産業技術遺産探訪 2000.8.31.
Hoffmann style ring kiln of old Shimotsuke
Brickyard
旧・下野煉化製造会社・ホフマン式輪窯
1889(明治22)年築窯・1890(明治23)年6月15日操業開始
1979(昭和54)年2月・国指定重要文化財
栃木県下都賀郡野木町大字野木字大手箱3324−1 ロイヤルホースライディングクラブ内
旧・下野煉化製造会社・ホフマン式輪窯は1889(明治22)年築窯、1890(明治23)年6月15日操業開始し、1971(昭和46)年まで82年間にわたって煉瓦製造に使用されてきたものです。現存するこのホフマン式輪窯は、旧・下野煉化製造会社構内の東西に2基あった窯の内、東窯といわれていたもので、16室の窯が16角形に組み合わされており、周囲は約100メートル、煙突頂点までの高さは約31メートルの煉瓦構築物と木造軸組からできています。
ホフマン式輪窯による煉瓦の製造について
このホフマン式輪窯は、 ドイツ人ホフマン(Hoffmann)が1858年に考案した赤煉瓦製造の焼成窯で、当時の最新鋭連続焼成窯であり、蒸気機関に連結した土練機、素地成型機等の新鋭機械を用いた大量生産に適したものでした。
旧・下野煉瓦製造会社での煉瓦製造に必要とされる原料は、隣接する広大な渡良瀬遊水池(当時、谷中(やなか)村が存在した)から採取された良質で豊富な原料用粘土と川砂を使用していました。
このホフマン式輪窯での焼成方法は、1窯の煉瓦を焼成するのに約1昼夜半(焼成温度は約1100度)かかり、16窯ひとまわりすると1室あたり約1万7000本、16窯全体で約27万2000本の大量の煉瓦を焼成することができ、月間生産量は約40万8000本に達したこともあります。このように煉瓦を大量生産することができるホフマン式輪窯ですが、当時は連続操業をすべて人手に頼っていたため、厳しい労働条件下での作業でした。
製造方法は、一定割合に調合した原料を土練機で練り上げ、それを素地成形機で煉瓦状に成形し、自然乾燥させて素地を作ります。
この素地を輪窯の下部にあるトンネル(焼成窯)の一室に井桁状に積上げ(窯詰めという)、焼成室の上部の投炭孔から小塊炭を投下して焼成し、焼き上がった製品を冷却し、窯出して完成となります。
この焼成窯は、16室に仕切られ、輪状の構造になっています。一室を焼成する余熱を利用し、次室の素地を乾燥、加熱してゆくという仕組になっており、
「窯詰」→「余熱」→「焼成」→「冷却」→「窯出」
のサイクルが連続してできる合理的で熱効率の良い方式で、長期にわたる連続操業が可能な窯でした。
窯の入り口部分 | 輪窯の16室は「第1号」から「第16号」が時計まわりに並んでいます。」 | |
窯の内部 | ||
ホフマン窯の煙突 | 煙突の基部 | 煙突の頂部 |
窯の屋根裏部分(中央は煙突) | |
窯の上部 | |||
窯の上部には投炭孔が並ぶ | 炭を投炭孔へ運ぶトロッコのレール | 投炭孔 | |
当時の構内には運河が引き込まれ、完成した製品は、渡良瀬川、利根川、江戸川等の河川を利用して、船舶により主に東京方面へ運搬されたり、多数の馬車に積込まれ各地に運搬されていきました。その後、鉄道や自動車の発達により輸送方法が変わりましたが、かつては高さ約31m周囲約100mの雄大な輪窯を背景に多数の馬が往来し、高瀬舟の帆影や、櫓音で賑わいを見せていたと言われています。
下野煉化製造会社
明治維新による文明開化は、多くの建造物に赤煉瓦(日本では耐火レンガである白煉瓦がはじめに製造されます)が使用されました。現存する当時の日本を代表する建造物に赤煉瓦が使用されており、その面影を見ることができます。明治政府は1886(明治19)年に臨時建設局を設置して、官公庁関連の建造物の近代化に着手します。ここでの計画に赤煉瓦の大量生産が必要とされました。
こうした時代の要請に伴い、1888(明治21)年10月に下野煉化製造会社(現在の株式会社シモレン)が創立され、1889(明治22)年にこの赤煉瓦焼成用のホフマン式輪窯がつくられ1890(明治23)年6月15日に窯に火が入り操業を開始しました。
(ホフマン式輪窯を用いた煉瓦製造会社として、1887(明治20)年に日本煉瓦製造会社(埼玉県・深谷)が設立され、ドイツ人技師チーゼとエーメーの指導の下に、1888(明治21)年にホフマン式輪窯を稼働させています。)
この地に煉瓦製造工場がつくられたのは、隣接する渡良瀬川から豊富で良質な煉瓦の原料となる粘土や川砂が採取できたことや、製品としての煉瓦の輸送に渡良瀬川の水運を利用できたことによります。
下野煉化製造会社のあった敷地は、現在は乗馬クラブになっており、
ホフマン式輪窯もこの乗馬クラブ内にあります。上の写真(右)の煙突
は、現存するホフマン式輪窯の煙突です。
日本国内に現存する「ホフマン式輪窯」
旧・日本煉瓦製造会社・ホフマン式輪窯〜六号窯
1907年(埼玉県深谷市上敷免)
旧・神崎煉瓦(京都竹村丹後製窯所)ホフマン式輪窯
明治末〜大正頃?(京都府舞鶴市西神崎)
旧・中川煉瓦(湖東組)ホフマン式輪窯
明治末頃?(滋賀県近江八幡市)
旧・下野煉化製造会社・ホフマン式輪窯〜東窯
1889年(栃木県下都賀郡野木町)
現在も稼働しているホフマン式輪窯(海外)
二和産業株式会社
1964年(大韓民国・京畿道広州郡東部邑望月里・・・ソウル郊外)
※2基のホフマン窯のうち北側の窯(長さ115m、幅13m)が稼働中で、
南側の窯は1984年から休止しています。