産業技術遺産探訪(資料)
お雇いオランダ人技術者とかかわりのある明治時代の土木事業
明治政府は、いち早く欧米列国の仲間入りを果たそうと、殖産興業に力を入れていました。しかし、過去270年間も鎖国を続けていた日本には、近代的な技術教育を受けた技術者がいなかったため、欧米から技術者を招聘することにしました。
来日した技術者はのべ127名で、英・米国が道路・橋梁の分野で101名と過半数を占め、オランダからは技術者8名、技能者4名が、河川・港湾などの分野で、1872年から1903年まで働きました。
オランダ人技術者のなかで、最も長く滞在し多くの仕事をしたのがデ・レイケでした。来日当初は4等工師として工事の指導に携わっていたデ・レイケですが、最後は日本の内務省土木局で事務次官相当の勅任官扱いの地位まで昇進しました。
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明治時代に来日した外国人土木技術者
国 | 学校 | 鉄道 | 河川・港湾・燈台 | 道路・橋梁・上下水道 | その他 | 計 |
イギリス | 9 | 30 | 9 | 9 | 4 | 61 |
アメリカ | 9 | 8 | − | 14 | 9 | 40 |
オランダ | − | − | 12 | − | − | 12 |
ドイツ | 1 | 5 | − | − | 1 | 12 |
フランス | − | − | 4 | − | − | 4 |
その他 | 2 | 1 | − | − | − | 3 |
計 | 21 | 44 | 25 | 23 | 14 | 127 |
明治の近代化とオランダ人技術者の業績
明治に来日したオランダ人技術者は、各地で主に河川・砂防・港湾改修の技術指導に携わりました。
デ・レイケは、淀川改修と新大阪築港、三国港改修、木曽三川改修、吉野川改修、筑後川改修などの指導に携わりました。
一方、エッシャーは、広い分野のインフラ整備に関わった経験と知識を活かし、河川・港湾改修だけではなく、道路・鉄道・橋梁などの土木技術の指導に携わりました。
日本の近代的な治水工事の先駆けとなった「木曽川下流改修(木曽・長良・揖斐・三川分流工事)」は、明治20年、内務省によって着手され、明治33年にほぼ完成しました。水害の常襲地帯であった流域ではその後、洪水被害は大幅に減少しました。
この「明治改修」は、デ・レーケの綿密な踏査と、作成した計画に基づくものです。河道安定のためのケレップ水制、河口処理の導流堤、舟航のための船頭平閘門は現在も機能しています。
エッシャーは、福島、山形、栃木、新潟などでトンネル、橋梁の設計も指導しました。
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A.T.L.ローエンホルスト・ムルデル 日本におけるオランダ人
エリック・ヴァン・コーイ オランダ大使館科学技術参事官
アントニー・トーマス・ルベルタス・ローウェンホルスト・ムルデルは、1848年、オランダのライデン(LEIDEN)で生まれた。彼の父はそこでタバコ屋を営んでいた。彼は2人の兄と3人の姉がいる家族の末っ子として育った。1862年、タバコ屋を売り、家族はベルセン(VELSEN)へ引っ越した。ムルデルは1858年から、夫とともにアルクマール(ALKMAAR)に住んでいた最年長の姉JACOMINAと引っ越した。1867年、ハーレム(HAARLEM)の高校を卒業後、土木工学を学ぶためデルフト(DELFT)にある工科大学に入学した。1872年、大学を卒業後、ヴァール(WAAL)川の水深測量を担当する専門の監督者として公共土木事業部で働き始めた。1873年、ムルデルは2〜3年前に開通したスエズ運河の北側にあるSAID港に向かい、そこで、船舶会社が設立する貿易会社の建設を担当していた。1876年、オランダに戻り、1877年ハーグ市に採用された。そこで運河や下水の掘削に関する設計を始めた。後にハーレム(HAARLEM)からブローメンダール(BLOEMENDAAL)までの蒸気鉄道ルート計画を設計することになる。1879年の初頭、日本に向けて旅立った。オランダ人土木技術者ジョージ・アーノルド・エッシャーは日本から戻った後、日本政府に仕える新しい技術者を斡旋するため、デルフト(DELFT)工科大学のヘンケルト教授に話を持ちかけた。ヘンケルトは元生徒のムルデルを薦めた。ムルデルはその申し出を引き受ける決意をした。1879年3月29日、彼の契約は内務省土木局から始まった。彼の1ヶ月の給料は475円でした。ムルデルは1886年、1887年オランダに一時帰国したほぼ1年を除いて、約11年日本に滞在し、その間、多くの水力工学プロジェクトに携わった。彼の仕事のほとんどは、内務省あるいは地方自治体に助言を与えることであった。ムルデルや何人かの外国人技師の顕著な活動は、皇居を建設する位置の土質を決定するための調査であった。この仕事は月525円の給料であった。水力工学の分野で2つの特別なプロジェクトがあげられます。それは三角港と利根運河です。これら多岐にわたる2つのプロジェクトはムルデルの優れた才能を表している。そして日本でのオランダ水力工学の記念碑と見なすことができる。1890年夏、彼はオランダに帰国した。1891年43歳の時、27歳のマルガリータ・アンナ(MARGARETHA
