産業技術遺産探訪 2000.6.17./2003.10.2.

旧・日本煉瓦製造会社・煉瓦製造施設
旧・日本煉瓦製造会社事務所
(日本煉瓦史料館)
1888(明治21)年竣工・国指定重要文化財
Hoffmann style ring kiln No.6 of Nihon Renga Seizo Co.,Ltd
ホフマン輪窯六号窯
1907(明治40)年5月竣工・国指定重要文化財(1997(平成9)年5月29日指定)
旧・変電室
1906(明治39)年頃竣工?・国指定重要文化財(1997(平成9)年5月29日指定)
備前渠鉄橋

(深谷上敷免間鉄道)1895(明治28)年竣工
国指定重要文化財(1997(平成9)年5月29日指定)
設計:チャールズ・アセトン・W・ポーナル(鉄道院技師・英国人)
ポーナル型プレート・ガーダー橋(橋桁:I字形鋼板)
15.7m(約50フィート)

埼玉県深谷市大字上敷免89番地 日本煉瓦製造株式会社・深谷事業所内

 明治政府は国の各庁舎建設建設計画のために、ドイツ人建築家のエンデとベックマンをお雇い外国人技師として1886(明治19)年に日本へ招きました。来日したベックマンは、各庁舎を煉瓦造で建設し日比谷一帯に集中させることを計画しました。そして、建物の設計だけではなく、煉瓦工場も必要であることを指摘し、煉瓦を大量生産できる工場の建設を明治政府に進言します。これがきっかけとなり、1887(明治20)年にドイツの技術を導入して「日本煉瓦製造会社」が設立されました。
 この会社に着任したドイツ人技師のチーゼとエーメが、近代的な機械による煉瓦の大量生産を指導します。のちに、ホフマンが設計・作図した設計図を購入し、ホフマン式輪窯を建設しました。現存する楕円形をした「旧・六号窯」は、現在、国の重要文化財に指定されています。

旧・事務所(日本煉瓦史料館) ホフマン輪窯6号窯 旧・変電室 備前渠鉄橋

ホフマン輪窯六号窯
1907(明治40)年5月竣工・国指定重要文化財(1997
(平成9)年5月29日指定)

  ドイツ人の窯業(ようぎょう)技術者フリードリッヒ・ホフマンが考案した大量生産用の煉瓦焼成窯(しょうせいがま)です。 全長56.5m、幅20m、高さ3.3mの総煉瓦構造です。
  内部には18の焼成室があり、各室に煉瓦の搬出入口、燃料の石炭投入口、排煙口が設置されています。 この焼成室を窯火が巡りながら常時煉瓦を焼成することにより、月産約65万個の煉瓦生産高を実現していました。燃料の石炭は1日あたり約6tで、投炭坑の数は各室35あり、18室の合計は630にもなります。1つの焼成室に1万8000個の煉瓦が収容できるため、18室で32万4000個を焼成することができました。
  竣工当時には、窯は地上3階の木造上屋(うわや)に覆われ、二階は燃料投入室、3階は煉瓦乾燥室とされていました。 本窯は明治40年頃に建造され、昭和43年までの約60年間生産を続けていました。 現在上屋は撤去されたが、残った柱材、二階床面と燃料搬入用のトロッコレールが操業時の様子を伝えています。 煙突も当初煉瓦構造でしたが、関東大震災により倒壊し、現在の鉄筋コンクリート構造となりました。

ホフマン輪窯(6号窯)復元模型 縮尺 1:100

旧・日本煉瓦製造会社事務所
(日本煉瓦史料館)
1888(明治21)年竣工・国指定重要文化財
(1997(平成9)年5月29日指定)

 1888(明治21)年頃の建設で、煉瓦製造施設の建造と煉瓦製造技術の指導に当たったドイツ人、ナスチェンテス・チーゼ技師が住居兼工場建設事務所として仕様したと伝えられています。 地元の人々からは「教師館」「異人館」の名で呼ばれていました。
 日本煉瓦製造株式会社は、明治政府が計画した洋風建築による官庁街建設を推進するため、煉瓦を大量供給する民営工場として、渋沢栄一らが中心となって設立した会社です。工場建設地は、当時政府に招かれていた建築技師ウィルヘルム・ベックマン、ナスチェンテス・チーゼらのドイツ人技術者の指導により選定され、良質の原土を産出し、水運による東京への製品輸送が可能な現・深谷市上敷免(じょうしきめん)新井に決定されました。
 ナスチェンテス・チーゼは娘クララと共に1889(明治22)年12月に帰国するまでここで生活し、彼の帰国後は会社事務所として使用されました。


