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信越本線碓氷峠鉄道施設
旧線(アプト線)

隧道(トンネル)

 日本最初の鉄道トンネル(隧道)は、京都〜大阪間の「石屋川隧道」で、1870(明治3)年10月に着工されています。この工事では、お雇い外国人技師の設計・監督によるもので、ジョン・ダイアック(John Diack イギリス)、セオドール・シャン(Theodore Shann イギリス)、トーマス・グレー(Thomas Gray イギリス)、また仮雇いのウィリアム・ロジャース(William Rogers イギリス)、ノルデンステッド(N.Nordenstedt フィンランド)らによって行われました。日本人技師のみによる初めての鉄道トンネルは、1878(明治11)年10月に起工した「逢坂山隧道」(長さ664m)で、国沢能長の指導で工事が行われました。工事では銀山や銅山の坑夫を動員して手堀により1年足らずで貫通、20ヶ月余りで竣工しました。国沢能長は、「工技生養成所」出身で、この養成所出身者がその後の日本人鉄道技術者の主要なメンバーになり、お雇い外国人技師に依存せず技術的に自立していくようになりました。「工技生養成所」は、日本人鉄道技術者を養成するために、鉄道局長・井上勝によって大阪停車場構内に1877(明治10)年開設されました。この「逢坂山隧道」を含む京都〜大津間の鉄道は、日本人技師が中心となって完成させました。この工事には、工部大学校土木学6年生の南清、杉山輯吉らが参加しており、彼らもまたのちに指導的役割を果たす技術者となりました。
 琵琶湖疎水を設計・監督した田邊朔郎もまた、着工前にこの「逢坂山隧道」を視察しています。

 碓氷線のトンネルは「逢坂山隧道」にはじまるトンネル工事の実績をふまえて行われました。第1号隧道〜第7号隧道と第25号隧道〜第26号隧道は、鉄道庁の直轄工事で行われ、第8号隧道〜第14号隧道は佐藤成教が工事を請け負い、第15号隧道〜第20号隧道は日本土木会社、第21号隧道〜第24号隧道は近松松次郎が工事を請け負っています。
 碓氷線の建設は、1891(明治24)年3月に軽井沢方面から少しずつ土木工事を始め、全体の工事に着手したのは6月上旬でした。隧道(トンネル)の当初の設計は25ヶ所でしたが、第10号隧道(熊ノ平隧道)は、列車の行き違いのために停車する場所であることと、転轍器を隧道内に設置することを避けるために、隧道を変更して切り取りをしました。その他、第7号隧道と第25号隧道の2つの隧道は、工事をしやすくするために、それぞれ切り分けて2個の隧道とし、さらに第6号隧道は横坑を設けて工事を行いました。そのため、増減した隧道数を加除すると合計26ヶ所で、総延長約1万4600フィート(約4450m)となりました。いずれも1892(明治25)年末までに竣工しています。

 鉄道の隧道(トンネル)断面の標準形状は大きく4次の変遷がありました。第1次は1880(明治13)年に竣工した逢坂山隧道(逢坂山トンネル)から1889(明治22)年の東海道第1線開通までに建設されたもので、幅は起拱線で14フィート(約4.27m)、高さは施工基面から拱頃まで15フィート6インチ(約4.72m)で設計が行われました。第2次は、この碓氷線の隧道で、第1次のものと比べると、幅1フィート(約30.5cm)増えて15フィート(約4.57m)、高さは6インチ(約15cm)増えて16インチ(約40.6cm)と拡大されています。第3次は、1892(明治25)年の鉄道敷設法発布後から明治末までに建設されたもので、幅は第2次のものと同様に15フィート(約4.57m)で、高さは6インチ(約15cm)増えて16フィート6インチ(約5m)となっています。第4次は、明治末に建設されたもので、数種類あり、断面が拡大された数種類の隧道(トンネル)があります。隧道の総延長で見ると、第3次の形状の隧道(トンネル)が大多数を占めています。