ANNA JONGKINDTCONINCK)と結婚した。子供は生涯いなかった。1895年、ムルデルはスケベニンゲン(SCHEVENINGEN)の漁港の設計を行った。1897年、ナイメーヘン(NIJMEGEN)に移り、そこで、蒸気鉄道のルート設計を行う市の委員会のメンバーになりました。1898年彼は排水システムを使った研究をするためにセントピーターズバーク(ST-PETERSBURG)へ行った。1900年、彼はナッツパール(NUTSSPAAR)銀行(公共銀行)の委員になった。1901年3月6日、ムルデルは肺結核のためナイメーヘン(NIJMEGEN)の病院で亡くなった。MONUTA
BEGRAAFPLAATS墓地に葬られている。彼の妻は1907年再婚し、1930年エレコム(ELLECOM)で亡くなった。
参考文献:L.A. van Gasteren IN EEN JAPANSE
STROOMVERSNELLING
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低地の国オランダ(Holland)
オランダは、ライン川、ムース川、スヘルデ川の河口に位置しています。国土のほとんどは平坦で、国名のネーデルランド(therlands)は、低地という意味です。最高地点は南東部で、標高321mです。国土の約1/2は、ゼロメートル地帯となっており、約2/3は堤防で守られている地域です。
低平地に形成された都市
大阪市とアムステルダム市はともに、低地に形成された都市です。大きな川が、陸地の高いところを流れているため、堤防が壊れた場合には、大きな被害になる恐れがあります。現在の都市の発展は、水との闘いによって支えられています。
ファン・ドールン C.J.van Doorn エッシャー G.A.Escher デ・レイケ J.de Rijke チッセン A.H.T.K.Thissen リンド L.A.Lindo ムルデル A.T.L.R.Mulder ヴェステルヴィール J.N.Westerwiel ファン・ヘント J.G.van Gendt |
プロジェクト | オランダ人技術者 | 調査着手 | 工期 |
千曲川改修(長野県) | ファン・ドールン | 1872 | 1873 |
淀川改良(大阪府) (砂防工事・低水路の形成・新大阪築港) ※近代的河川工事のはじまり、 日本のリーディング・プロジェクト |
ファン・ドールン エッシャー デ・レイケ チッセン |
1872 | 1874−1902 |
利根川改修(千葉県) | リンド エッシャー デ・レイケ ムルデル |
1873 | 1878−1885 |
坂井(三国)港改築(福井県) ※最初の近代的河口改修 |
エッシャー デ・レイケ |
1876 | |
千代川改修に助言(鳥取県) | エッシャー | 1876 | 1879−1882 |
野蒜運河・野蒜港築港(宮城県) | ファン・ドールン ムルデル |
1877 | 1877 |
江戸川改修(東京都) | ヴェステルヴィール | 1878 | |
白川流域治山砂防(群馬県) | デ・レイケ | 1878 | |
木曽川流域砂防工事(岐阜県) | デ・レイケ | 1879 | |
安積疎水着工(福島県) | ファン・ドールン | 1878 | 1883 |
東京・神立区に分流式下水道(東京都) | デ・レイケ | ||
石狩川改修(北海道) | ファン・ヘント | 1879 | 1884−1889 |
宇品港築港(広島県) | ムルデル デ・レイケ |
1882 | 1883 |
富士川改修(静岡県) | ムルデル | 1883 | 1885−1889 |
吉野川改修(徳島県) | デ・レイケ | 1887−1900 | |
筑後川改修(福岡県) | デ・レイケ | 1883 | 1887−1900 |
木曽川三川改修(愛知県) | エッシャー デ・レイケ |
1886 | 1889−1889 |
利根運河改修(千葉県) | ムルデル | 1886 | 1892−1894 |
横浜港(比較案) | デ・レイケ ムルデル |
1887 | 1891 |
常願寺川改修(富山県) | デ・レイケ ムルデル |
1890 |