旧・変電室
1906(明治39)年頃竣工?・国指定重要文化財(1997(平成9)年5月29日指定)

 1906(明治39)年頃の竣工と言われている変電室です。
 日露戦争後の好景気で土木・建築事業が盛んになり煉瓦の需要が増加したために、日本煉瓦製造株式会社が設備投資として電力の導入(蒸気機関から電動機への転換)を開始しました。
 1906(明治39)年8月に、日本煉瓦製造株式会社は高崎水力電気株式会社と契約を締結して、電灯線を架設し、電動機を導入しました。当時の深谷町に電灯が導入される1年前にあたります。
 変電室内にあった設備はすでに失われているますが、煉瓦造の変電室は当時の煉瓦業界の隆盛を物語る貴重な近代化遺産となっています。


備前渠鉄橋
(深谷上敷免間鉄道)1895(明治28)年竣工・国指定重要文化財(1997(平成9)年5月29日指定)

設計:チャールズ・アセトン・W・ポーナル(鉄道院技師・英国人)
ポーナル型プレート・ガーダー橋(橋桁:I字形鋼板)
15.7m(約50フィート)

 日本煉瓦製造株式会社の輸送専用線のために架設された鉄橋です。
 操業当初からの輸送手段であった利根川を利用した舟運は安定した輸送力に欠け、燃料や製品の輸送に問題が頻繁に発生しました。これを解決するために1895(明治28)年に深谷駅とを結ぶ専用線として建設されました。この専用線は日本初の民間専用線として運用を開始したことになります。
 専用線には4カ所の鉄橋が架設されており、唐沢川、福川、備前渠には、当時の鉄道院技師、イギリス人チャールズ・アセトン・W・ポーナルが設計したI字形鋼板を橋桁とする「ポーナル型プレート・ガーター橋」が採用されました。この備前渠鉄橋は15.7m(約50フィート)で、専用線の4つの鉄橋の中では最長の橋桁です。
 また、ここで分岐している用水路に架設された煉瓦アーチ橋は、長さ約2mと小規模ですが、完全な煉瓦構造と推定される貴重な構造物です。


現在の「日本煉瓦製造株式会社・深谷事業所」

 今日でも「日本煉瓦製造」製の煉瓦はホームセンターなどでも並んでいます。埼玉県深谷市は現在でも煉瓦の町なのです。「JR深谷駅」、「深谷市浄化センター」、「大寄公民館」・・・など煉瓦をイメージした建物が深谷市のあちこちで見かけられます。

JR高崎線・深谷駅 深谷市浄化センター 深谷市大寄公民館
 渋沢栄一ゆかりの誠之堂が大寄
公民館に移築されています。
渋沢栄一記念館 尾高惇忠・生家にある煉瓦造の蔵

日本国内に現存する「ホフマン式輪窯」
旧・日本煉瓦製造会社・ホフマン式輪窯〜六号窯
    1907年(埼玉県深谷市上敷免)
旧・神崎煉瓦(京都竹村丹後製窯所)ホフマン式輪窯
  
 明治末〜大正頃?(京都府舞鶴市西神崎)
旧・中川煉瓦製造所(湖東組)ホフマン式輪窯
  
 明治末頃?(滋賀県近江八幡市船木町5番地)
旧・下野煉化製造会社・ホフマン式輪窯〜東窯
    1889年(栃木県下都賀郡野木町)

現在も稼働しているホフマン式輪窯(海外)
二和産業株式会社
    1964年(大韓民国・京畿道広州郡東部邑望月里・・・ソウル郊外)
    ※2基のホフマン窯のうち北側の窯(長さ115m、幅13m)が稼働中で、
     南側の窯は1984年から休止しています。


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