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技術のわくわく探検記 2001.8.9.〜8.10.
技術教育研究会・会報「技術と教育」10月号(通巻334号)連動企画!(^^) 技術のわくわく探検記 |
「大牟田・三井三池炭鉱跡めぐり」(福岡県大牟田市) |
「鹿児島・藩政時代の技術遺産めぐり」(鹿児島県鹿児島市・知覧町) |
技術教育研究会 第34回全国大会 福岡大会「地域の技術見学会」
今年の「地域の技術見学会」は、8月9日(木)に「大牟田・三井三池の炭坑跡めぐり」、翌8月10日(金)には「鹿児島・藩政時代の技術遺産めぐり」でした。
国内最大の旧・三井三池炭鉱が閉山して4年余経ちました。福岡県大牟田市には炭鉱関係の「産業遺産」が数多く存在しています。今回の見学会では三池港閘門、大牟田市石炭産業科学館、三池炭鉱宮原坑跡、旧三池集治監外塀、三池炭鉱宮浦坑跡を見学しました。
三池港・閘門式水門ほか
三池港は、三池炭鉱で採掘された石炭を大型船で積出すためにつくられた港です。三池港ができる以前には、大牟田川の河口から長崎・島原半島の口之津港まで運んで、そこで大型船に積替えていました。三池港の築港によって大牟田で石炭を大型船に直接船積みすることができるようになりました。三池港の閘門式水門の水門施設、建物、機械等は、1908(明治41)年の開港当時からのものが大切に使われています。
三池港の大きな特徴である閘門式水門は、有明海の干満差が5m以上もあるため、閘門によって有明海と渠内を仕切ることができ、水位を一定に保つことによって干潮時でも大型の船が着岸できるように造られた施設です。この水圧式水門によりドック内は常時8.5mの水深を維持でき、1万tクラスまでの荷役が可能になりました。ここでは水門を開閉させる水圧シリンダーや水流ポンプ(実際に作動させてくれました)、蒸気式クレーン船「大金剛丸」(三池港に停泊して活躍する1905年以前のイギリス製浮クレーンで石炭を燃料に最大15トンを吊り上げることが可能)、三池式快速石炭船積機3号機(1911(明治44)年製の3号機が唯一現存しており積込能力は1時間300トンで設置当時は400トンありました。)などを見ることができました。隣接する三井炭鉱三川坑跡は三池争議や炭塵爆発事故などが起こった現場です。 三井港倶楽部の洋風建築や石炭火力発電所などを車窓から見ながら大牟田市石炭産業科学館へ向かいました。
大牟田市石炭産業科学館
大牟田市石炭産業科学館には地下400mの坑内(採炭作業現場)を再現した模擬坑道や採炭用カッターや石炭運搬用電気機関車が展示されています。石炭をめぐる人と技術の歴史を知ることができます。
三池炭鉱宮原坑跡
三池炭鉱宮原坑跡(国重要文化財・史跡)は1898(明治31)年開坑し、年間40〜50万トンの出炭を維持した明治〜大正の主力坑で1931(昭和6)年閉坑しました。現在は第2竪坑櫓と捲揚機室、捲揚機などが残っています。
旧三池集治監外塀
旧三池集治監外塀は現在福岡県立三池工業高等学校外塀となっており福岡県指定有形文化財に指定されています。1883(明治16)年開庁の石炭採掘を主な目的とした囚人収監施設の外塀で高さ5〜6m、現存長600mの煉瓦造です。
三池炭鉱宮浦坑跡
三池炭鉱宮浦坑跡(国指定重要文化財)は、1887(明治20)年開坑した三池炭鉱の主力坑の1つで現存する煙突は1888年建造で高さ31.3mあり炭坑節に歌われた面影を伝えています。1968(昭和43)年閉坑しています。ここにある煙突および大斜坑は、石炭採掘と大牟田発展の歴史を物語る重要なメモリアル的建造物であり、日本の近代史、産業史を知るうえで極めて貴重な施設と言えるものです。
見学会には大牟田市教育委員会教育部生涯学習課文化担当(文化財専門職)の山田元樹氏、福岡教育大学教育学部永田萬享先生をはじめ現地への案内をしていただいた数多くの方々にたいへんお世話になりました。現地でいただいた資料等には、大牟田周辺にはこの他にもたくさんの興味深い技術遺産があり、今後も機会があれば再び訪れてみたいと思います。
「鹿児島・藩政時代の技術遺産めぐり」(鹿児島県鹿児島市・知覧町)
鹿児島での見学会では、石橋記念公園・石橋記念館、尚古集成館・仙巌園、知覧ミュージアム、知覧周辺の製鉄遺跡(厚地松山製鉄遺跡・二ツ谷製鉄遺跡)を巡りました。
「鹿児島・藩政時代の技術遺産めぐり〜石橋記念公園・石橋記念館」(鹿児島県鹿児島市)
石橋記念公園・石橋記念館
