産業技術遺産探訪 2003.4.26.
八幡川砂防堰堤群
「オランダ堰堤」「デ・レーケ堰堤」
竣工:1881(明治14)年〜1885(明治18)年竣工
構造形式:デ・レイケ式石積堰堤4基(堤高 5〜10m)
設計者:ヨハニス・デ・レイケ(Johannis de Rijke 1842-1913)
施工者:内務省直営
群馬県北群馬郡榛東村新井・八幡川
現在の日本の河川の骨格は、明治20年代に始まる明治改修によって形成されたものです。それまで、河川は乱雑に流れ、いたるところで氾濫を繰り返していました。これらの河川が大洪水にも耐えられるようになったのは明治中期以降になってからでした。この明治改修は昭和初期まで継続して行われた大事業でした。
ヨハニス・デ・レイケ(1842−1913)は、1873(明治6)年に内務省の要請によって来日したオランダ人技術者で、その後30年にわたって日本に滞在し、淀川、木曽三川(木曽川・長良川・揖斐川)、九頭竜川など日本各地の河川改修に尽力しました。 「川を治めるには、まず山を治める」という基本理念で、荒廃していた山地復旧のために、禿げ山の山腹工事・造林・土留めのための巨石積堰堤の築造などに関する技術指導を行い、日本における近代的な砂防技術の黎明期に大きな貢献がありました。
幕末の頃からの森林の乱伐で荒廃していた榛名山麓の復旧のために、1881(明治14)年〜1885(明治18)年には、榛名山周辺でデ・レイケの技術指導によると言われる砂防工事が内務省直轄事業として行われました。榛名山麓には堰堤120ヶ所、石垣134ヶ所が築造され、現存が確認されている堰堤は、28基あります。群馬県北群馬郡榛東村新井の八幡川には、当時築造された巨石積堰堤であるデ・レイケ式石積堰堤4基(堤高 5〜10m)や床固工(河床の洗掘を防ぐためのもの)・石積などが現存しており、全国的に見ても極めて貴重なものです。地元では「オランダ堰堤」「デ・レーケ堰堤」と呼ばれ、現在でも現役の砂防施設として機能しています。これらの施設は1903(明治36)年に内務省(当時)から群馬県に移管されています。
1号堰堤
2号堰堤
3号堰堤
4号堰堤
第4号堰堤には、八幡川砂防堰堤の案内板「八幡川とデ・レーケ」があります。
「明治政府は、日本の近代化を目指し、ヨーロッパ近代科学の導入に力を注ぎました。砂防の分野でも明治6年(1873)に、オランダ人技師デ・レーケ(Johannis de Rijke,1842〜1913)が来日し、近代砂防技術を我国に紹介しました。彼は日本各地で技術指導を行い、我国の砂防技術の発展に大きく貢献しました。本県においても明治14年から18年にかけ、榛名山麓一帯でデ・レーケの指導による砂防工事が行われました。八幡川に施工されたこの巨石堰堤もその時のものです。これは現存する施設として、全国的にみても極めて貴重なものであり、今でも土砂の流出防止、山腹の崩壊防止に役だっています。八幡川は、群馬県に於ける砂防事業発祥の地といえます。 群馬県渋川土木事務所」
桃泉三叉路バス停(日本中央バス「上野田・桃泉線」、群馬県北群馬郡榛東村)の南にある「水沢群馬橋」にも、八幡川砂防堰堤の案内板「八幡川とデ・レーケ」があります。
「明治政府は、日本の近代化を目指し、ヨーロッパ近代科学の導入に力を注ぎました。砂防の分野で明治6年(1873)に、オランダ人技師デ・レーケ(Johannis de Rijke,1842〜1913)が来日し、近代砂防技術を我国に紹介しました。彼は日本各地で技術指導を行い、我国の砂防技術の発展に大きく貢献しました。本県においても明治14年から18年にかけ、榛名山麓一帯でデ・レーケの指導による砂防工事が行われました。この時の巨石堰堤がこの八幡川の上流約1200mの所にあります。これは現存する施設として、全国的にみても極めて貴重なものであり、今でも土砂の流出防止、山腹の崩壊防止に役だっています。八幡川は、群馬県に於ける砂防事業発祥の地といえます。 群馬県渋川土木事務所」
榛名山麓の「デ・レーケ堰堤」地図写しが国土交通省・利根川水系砂防工事事務所(群馬県渋川市)で見つかりました。
毎日新聞2003(平成15)年3月22日によると、明治期のオランダ人技師、ヨハニス・デ・レイケ(Johannis de Rijke 1842-1913)が指導して築造されたと言われる榛名山東南面の「巨石堰堤」(砂防ダム)群などを記した地図の写しが国土交通省・利根川水系砂防工事事務所(群馬県渋川市)に保管されているのが見つかりました。当時の状況を知る上で貴重な資料が発見されたことになります。原本の行方は不明となっています。見つかった地図は青焼き(コピー)で、1891(明治24)年に測量された縮尺1/2000の地図5枚で、最も大きな地図は縦90cm、横380cmあり、堰堤などが手書きで記入されているそうです。
交通
JR両毛線・前橋駅から日本中央バス「上野田・桃泉線」
1号堰堤
日本中央バス「上野田・桃泉線」の「公会堂前」下車、火の見櫓の脇道を南側へ入ります。工場(倉庫)の南側道路脇にあります。陸上自衛隊相馬が原演習場にある管制塔(?)が南に見えますので、それを目印に探してください。
2号堰堤
日本中央バス「上野田・桃泉線」の「横道」下車、バス停から南側へ道を入ります。八幡川に架かる橋のところにあります。
3号堰堤・4号堰堤
日本通信衛星・群馬衛星管制所の南側に広がる杉林の中です。4号堰堤までは道があります。3号堰堤へは道はなく、杉林の東端にある民家の西で杉林に入っていくと八幡川(通常は水無川です)につきあたります。
講演会「土木技術の今・昔〜オランダの砂防から学ぶ(榛名山の砂防とデ・レイケ)」上林好之氏
(主催:国土交通省利根川水系砂防工事事務所 会場:群馬県渋川市中央公民館 14:00〜16:00)
※明治の初めに来日したお雇いオランダ人技師ヨハニス・デ・レイケ(Johannis
de Rijke)・・・
・・・神様が日本の発展のために地球の裏側の小国オランダから贈って下さった唯一人の技術者だったように思える・・・
上林好之「日本の川を甦らせた技師デ・レイケ」草思社 1999年