北上運河

全長: 12.8km

1878(明治11)年 6月起工
1881(明治14)年10月竣工

宮城県桃生郡鳴瀬町、矢本町、石巻市

 東北地方の開発のために、明治政府は宮城県桃生郡野蒜村(現在の宮城県桃生郡鳴瀬町)を拠点とした近代的な港湾計画と、運河による交通網の整備を計画しました。石巻湾に注ぐ鳴瀬川の河口に内港をつくり小型船舶の繋留地とし、野蒜と宮戸島の間の入江を外港とする大型船舶の停泊地を設ける計画でした。また、北上川から内港へ通じる運河と、内港から松島湾へ通じる運河をつくり、阿武隈川とも結ぶことによって、野蒜港を拠点とした東北地方の岩手県、宮城県、福島県、山形県を経済圏としてまとめようとする構想でした。
 この築港計画のために、1876(明治9)年9月、お雇い外国人技術者(内務省雇長工師)ファン・ドールン(C.J.van Doorn)によって調査が開始されました。1877(明治10)年2月 ファン・ドールンは、野蒜が港湾に適地であることを内務省へ報告し、1878(明治11)年5月に野蒜築港第一期工事の関連として「北上運河」建設が決定し、蛇田村高屋敷(現在の石巻市)に「土木局出張所」が開設されました。この「北上運河は、鳴瀬川河口の内港と北上川(現在の旧北上川)を結ぶ運河で、1878(明治11)年6月に開削工事が始まりました。1881(明治14)年1月には通船式が行われ、1881(明治14)年10月には全長12.8kmの 「北上運河」が完成しました。


運河の向こう側は石巻湾


新鳴瀬川と北上運河の合流地点
赤煉瓦の橋台が残っています。


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