産業技術遺産探訪 2005.12.17.

押羽のケレップ水制

明治20年代前半竣工(推定)

長野県上高井郡小布施町押羽・千曲川

明治時代の粗朶(そだ)と石材を組み合わせた治水施設(旧・水制跡)

明治時代の旧水制跡
小布施町押羽のケレップ水制

 ケレップ水制とは粗朶(そだ)と石材を組み合わせた治水施設です。
 舟運の水路確保にも効果が期待され、オランダ人技術者 ヨハネス・デ・レーケ等により明治8年(1875年)淀川に第1号が造られました。
 明治10年には(長野)県内第1号が押羽村に造られ、以降千曲川流域にも多くのケレップ水制が築造されます。

 平成11年、護岸工事により発見され保存整備された水制は、明治10年のものよりも下流にあり、明治20年代前半に造られたと推定されます。
 その後も洪水は頻発し、輸送手段の中心が舟運から鉄道に移り変わる中で、千曲川ではケレップ水制は造られなくなり、昭和16年には現在の堤防が完成します。
 千曲川では松代に現存しますが、流失したり川岸に埋没しているものが多く、これらの水制は千曲川治水事業試行錯誤の時代を象徴する近代遺産と言えるでしょう。

                平成12年3月  小布施町教育委員会
ケレップ水制全図 現存する水制跡
ケレップの由来
オランダ語で、水刎(みずはね)のことを「Krib」と言いますが、これが訛って「ケレップ」となったと考えられます。

技術のわくわく探検記  産業技術遺産探訪  技術科@スクール