産業技術遺産探訪 2002.11.4.
東京電力 駒橋発電所
1907(明治40)年に東京電燈が山梨県北都留郡廣里村(当時)の駒橋に建設した「駒橋発電所」は、出力15000kWの、当時としては日本最大の水力発電所でした。東京(早稲田変電所)までの76kmを55kVの特別高圧線で送電を行い、その後本格化する高電圧長距離送電の草分けとなりました。
当時の「駒橋発電所」は、有効落差104m、最大使用水量25.4立方メートル/秒でした。発電所にはEscher Wyss社(スイス)1904年製の横軸フランシス双輪単流形水車が6台(合計27000馬力、そのうちの1台は予備)稼働し、シーメンス社(ドイツ)製の3900KVA発電機6台(そのうちの1台は予備)で発電を行っていました。これらの竣工当時に設置されたフランシス水車と発電機は老朽化のため昭和20〜30年代に撤去され、大容量のフランシス水車と発電機それぞれ1台で稼働しています。
日本で最初の水力発電所は、京都・蹴上の琵琶湖疎水を利用した「蹴上発電所」(1891(明治24)年11月送電開始)でした。東京では明治30年代になって増加する電力需要をまかなうため東京電燈(1886<明治19>年営業開始)によって火力発電所が増設されていきました。東京の市街地に設置されたこれら5カ所の火力発電所は消費地に隣接した近距離送電によるものでした。やがて日露戦争などの影響による産業政策で石炭が慢性的に不足するようになり火力発電では増加する電力需要に応じきれなくなりました。そのため東京電燈は、水力発電による東京への長距離送電を計画しました。長距離送電技術の研究と水利調査などを経て山梨県大月に「駒橋発電所」をつくり(1906<明治39>年1月着工、1909<明治42>年12月20日竣工)東京(早稲田変電所)へ初めて水力発電による長距離送電(76kmで当時は日本最長)を開始しました。山梨県大月に「駒橋発電所」が設置された理由は、桂川が山中湖を水源としており、豊富な湧水が安定して得られることや消費地に比較的近いこと、送電ルートが確保しやすかったことなどによります。
昭和30年代からの高度経済成長期には、東京では火力発電が主流となり、駒橋発電所からの長距離送電は廃止されます。現在は山梨県東部地域へ送電しています。
東京電燈「駒橋発電所」時代の発電所本館(煉瓦造)は取り壊され、発電室(煉瓦造)は改修されたため当時の姿を留めてはいません。
旧・水圧鉄管路アンカーブロック
竣工当時は8本の水圧鉄管がありましたが、現在は2本となっています。
水圧鉄管3本分のアンカーブロックが残されています。
※東京電燈・駒橋発電所当時の写真(土木学会のWebページへ)
排水門
横軸フランシス双輪単流形水車
スイス・ Escher Wyss製
1904年製造
出力:1848kW
回転数:500rpm
有効落差:104m
この横軸フランシス双輪単流形水車は、当時「駒橋発電所」で使用されていた6台(そのうちの1台は予備)のフランシス水車のひとつで、現在は「電気の史料館」に展示されています。(このフランシス水車は、これまで東京電力池袋サービスステーション、つくば科学万博EXPO85・政府館、東京電力山梨支店で展示されていました。)
ESCHER WYSS & Co. ZURICH
「東京電力 駒橋発電所」に記念物として保存展示されている
旧・桂川電力公司 鹿留発電所フランシス水車(1912年フォイト製)
東京電力(旧 東京電灯)駒橋発電所
落合水路橋
1907(明治40)年竣工
国登録有形文化財
山梨県都留市古川渡字落合〜都留市井倉