産業技術遺産探訪 2004.1. .

旧 西毛電気(株)
1909(明治42)年設立
群馬県内で9番目の電力会社

 

川久保発電所

1910(明治43)年竣工の水力発電所

群馬県碓氷郡松井田町坂本および松井田町原

 松井田町坂本の古宿付近を流れる霧積川に堰堤と沈砂池をつくり、取水のための閘門を設け、水路取水口から貯水槽までは隧道(導水路のトンネル)で結ばれていました。導水路と導水管によって原43番地まで通水されたのち、そこから水圧鉄管で水を落下させて発電しました。竣工後、3日間の試運転をしただけで、水害のため流失してしまいました。


 西毛電気会社は、発電所を坂本町大字原字川久保(現在の松井田町大字坂本字原)に設置することとして工事を着工するとともに、水路工事、送電線工事にも着手しました。
 1909(明治42)年12月末までに、送電線については発電所から郷原分岐点間(現在の安中市郷原)と、この郷原分岐点から富岡町(現在の富岡市)までの間に合計314本の電柱を設置しました。この時点では、松井田町および郷原分岐点から安中町の間は工事中でした。配電線の電柱は、坂本町に40、横川町11、松井田町43、磯部21、中の谷20、高田14、一の宮28、富岡77、原市27、安中75、中宿19、板鼻29本設置しました。電灯数は富岡町833灯(363戸)、安中町389灯(197戸)、その他、一の宮、板鼻、原市、中の谷、磯部、中宿を合わせて5町3村の合計は1777灯(841戸)でした。
 発電所水路の工事も1909(明治42)年11月6日に起工し、水路取水口の閘門から貯水槽までの隧道(導水路のトンネル)を除いて、全ての工事が着工しました。
 1910(明治43)年7月末までに送電線工事は、架線(電柱643本、導線は2番、4番、6番の裸銅線または被覆銅線)が終了しました。また横川町(現在の松井田町横川)については7本の増設工事を行い、供給数も富岡町824灯(394戸)をはじめとして7町4村で1145灯から2453灯に増加しました。発電所および導水路の工事は8月9日までに排水渠の一部分を除いて全て完成し、発電機、水車などの据付けを終了しました。工費は約6万円(当時)でした。
 こうして、発電・送電・配電のための施設・設備が竣工し、いよいよ事業を開始するための準備をしていましたが、7月中旬から降り続いた大雨は、8月11日に大洪水となって襲来し、発電所の堰堤、取水口、閘門、沈泥槽と水路約450mが流失または陥落し、発電所は配電盤を除いて建家や機器が全て流失してしまいました。送電線も電柱44本が付属する設備とともに流失してしまいました。これらの被害総額は約6万円(当時)で、工費とほぼ同額の損害を被りました。西毛電気株式会社では、株主に対して資本金10万円のうち、7万5000円の払込みを受けており、残額の2万5000円は事業の開始後に払い込み完納する予定で、当面の必要とする資金は借入れしていました。そのため、この水害による善後策が株主総会で検討され、その結果、会社事業を全て「高崎水力電気会社」へ売却するということに決まりました。そしていよいよ引継ぎを行う時期が近づいた時、一部の株主間で事業を継続していこうという意見が復活し、再び総会が開催され、事業の継続が決定しました。


旧 西毛電気(株)
 
1909(明治42)年設立
  群馬県内で9番目の電力会社

 ・
川久保発電所
  1910(明治43)年竣工の水力発電所
 ・
高芝発電所
  1911(明治44)年竣工の水力発電所
 ・
坂本発電所
  1915(大正4)年竣工の水力発電所


碓氷の産業技術遺産探検隊


技術のわくわく探検記  産業技術遺産探訪  技術科@スクール