鹿児島市の中心を流れる甲突川には、かつて上流から「玉江橋」「新上(しんかん)橋」「西田橋」「高麗橋」「武之橋」の5つの大きな石造アーチ橋が架かり、「甲突川の五石橋」と呼ばれていました。1993(平成5)年8月6日、市街地の約1万2千戸が浸水するなど大災害をもたらした集中豪雨による洪水で、五石橋のうち「武之橋」と「新上橋」が流失してしまいました。そこで残った3橋は、貴重な文化遺産として後世まで確実に残すため、河川改修に合わせて移設して保存することになりました。石橋記念公園には「西田橋」(創建時の姿を基本に復元)、「高麗橋」(現存している史料に基づき、明治から大正にかけての改変後、昭和初期の姿を基本に復元、それ以前の姿がわかる史料は現存していないことによる)、「玉江橋」(昭和30年頃まで創建時の形状を留めていたと考えられ、写真などの現存する史料から、江戸末期の創建時の姿を基本に復元)が移設されており、「石橋記念館」では五石橋の歴史や架橋技術について、精巧につくられたジオラマ(特に「西田橋」の架橋工程はジオラマに加えてコンピュータグラフィックスで基礎工事・支保工の組み立てからはじまる架橋工程が紹介されています)や、ミラービジョン、大型マルチ映像などで解説しており、さらに鹿児島・日本・世界の石橋文化の比較や石橋の移設・復元工事の過程を映像として見ることができるようになっています。1階入口には、西田橋の基礎構造が再現されており、ガラス製フロアーの下に見ることができます。五石橋をどのように架けたかという具体的な史料は残っていないということですが、五石橋の解体復元工事や石橋架橋に関する史料、石材業者からの聞き取りによって五石橋の架橋工程を再現したことは、解体移設復元工事に伴う大きな成果であると言えます。肥後の石工・岩永三五郎を育てた石工集団と九州各地に数多く見られる石造アーチ橋との関連にも注目させてくれます。
「鹿児島・藩政時代の技術遺産めぐり〜尚古集成館」(鹿児島県鹿児島市)
尚古集成館(旧・集成館機械工場)
尚古集成館は、1923(大正12)年に開館した博物館で、島津家伝来の史料を中心に約1万点を収蔵し展示する博物館です。島津斉彬によってつくられた集成館の工場群は、1863(文久3)年7月の薩英戦争でほとんどが焼失してしまいました。その後1864(元治元)年、薩摩藩主島津忠義によって、集成館の復興が着手されました。はじめに機械工場の建設が行われ、蒸気機関と近代的な工作機械の導入が行われました。尚古集成館の本館は、1865(慶応元)年に造られた集成館・機械工場を利用しています。アーチを採用した石造洋風建築としては日本で最初のもので、操業開始当初から「STONE HOME」と呼ばれていました。設計にはイギリス人が携わったのではないかと考えられています。この旧集成館機械工場は国の重要文化財となっています。本館では常設展示、別館では企画展を開催しています。本館では、鹿児島紡績所で使用されていた1866年イギリス・プラット兄弟会社製(PLATT
BRO.RS&Co.OLDHAM)の「梳綿機(Carding
Machine)」「磨針機」や、オランダNSBM社製の「形削盤」、鉄製砲、薩摩切子・薩摩焼が、別館では、電信線(絹被覆銅線)、金属活字、板ガラス・半球ガラスなどを見ることができました。
反射炉跡
旧・集成館機械工場に隣接する反射炉跡の遺構は、合体炉1基分で、状態や位置などから2号炉のものであろうと考えられています。この他に水天渕発電所記念碑(ヨーロッパ風の石造りの建物の一部)や錫門、「就成所」送電発電用貯水漕(貯水槽)跡などを見ることができました。
鹿児島・藩政時代の技術遺産めぐり〜厚地松山製鉄遺跡・二ッ谷製鉄遺跡(鹿児島県知覧町)
厚地松山製鉄遺跡
厚地松山製鉄遺跡は厚地川上流一帯の約1万平方メートルにも及ぶ江戸時代から明治時代にかけての製鉄所跡です。これまで文献でしかわかっていなかった薩摩の水車ふいごを使った石組製鉄炉による製鉄の存在を裏付けるものとして注目されています。調査は現在続けられているところです。今回の見学会で案内していただいた厚地松山製鉄遺跡では、厚地川沿いの斜面に投棄された大規模な排滓場や、水車石積み跡などを見せていただきました。
二ツ谷製鉄遺跡
二ツ谷製鉄遺跡は、薩摩半島中央部の山間地、知覧町東別府二ツ谷の永里川上流右岸一帯にあり、平成11年2月に発見されたものです。石組製鉄炉、水路、水車跡が発掘されており、江戸時代以降に操業されていたものとされています。
今回の見学会では、石組製鉄炉を見せていただきました。鹿児島での見学会では、尚古集成館 文化財課長・松尾千歳氏、ミュージアム知覧学芸員・上田耕氏、鹿児島大学教育学部・長谷川雅康先生にたいへんお世話になりました。今回の見学で鹿児島がぐっと身近に感じられるようになりました。
なお「地域の技術見学会」については下記のWebページで詳細にレポートする予定です。
「技術のわくわく探検記」
http://www.gijyutu.com/ooki/
http://www.edu-c.pref.gunma.jp/gakko/tyu/mtdnsjh1/
大木利治(群馬県碓氷郡松井田町立西中学校・教諭)
このページは、技術教育研究会・会報「技術と教育」10月号(通巻334号)に掲載されたレポートに項目や画像などを追加してまとめたものです。
さらに詳細なレポートは、下記のページへ
「大牟田・三井三池炭鉱跡めぐり」(福岡県大牟田市)
「鹿児島・藩政時代の技術遺産めぐり〜石橋記念公園・石橋記念館」(鹿児島県鹿児島市)
「鹿児島・藩政時代の技術遺産めぐり〜尚古集成館」(鹿児島県鹿児島市)
鹿児島・藩政時代の技術遺産めぐり〜厚地松山製鉄遺跡・二ッ谷製鉄遺跡(鹿児島県知覧町)