産業技術遺産探訪 2005.5.4.

富岩運河 中島閘門

Nakajima Lock

1934(昭和9)年竣工

国登録有形文化財
1998(平成10)年5月1日指定
※昭和の土木建造物としては全国初

富山県富山港管理事務所

富山県富山市中島二丁目字浦川原割3番2

 洪水が頻発していた神通川は、明治時代には富山県の予算の8割を土木費が占めるほどの急流でした。そのため川床も不安定で大型の船舶の通航は不可能でした。
 中島閘門(なかじまこうもん)は、神通川の西側に沿って並ぶ延長約5.1kmの富岩運河(ふがんうんが)の開削にあわせて設置され、富山港と富山駅の間を結ぶ運河上流に工場が誘致されたことから、当時は工業用原料を運ぶ船(200トン級の船舶)が往来するなど、運河のシンボルとして富山市の発展に大きな役割を果たしました。
 この閘門は、運河の河口から約3.1km上流に位置し、およそ2.5mの水位差を二対の扉で調節するパナマ運河式の閘門で、ヨーロッパにおいて中世から近代にかけて発達した水運技術を取り入れたものです。
 閘室(こうしつ)・扉室(ひしつ)は、昭和初期の土木技術を用いた石組み、鉄筋コンクリート造りで地震に強い構造となっており、扉体(ひたい)は今では珍しいリベット接合(約15000本)により造られています。
 また、この閘門は海と川との生物の接点となっており、下流側にはコノシロ、アユ、ボラ、ミミズハゼなどが海から遡上してくる魚が、また上流側ではメダカ、フナ、オイカワなど川からの魚が生息しています。
 富山県では、1997(平成9)年から閘門の改修工事を進め、1998(平成10)年に復元が完了しました。

富岩運河 中島閘門の沿革
1928(昭和3)年
富山県の豊富な電力(大正時代に神通川の膨大な水力を利用した県営の発電事業が開始)を活かした工業地帯(頻発する洪水対策のための明治時代に行われた神通川治水事業により、湾曲した神通川の直線化工事で廃川地となった土地を運河の掘削土砂で埋め立てる)を形成するため、富山港から富山駅北を結ぶ富岩運河計画が、富山市利計画事業の1事業として認められた。
1930(昭和5)年
富山県施工の運河事業として着工した。エキスカベーカーという蒸気機関の掘削機が2台投入された。
1934(昭和9)年
富岩運河(延長約5.1km)、中島閘門、牛島閘門竣工
1989(平成元)年
富岩運河環境整備事業に着手。
1997(平成9)年
建設当初の扉体等が老朽化したことにより、原形復元を基本方針として、64年ぶりに改修工事を開始。
1998(平成10)年
中島閘門の復元が完了。
1998(平成10)年5月1日
昭和の土木建造物としては全国初の国登録有形文化財に指定される。


中島閘門 上流側通水扉

中島閘門 上流側扉体
ゲート形式:鋼製マイタゲート(合掌式ゲート)
純径間:9.090m
扉高:2.995m
設置年月:1998(平成10)年2月
富山県
製作会社:佐藤鉄工株式会社


門扉はリベット接合で往時のままに復元されています。
門扉の水密部には檜(ヒノキ)材が使われています。


閘門扉体の開閉装置と水位計


中島閘門 閘室

長さ 約60m
幅  約9m


閘室内(下流側から上流側を望む)


閘室内の全景(下流を望む)
底面には、割石を千鳥状に配置し、閘室内に入った船が
竿で移動できるように、引っかかりとして使います。
閘室の基礎には松の丸太が約1700本打ち込まれています。


通水口(上流右岸)
閘室内に水を出し入れする通水口は、花崗岩をアーチ状に組み、
曲面に加工してあるなど、当時の優れた石工の技が見られます。

通水口内部の通水扉は、
ゲート形式:鋼製スライドゲート
純径間:1.060m
扉高:1.600m
設置数:上流側 2門  下流側 2門
設置年月:1998(平成10)年2月
富山県
製作会社:佐藤鉄工株式会社


閘室内(上流側から下流側を望む)


中島閘門 下流側通水扉

中島閘門 下流側扉体
ゲート形式:鋼製マイタゲート(合掌式ゲート)
純径間:9.090m
扉高:5.765m
設置年月:1998(平成10)年2月
富山県
製作会社:佐藤鉄工株式会社


中島閘門操作室



富山県富山港管理事務所が1998(平成10)年3月に設置した中島閘門の解説


中島橋
富岩運河 中島閘門 管理橋

1934(昭和9)年8月竣工

中島橋 昭和九年八月竣工

中島閘門 放水路

放水路の下流側から上流側(放水路ゲート)を望む 放水路ゲート

・JR北陸本線 富山駅から車で約5分
    ・JR富山港線 越中中島駅下車 徒歩15分


富岩運河 牛島閘門


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