 碓氷線のトンネル坑門は、道路などに面して人目につきやすいものは様式がきちんと整えられており、切石積や煉瓦積にも工夫が凝らしてあります。

碓氷峠鉄道施設マップ

構造物名 長さ 西口(出口)
軽井沢側
東口(入口)
横川側
旧線隧道
工事請負
坑門
碓氷第 隧道
国重要文化財
187.06m
613.73ft
鉄道庁
直轄
(鹿島組
有馬組)
煉瓦積
壁柱(ピラスター)
胸壁(パラペット)・笠石・帯石
切石積
壁柱(ピラスター)・翼壁(ウイング)
胸壁(パラペット)・笠石・帯石
碓氷第 隧道
国重要文化財
112.76m
369.93ft
鉄道庁
直轄
(鹿島組
有馬組)
煉瓦積
壁柱(ピラスター)
胸壁(パラペット)・笠石・帯石
煉瓦積
壁柱(ピラスター)
胸壁(パラペット)・笠石・帯石
碓氷第 隧道
国重要文化財
77.53m
254.36ft
鉄道庁
直轄
(鹿島組
有馬組)
切石積
壁柱(ピラスター)
胸壁(パラペット)・笠石・帯石
切石積
壁柱(ピラスター)・翼壁(ウイング)
胸壁(パラペット)・笠石・帯石
碓氷第 隧道
国重要文化財
100.26m
328.94ft
鉄道庁
直轄
(鹿島組
有馬組)
煉瓦積
壁柱(ピラスター)
胸壁(パラペット)・笠石・帯石
切石積
壁柱(ピラスター)
胸壁(パラペット)・笠石・帯石
碓氷第 隧道
国重要文化財
243.61m
799.26ft
鉄道庁
直轄
(鹿島組
有馬組)
切石積
壁柱(ピラスター)
胸壁(パラペット)・笠石・帯石
要石(キーストーン)
煉瓦積
壁柱(ピラスター)
胸壁(パラペット)・笠石・帯石
碓氷第 隧道
国重要文化財
546.17m
1791.90ft
甲横坑・竪坑・乙横坑がある。
鉄道庁
直轄
(鹿島組
有馬組)
切石積
壁柱(ピラスター)
胸壁(パラペット)・笠石・帯石
切石煉瓦混用
山目地
壁柱(ピラスター)・翼壁(ウイング)
胸壁(パラペット)・笠石・帯石
要石(キーストーン)盾状迫石
碓氷第 隧道
国重要文化財
75.44m
247.50ft
鉄道庁
直轄
(鹿島組
有馬組)
煉瓦積
笠石
煉瓦積
覆輪目地

壁柱(ピラスター)
胸壁(パラペット)・笠石・帯石
碓氷第 隧道
国重要文化財
91.53m
300.30ft
佐藤成教 煉瓦積
胸壁(パラペット)・笠石・帯石
煉瓦積
笠石
碓氷第 隧道
国重要文化財
120.30m
394.68ft
佐藤成教 煉瓦積
胸壁(パラペット)・笠石・帯石
煉瓦積
胸壁(パラペット)・笠石・帯石
碓氷第10隧道
国重要文化財
102.66m
336.80ft
佐藤成教? 煉瓦積
胸壁(パラペット)・笠石・帯石
煉瓦積
胸壁(パラペット)・笠石・帯石
碓氷第11隧道 108.55m
356.14ft
新線下り第4隧道
佐藤成教 改修され新線下り第4号トンネルとして供用
碓氷第12隧道 110.64m
363.00ft
新線下り第5隧道
佐藤成教 改修され新線下り第5号トンネルとして供用
碓氷第13隧道 230.63m
756.66ft
新線下り第6隧道
佐藤成教 改修され新線下り第6号トンネルとして供用
碓氷第14隧道 239.39m
785.40ft
新線下り第7隧道
佐藤成教 改修され新線下り第7号トンネルとして供用
碓氷第15隧道 170.99m
561.00ft
新線下り第8隧道
日本土木
会社
改修され新線下り第8号トンネルとして供用
碓氷第16隧道 265.39m
870.70ft
日本土木
会社
新線下り第9号トンネルの左側にあった
旧線当時の東口(入口)は閉塞・埋没
煉瓦積
壁柱(ピラスター)
笠石
碓氷第17隧道 175.02m
574.20ft
日本土木
会社
煉瓦積
壁柱(ピラスター)
笠石
要石(キーストーン)迫石
煉瓦積
壁柱(ピラスター)
笠石
碓氷第18隧道 68.88m
226.00ft
日本土木
会社
改修され新線下り第10号トンネルとして供用 旧線当時の坑門が現存(閉塞)
煉瓦積
壁柱(ピラスター)
笠石
碓氷第19隧道 225.12m
837.00ft
新線下り第11隧道
日本土木
会社
旧線当時の坑門の一部が現存 改修され新線下り第11号トンネルとして供用
煉瓦積
碓氷第20隧道 181.39m
595.10ft
新線下り第12隧道
日本土木
会社
改修され新線下り第12号トンネルとして供用
碓氷第21隧道 286.21m
939.00ft
新線下り第13隧道
近松
松次郎
改修され新線下り第13号トンネルとして供用
碓氷第22隧道 56.54m
185.50ft
新線下り第14隧道
近松
松次郎
改修され新線下り第14号トンネルとして供用
碓氷第23隧道 88.24m
289.50ft
新線下り第15隧道
近松
松次郎
改修され新線下り第15号トンネルとして供用
碓氷第24隧道 100.31m
329.10ft
新線下り第16隧道
近松
松次郎
旧線当時の坑門が現存(閉鎖) 改修され新線下り第16号トンネルとして供用
煉瓦積
碓氷第25隧道 32.59m
106.92ft
新線下り第17隧道
鉄道庁
直轄
(鹿島組
有馬組)
改修され新線下り第17号トンネルとして供用
碓氷第26隧道 432.51m
1419.00ft
新線下り第18隧道
鉄道庁
直轄

(鹿島組
有馬組)
改修され新線下り第18号トンネルとして供用
4459.72m
14631.62ft
下り線(横川 -> 軽井沢)


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