産業技術遺産探訪 2001.5.4.

間藤水力発電所跡
(足尾銅山・間藤電気原動所)

1890(明治23)年12月竣工
日本で3番目の水力発電所

設計顧問:ヘルマン・ケスラー技師(ドイツ・ジーメンス電気機械製造会社

栃木県上都賀郡足尾町間藤

 1877(明治10)年から足尾銅山を経営した古河市兵衛は、それまでの足尾鉱山の動力源である薪、木炭に代わるものとして、ドイツのジーメンス電気機械製造会社・東洋出張員のヘルマン・ケスラー技師の勧めで、1890(明治23)年12月、上間藤に原動所(水力発電所)を完成しました。
 足尾鉱山では、1881(明治14)年に、それまでの竹樋を使った坑内の排水を30尺の手押しポンプ2台で行うようになり、さらに1886(明治19)年にはボイラーを用いた動力ポンプを使用するようになっていました。
 1987(明治20)年にはジーメンス社のヘルマン・ケスラーの意見を採用し、排水、坑内運搬、精錬のための電気設備を新たに導入することにしました。
 1987(明治20)年に鉱山の中心地であった本山(もとやま)に火力発電所を建設し、1988(明治21)年には日本で最初の電気精錬設備が完成しました。間藤水力発電所は、これらの事業につづくもので1890(明治23)年に竣工しました。
 この水力発電所は仙台紡績会社(現在の東北電力・三居沢発電所)、下野麻紡織会社に次いで、日本では3番目のもので、松木川上流(現在の足尾ダム下)と深沢川から用水の取り入れを行うことになりました。2.9kmの水樋は、この地の山頂の水圧鉄管に接続し、落差318mの水力によって、トルビン式横水車を回転させ発電機によって電力をつくりだしました。発電所の出力は400馬力で、電力は、揚水機(坑内排水)、捲揚機(立坑ゲージ用)、坑内電車(日本初)、電灯などに使われ、足尾鉱山の近代化を強力におしすすめる力となりました。
  名残りをとどめる直径1mの鉄管の一部が上の平崖下にあり、原動所はその下の渡良瀬川原にあり、発電所の煉瓦造基礎の一部が残っています。

間藤水力発電所で使われていた水圧鉄管の一部

渡良瀬川に残る間藤水力発電所煉瓦造基礎の一部


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