野蒜港 突堤跡

 1879(明治12)年7月、野蒜内港が着工し、突堤工事がオランダ式工法(粗朶沈床工)によって着手されました。海底に敷いた「粗朶沈床」に石を積み上げていくオランダ式工法による突堤工事は急深な海底の地形と荒波のために非常に難航し、初期の計画を縮小して3年以上かかり1882(明治15)年10月に竣工しました。
 第一期工事が落成してまもない1884(明治17)年9月、台風の襲来で東突堤の1/3が崩壊し内港が閉鎖されてしまいました。1884(明治17)年11月、野蒜内港の被害を調査した雇工師ムルデル(A.T.L.R.Mulder)らは、外港の築港がなければ内港は使えず、さらに外港の建設には数百万円(当時)の予算が必要であることを報告し、この報告をもとにして第二期工事の予算も計上されることなく野蒜築港計画は中止が決定しました。
 鳴瀬川河口の突堤は、その後、復旧工事が行われましたが、その一部が竣工当時と同様の石積みで築かれています。

東突堤跡
竣工時には東突堤は全長150mありました。

西突堤跡
竣工時には西突堤は全長80mありました。



東突堤跡から見た「北上運河」の河口(写真中央)


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