産業技術遺産探訪 2005.5.4./2012.5.19.

三国(坂井)港改築
1876(明治9)年

三国港突堤(エッセル堤)
1880(明治13)年竣工
国重要文化財
福井県坂井市三国町米ケ脇(旧 坂井郡三国町)

お雇いオランダ人工師G・A・エッシャーが計画、ヨハネス・デ・レーケが監督した日本で最初の西洋式工法による近代的河口改修

三国港突堤「H測標」
国重要文化財
福井県坂井郡三国町緑ケ丘4丁目2 みくに龍翔館


三国港突堤(エッセル堤)
1880(明治13)年竣工
国重要文化財
福井県坂井郡三国町
(三国港沖防波堤)

 お雇いオランダ人技師G・A・エッシャー(G.A.Escher (1843-1939))が計画、ヨハネス・デ・レーケ(Johannis de Rijke (1842-1913))が監督した日本で最初の西洋式工法による近代的河口改修によって1880(明治13)年に竣工した九頭竜川河口の「三国港突堤」(幅9m、長さ520m)で、「エッセル堤」とも呼ばれています。
 現在の突堤は、1970(昭和45)年に新堤(約400m)が接続され、全長927mに延長され現在も導流堤兼防波堤としての機能を果たしています。

 九頭竜川は、福井県と岐阜県の県境にある油坂峠に水源がある長さ116km(流路延長)の河川で、崩河(くずれがわ)と呼ばれるほど、九頭竜川はしばしば氾濫を繰り返してきました。九頭竜川が日本海へ注ぐ河口には三国港(坂井港)があります。ここは、越前の内陸部と日本海沿岸、瀬戸内海、関西方面を結ぶ物資の流通の拠点となり、近世には北前船が往来し、賑わいを見せていました。こうした船舶の航行のために水深を確保する必要があり、江戸時代には三国港の対岸に突堤を築き、九頭竜川の流れを河口北側に導くことによって約3mの水深を生み出していました。ところがしばしば氾濫を繰り返していた九頭竜川は1868(慶応4)にも大きな氾濫を起こし、河口の北側に洪水を引き起こし村々を壊滅させてしまいました。こうしたことから、洪水の原因となった突堤は撤去されることになりました。
 この突堤が撤去されると、次第に三国港の水深は土砂の堆積によって浅くなり、船舶の航行に支障をきたすようになりました。そのため、九頭竜川の水流を日本海へ導く導流堤と、川から海へ流れ出た土砂が日本海の波によって押し戻されないようにする防波堤を建設することが必要となりました。

 三国の豪商6人が発起人(工費の大半を出資)となり、1876(明治9)年、明治政府が派遣したお雇いオランダ人技師G・A・エッシャー(G.A.Escher (1843-1939))によって設計が行われました。G・A・エッシャーによって計画がまとめられ提出された「坂井港修築建議」に基づき、ヨハネス・デ・レーケの監督によって1880(明治13)年に堤防の一部を残して竣工しました。この建設中にもしばしば台風や大波による堤防の破壊、建設機材の流失、コレラの蔓延により、すべてが完成したのは着工から8年後の1885(明治18)年で、総工費も約30万円(当時)となり計画の約10倍にも達する難工事となりました。

波による洗堀を防ぐために、粗朶沈床(そだちんしょう)の上に
最大15トンの巨石を組み合わせて築かれています。
石材(安山岩)は、三国港に近い東尋坊や雄島のものが使われています。

三国港突堤「H測標」
国重要文化財
福井県坂井郡三国町

H測標 明治十一年 起工

お雇いオランダ人技術者とかかわりのある明治時代の土木事業


技術のわくわく探検記  産業技術遺産探訪  技術科@スクール