産業技術遺産探訪 2000.8.5./2002.8.29./2005.3.20.

旧・横須賀製鉄所・スチームハンマー

1865年 オランダ製
国指定重要文化財<1998年(平成10年)6月30日指定>
神奈川県横須賀市東逸見町1−1 ヴェルニー記念館

ヴェルニー記念館
(2002年4月30日オープン)
 JR横須賀駅前にあるヴェルニー公園のヴェルニー記念館(2002年4月30日オープン)で、このプレス容量0.5トン・スチームハンマーと、在日・米海軍の施設船舶修理施設内にあった3トン・スチームハンマーを保存展示し、さらに10分の1(模型)ハンマーによる鍛造の様子を再現した展示が行われています。 

 日本国内に現存するスチームハンマーとしては最も古いものの部類に入るものです。
スチームハンマーは、蒸気の圧力で鍛造するための工作機械のことです。
ヴェルニー記念館に保存されているものはプレス容量が0.5トンと3トンの2台です。
 

 1865年(慶応元年)、徳川幕府は帝政下のフランスから人材・資材の提供を 受け、三浦郡横須賀村に横須賀製鉄所および港湾施設を建設し、日本近代化の基盤 を築きました。このスチームハンマーは、 オランダから輸入(1865年製造)され、旧・横須賀製鉄所で使用されていたものです。プレス容量は0.5トンのスチーム・ハンマーは江戸時代末期の1865(慶応元)年から1971(昭和46)年まで、3トンのスチームハンマーは1996年まで稼働していました。
 この近代化事業は幕府の勘定奉行であった小栗上野介忠順と、フランス海軍技師 のフランソワ・レオンス・ヴェルニー(Verny,Francois Leonce 1837−1908)が中心となり推進されました。
 0.5tスチーム・ハンマーは、1971(昭和46)年2月に在日・米海軍の施設船舶修理廠から 日本に返還されました。、3tスチーム・ハンマーは1866年にオランダから輸入されてから1996年まで、実に130年間にわたって工作機械として使われていたものです。このスチームハンマーは日本に近代西欧の技術が輸入され、西欧文明を消化し、吸収 していった歴史を語る貴重な文化遺産です。
 なお旧・横須賀製鉄所の3基の「ドライドッグ」も現存し、在日・米海軍の施設船舶修理施設で現在も使われています。


3t スチーム・ハンマー

3 ton Steam Forge Hammer
Presse a forger a vapeur de 3 tonne

3t スチーム・ハンマー
仕様(specification)

※各部の寸法は展示されていた図面から読みとったもので、全てが正確な数値ではありません。
本体総高(total height) 5944mm+(地面下の基礎台760mm)
               横(width)   縦(depth)
全幅           5470mm×1100mm
基礎台(base mount)     mm×    mm
地面下の基礎台    5470mm×3500mm
下金敷(lower anvil)      mm×    mm 高(height)500mm
上金敷(upper anvil)      mm× 315mm
ピストンロッド振幅長(piston rod stroke length)    mm
シリンダー直径(cylinder diameter) 648mm
プレス容量(pressing capacity) 3.0t
総重量(total weight) 18.4t(推定値 approximation)
INTERNATIONALE
CREDIET-EN
HANDELS-VEREENIGING
ROTTERDAM
1865
横機 HA 1

槌ノ重サ 3000kg
使用蒸気圧力 4kg/cm2


0.5t スチーム・ハンマー

0.5 ton Steam Forge Hammer
Presse a forger a vapeur de 0.5 tonne

0.5t スチーム・ハンマー
仕様(specification)
本体総高(total height) 3440mm
               横(width)   縦(depth)
基礎台(base mount) 2610mm×1240mm
下金敷(lower anvil)   735mm× 345mm
上金敷(upper anvil)   353mm× 309mm  高(height)416mm
ピストンロッド振幅長(piston rod stroke length) 735mm
シリンダー直径(cylinder diameter) 178mm
プレス容量(pressing capacity) 0.5t
総重量(total weight) 12.4t(推定値 approximation)
スチームハンマーの沿革
1865(慶応 元)年 オランダから輸入、横須賀製鉄所に設置
1971(昭和46)年 2月 在日米海軍船舶修理廠から日本に返還
1973(昭和48)年 3月 横須賀市が国から購入
1979(昭和54)年12月 横須賀市指定重要文化財
1998(平成10)年 6月 国指定重要文化財


3t スチーム・ハンマー模型
(縮尺1/6 蒸気圧で可動)

毎週日曜・祝日の11:00と14:00に実演と解説が行われています。

スチームハンマーがどのようにして蒸気圧で動作するか・・・・
鋼が加熱されたときの温度と色の関係や、「自由鍛造」「型鍛造」はどのくらいの加熱温度で行われるかなども解説されています。


ガントリークレーンに使われていた鋼材の一部
イギリスの鉄鋼会社「DALZELL STEEL」製

型鍛造の金型(耐荷重3トンのフック)

 鍛造するときに使われていたパス(加熱されて鍛造中の加工材料の寸法を測定する工具)や金ハシ(鍛造中の加工材料を保持するための道具で1m〜2mの長さ)


 横須賀市自然・人文博物館(神奈川県横須賀市深田台95)公園内に屋外展示されていた頃の0.5tスチームハンマー(2000年8月5日撮影)



 旧・横須賀製鉄所(1865年オランダから輸入)から1996年まで稼働(在日・米海軍の船舶修理施設内)していたプレス容量3トンの蒸気ハンマー(鍛造用蒸気ハンマー)


村上泰賢氏提供(許可を得て掲載)


小栗忠順像 栗本鋤雲像 (神奈川県横須賀市深田台95 横須賀市自然・人文博物館 公園内)

 小栗忠順(1827〜1868)は幕臣。叙爵して豊後守といい、のち上野介と改める。万延元年(1860)遣米使節の一員として渡米。文久二年(1862)以後四度にわたり勘定奉行を務め、幕府最末期の財政再建に努力。この間、外国奉行、陸軍奉行、軍艦奉行を歴任。戊辰戦争では抗戦を主張、容れられず知行地の上州群馬郡権田村(現在の群馬県群馬郡倉渕村)に退き、のち政府軍に処刑された。

 栗本鋤雲(1822〜1898)も幕臣。名は鯤。鋤雲は号。学問所頭取。軍艦奉行、外国奉行等を歴任。小栗忠順とともに親仏政策の推進者として知られ、幕権回復に努めた。のち慶応三年(1867)渡仏して大使として活躍。維新後は「報知新聞」等で健筆をふるい明治三十年死去した。
 二人の功績で特筆すべきは横須賀製鉄所の建設である。多難な幕末期に一大英断をもって画策した小栗忠順を、盟友栗本鋤雲がこれを助け、この大事業を成功させた。一寒漁村であった横須賀が製鉄所の創設によって開港の端緒がつくられ、現在の横須賀市の礎が築かれることになった。


関連項目
・ 旧・横須賀製鉄所・ドライドッグ
・ ヴェルニー公園
・ 逸見波止場衛門(旧・日本海軍横須賀軍港表門)
・ 観音埼灯台
・ 記念艦・三笠
・ 横須賀港(新港)
東善寺(群馬県倉渕村:小栗上野介の寺)http://tozenzi.cside.com/
   ※東善寺の村上泰賢氏からおたよりが届きました。


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