産業技術遺産探訪 2000.8.5./2002.8.29./2005.3.20.
旧・横須賀製鉄所・ドライドッグ
1865(慶応元年)竣工
神奈川県横須賀市稲岡町(米海軍横須賀基地・船舶修理施設内)
逸見波止場衛門
明治末〜大正初期に竣工
神奈川県横須賀市東逸見町 ヴェルニー公園(JR横須賀駅前)
1865年(慶応元年)、徳川幕府はフランスから人材・資材の提供を 受け、三浦郡横須賀村に横須賀製鉄所および港湾施設を建設し、日本近代化の基盤 を築きました。この近代化事業は幕府の勘定奉行であった小栗上野介忠順と、フランス海軍技師 のヴェルニー(Verny,Francos Leonce)が中心となり推進されました。旧・横須賀製鉄所の3基の「ドライドッグ」は現存し、現在も米海軍の施設船舶修理施設で使われています。
手前から旧・横須賀造船所ドライドック1号・2号・3号
ここはアメリカ合衆国にとってはカリフォルニア州サンフランシスコの扱いとなっています。
米国内の郵便物も「San Francisco in Yokosuka」で配達されるのだそうです。
横須賀は国際情勢の中で日本の置かれている位置を実感できる場所なのです。
ショッパーズプラザ横須賀(ダイエー)6階屋上駐車場から撮影・・・見学のベストポイント発見!(^^)
2002年8月29日
「DRY DOCKS 3 2」の表示・・・ この建物の両側にドライドック2号、3号 があります。 |
ドライドック1号の石積み | ドライドックの閘門 |
旧・横須賀製鉄所・ドライドック1号
1867(慶応3)年起工 1871(明治4)年竣工
村上泰賢氏提供(許可を得て掲載)
「横須賀明細一覧図」より
ヴェルニー公園には、旧横須賀製鉄所と横須賀港の建設を推進した小栗上野介忠順と、フランス海軍技師 のヴェルニー(Verny,Francos Leonce)の胸像が、かつての横須賀製鉄所を望むように建てられています。
ヴェルニー公園は、横須賀本港に面する公園で、1946(昭和21)年に市民公園として開園しました。2000(平成12)年に「ヴェルニー公園」と改称しました。
記念石 |
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旧・横須賀製鉄所を望むヴェルニー公園 にヴェルニーと小栗忠順の胸像があります。 |
ヴェルニー像 | 小栗忠順像 | 小栗忠順が斬首された烏川水沼河原(上野国権田村・・・現在の群馬県倉渕村)の石で、昭和28年にヴェルニー公園で行われた開港祭の時にに倉渕村から寄贈されたものです。 |
小栗忠順(1827〜1868)は幕臣。叙爵して豊後守といい、のち上野介と改める。万延元年(1860)遣米使節の一員として渡米。文久二年(1862)以後四度にわたり勘定奉行を務め、幕府最末期の財政再建に努力。この間、外国奉行、陸軍奉行、軍艦奉行を歴任。戊辰戦争では抗戦を主張、容れられず知行地の上州群馬郡権田村(現在の群馬県群馬郡倉渕村)に退き、のち政府軍に処刑された。
・東善寺(群馬県・倉渕村:小栗上野介の寺)http://www5.ocn.ne.jp/~tozenz/
旧・日本海軍横須賀軍港の表門(衛兵詰所)で、八角の衛兵ボックスにはそれぞれ「逸見上陸場」「軍港逸見門」の文字が掲げられています。屋根は銅板葺きのドーム型で本体は鉄筋コンクリート造の八角形で外壁はタイル張りです。
逸見上陸場 | 軍港逸見門 |
横須賀本港
旧・横須賀製鉄所は現在、米海軍施設となっています。(2002.8.29.撮影)
海上自衛隊横須賀地方総監部には南極観測船?が停泊していました。(2000.8.5.撮影)