産業技術遺産探訪 2004.1.12.
旧 中川煉瓦製造所ホフマン窯
旧 中川煉瓦製造所本店
明治末?竣工
1916(大正5)年には既に稼働
滋賀県近江八幡市船木町5番地
旧・中川煉瓦製造所は旧社名「湖東組」で、現存するホフマン窯によって明治末頃から1967(昭和42)年6月まで煉瓦を焼成していました。1967(昭和42)年秋から1969(昭和44)年暮れまでは屋根瓦を焼成していました。
旧 中川煉瓦製造所ホフマン窯
33mの煙突
旧・中川煉瓦製造所のホフマン窯は長方形で、日本煉瓦製造・6号ホフマン窯(1907(明治40)年5月築造、埼玉県深谷市大字上敷免89番地)と同じ形をしています。
このホフマン窯は、窯の中に乾燥後の素地を最高19段積むことができ、投炭口間を1本として2500本あり、反時計回りに焼成し、15〜17日でホフマン窯を一周したということです。
旧 中川煉瓦製造所本店
かつては湖上交通の要衝だった八幡堀が、旧・中川煉瓦製造所の横を流れています。この八幡堀の舟運を利用して、煉瓦製造用の材料や製品となった煉瓦を運んでいたということです。
現存する煉瓦建築
操業当時は、焼成前の材料を成型した煉瓦の乾燥場が多数あったということです。
現在、旧・中川煉瓦製造所ホフマン窯は、隣接する「社会福祉法人一善会・赤煉瓦の郷」が管理しており、見学の受付は事務所で行っています。
JR東海道線(琵琶湖線)・近江八幡駅から「野ケ崎」行き湖国バス「小姓谷」下車
日本国内に現存する「ホフマン式輪窯」
旧・日本煉瓦製造会社・ホフマン式輪窯〜六号窯
1907年(埼玉県深谷市上敷免)
旧・神崎煉瓦(京都竹村丹後製窯所)ホフマン式輪窯
明治末〜大正頃?(京都府舞鶴市西神崎)
旧・中川煉瓦製造所(湖東組)ホフマン式輪窯
明治末頃?(滋賀県近江八幡市船木町5番地)
旧・下野煉化製造会社・ホフマン式輪窯〜東窯
1889年(栃木県下都賀郡野木町)