×7.8m(幅25ft、高さ28ft)、長さ約95m(312ft)


大田切工事の築堤付近を通過する信越本線の普通列車
大田切工事碑は電車の左端付近にあります。築堤の下部に大田切川の通水隧道があります。
国道18号 妙高大橋から撮影


「大田切工事碑」の前を通り過ぎる 特急「あさま」(189系直流特急型電車)
信越本線 妙高高原駅〜関山駅 間  2013年5月4日撮影


付近には開通当時に使われていた「坂口新田隧道」が残っています。



妙高山を水源とする大田切川に侵食されて深い渓谷となっています。
旧道は谷底を通っていますが、現在の国道18号や上信越自動車道は大規模な橋梁で谷を跨いでいます。

地名「田切」について(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)


産業技術遺産探訪  技術科@スクール