産業技術遺産探訪 2003.4.26.

善地大橋
竣工:1953(昭和28)年
構造形式:鉄筋コンクリート・ローゼ桁橋・・・群馬県内唯一のローゼ桁橋
橋長:20.0m 幅員:3.1m
設計者:人見三郎(当時:群馬地方事務所農地課課長)
施工者:不詳

群馬県高崎市箕郷町善地・車川
(旧 群馬郡箕郷町善地・町道4-250号線)

 善地大橋は、群馬県内に現存する唯一の「鉄筋コンクリート・ローゼ桁橋」です。1951(昭和26)年の大洪水で、当時ここにあった木橋の「愛宕橋」が流出してしまいました。群馬県では、地元有志による組合組織によって架橋を行うことが明治以降かなり行われており、この善地大橋の架橋も群馬県や地元の協力によって架け替えることになり、地元の農業協同組合が中心となり、群馬地方事務所農地課長・人見三郎らの協力を得て地元民の勤労奉仕によって建設されたようです。この「鉄筋コンクリート・ローゼ桁橋」という構造形式は、当時、架橋にあたって関係者が長野県に視察に行って見学してきた橋梁を参考にしたと言われています。1953(昭和28)年に竣工しています。

 「ローゼ桁橋」は、曲げ応力に強いアーチリブと桁とを垂直材によって連結した複合構造をもつ橋梁の構造形式で、考案者の名前からローゼ桁橋と呼ばれています。


鉄筋コンクリート造であることがわかります。


橋台部分の地盤変動の影響を受けないように、橋台と桁の接合部分にコロが設置してありました!

善地大橋 ぜんぢおおはし
昭和28年5月竣工
事業主体 群馬郡??農業協同組合
総?? 西山博?吉
専務  後藤久雄
技術員 小和瀬?


善地大橋竣工記念碑

  善地大橋竣工記念碑
抑本橋梁は善地
作道各  以前は木橋愛宕橋梁と稱し
多の洪水魔に決壊しその都度応急工事を施し
が偶昭和二十六年彼の大洪水に橋脚は大岩大
悉々く流出      急遽復旧工事
補助を県      群馬地方事ム所農地課
人見三郎  トラズ 以て企
     の闘魂により昭和二十
八年五月竣工   之を善地大橋
改名し永久

昭和二十八年五月竣工
中善地建之
※判読不明部分は空欄にしてあります。

群馬地方事務所農地課 課長 人見三郎 氏の長男である 人見宣輝 氏から貴重なお話をお伺いすることができました。

人見宣輝 氏は 日産自動車株式会社の研究所で動力伝達系の研究開発を行い、その後、東北大学 工学研究科でナノ加工学の研究を長年にわたって研究されてきました。現在も東北大学大学院工学研究科でナノ精度加工学の研究をされています。人見宣輝 氏の研究を紹介します。
人見宣輝「私の開発人生とそれを導いた人達」(PDF 1.35MB) 


大木利治 様

 大木様の「産業技術遺産探訪」に書かれている「善地大橋」に関係した群馬地方事務所農地課課長人見三郎の長男です。
不明と書いてある橋の設計者は恐らく父三郎ではないかと思われますのでご連絡いたします。
 小生の娘が祖父の名が出ていると連絡してきましたので大木様のウエブを見ることができました。そこでこのメールを差し上げる次第です。

 小生が中学1年の昭和27年の夏に倉淵に母と子供4人が里帰りをして何日か滞在しました。(昭和26年の夏に疎開先に倉淵から高崎並榎に引っ越したので、その翌年ではないかと思い28年と想定しました)戻ると巻き紙のような長いトレーシングペーパを前に汗をふきふき父が図面を書いていました。そこには、今思えば、恐らく善地大橋と思われるアーチ橋の図面がほぼ完成しておりました。おそらく子供達がうるさいので田舎に追いやって仕事をしていたものと思います。子供心にも色々な部分のかなり詳細な図面が書かれていたと記憶しておりますので、細部設計までやっていたのではないかと思います。タイガー(機械式計算機)でなくそろばんと丸善の三角表を使って作業をしておりました。数年後、小生が大学に入った時にその数表をプレゼントしてくれ、結構機械設計などに重宝しました。
 昭和58年頃、父が亡くなる前にこの橋を見たいというので車で連れていったときに、橋の下のコロにはグリスがついているかなどと言われ、もぐり込んで大木様の写真にあるコロを見たことを憶えています。その時には自分設計したと言っておりましたので、恐らく設計は人見三郎ではないかと思われます。

 小生は日産自動車の研究所に勤務していた昭和の末ころ翌日に外国から大学教授がくるので隣接の追浜工場に案内する予定でした。前日に工場を下見をしておこうと丁度見学に来られた団体について歩きました。伺いましたら箕輪の農協関係の方達でした。実は父が設計した橋がお近くにあると申して、父の名を出したら、大変な盛り上がりになったことを憶えております。カッサン(課長さん)、カッサンと呼んでおられ、余りに橋の話に集中して案内嬢が話ができないほどでした。

 なお東善寺(群馬県高崎市倉渕町権田)の村上和尚様の記事もありましたが、和尚様にはいろいろとお世話になり、小栗祭(小栗上野介)の準備などをお手伝いをさせていただいたこともあります。

 末尾で大変失礼でありますが、大木様の技術を実際に調査されながら記録しておられる姿に大変立派なことと感動いたしております。


人見 宣輝 様

「技術科@スクール」 大木利治 です。

 長野県には、長野県技師をしていた中島武・技師が設計したRC(鉄筋コンクリート)ローゼ桁橋梁が、国の登録有形文化財となっています。戦争の影響による鋼材の不足からこのような橋が設計されたということですが、RCによるローゼ桁橋は世界初の実用化と言われています。その後、長野県には次々とRCローゼ桁橋が施工されています。人見三郎・技師が設計したのも長野県の影響によるものと考えられます。そして群馬県内唯一という点でも、貴重な産業遺産と考えています。
 昨年(2010年)までに、長野県のRCローゼ桁橋をすべて確認してきました。現在、まとめとWebページ「産業技術遺産探訪 長野県における鉄筋コンクリート・ローゼ桁(橋梁)」にしようとしています。その際には、善地大橋と人見三郎・技師のことも取り上げておきたいと考えています。

 今回、人見様からお知らせいただき、本当に感謝しております。ありがとうございました。

 倉渕中学校には3年間勤務していました。産業遺産の関係で、横須賀製鉄所(横須賀造船所)と小栗上野介との関係で、勤務地であった倉渕は、何かの縁だと感じています。


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