産業技術遺産探訪 2003.12.23.

東北電力
三居沢発電所

国登録有形文化財
1999(平成11)年指定

1888(明治21)年竣工、日本初の水力発電所
歴史的な発電所を現役のまま稼働しつつ発電所内部を展示

三居沢電気百年館

宮城県仙台市青葉区荒巻字三居沢16

 1888(明治21)年7月1日、三居沢にあった宮城紡績会社が、紡績機用の水車を利用して、日本で最初の水力発電による電灯のあかりを点しました。のち「三居沢発電所」は、「仙台市電気部」、「東北配電株式会社」などを経て、1951(昭和26)年、東北電力株式会社に継承され、現在もなお最大出力1000kWで運転を続けています。

三居沢発電所
現在の「三居沢発電所」は1908(明治41)年竣工、1909(明治42)年5月に運転を開始しました。(第3号)
水車発電機室は木造平屋建、下見板貼のほぼ正方形プランの建屋。
寄棟屋根の中央部を一段高く上げた切妻屋根と平の面の全面明り取り窓が特徴。
棟札より棟梁伊藤今朝五郎、脇棟梁伊藤利三郎であったことが判明しています。
「三居沢発電所」設備概要
取水河川名 名取川水系広瀬川
位置  取水口 宮城県仙台市郷六字屋敷1-2
     発電所 宮城県仙台市荒巻字三居沢16
使用水量   最大 5.57m3/s
        常時 3.34m3/s
有効落差   最大出力時 26.67m
        常時出力時 27.01m
発電所出力 最大 1000kW
         常時  600kW
堰堤  重力式表面張コンクリート造
     頂長 91.7m 高さ 3.2m
導水路 開渠 388m 隧道 1681m
放水路 開渠 273m 隧道 20.1m
水車   種類 横軸二輪単流前口 フランシス水車
      台数 1台 最大出力1343kW
      回転数 428rpm
発電機  種類 横軸回転界磁型 三相交流同期発電機
      台数 1台  出力 1310kVA
      回転数 428rpm
監視制御方式 随時監視制御方式
発電所の監視および機器の操作は錦町制御所で行っています。
水車発電機室内部(発電機とフランシス水車)
余水管と水圧鉄管(長さ45m)

三居沢発電所」のあゆみ

1888(明治21)年7月1日
「宮城紡績会社」社長・菅克復が、「三居沢紡績所」に発電機を取り付け、烏崎山上にアーク灯1基、工場内白熱灯50灯の試験点灯に成功。東北地方最初の点灯。日本最初の水力発電。(現在の三居沢発電所の西北側)
発電機・・・・三吉電機工場製5kW直流発電機・1886(明治19)年製造(設計:工部大学校 藤岡市助)

三吉電機工場製5kW直流発電機・1886(明治19)年製造(設計:工部大学校 藤岡市助)
「宮城紡績会社・三居沢紡績所」の発電機と同型の発電機
(東京大学工学部所蔵・東北電力三居沢電気百年館に展示)


菅克復(かん こくふく) 1837(天保8)-1913(大正2)年
 仙台藩の支藩一ノ関藩士の家に生まれた菅克復は、明治維新後、仙台藩権大属、東京の仙台藩邸監察も務めました。しかし、武士の失業救済に心を砕いた菅克復は、機織業の将来性に着目し、私財を投じて綿織の機器を購入、1874(明治7)年、仙台・北三番丁に機織場を設立、士族の子女に職を与えました。1878(明治11)年、菅克復は松平県令の要請で宮城郡長に就任します。
 政府が洋式紡績機械12台を輸入し、1台を仙台に割り当てたことを知り、宮城県内の地主らの協力を得て、1882(明治15)年、三居沢に「宮城紡績株式会社」を創設、1883(明治16)年には、郡長を辞し、社長に就任しました。
 1882(明治15)年、東京の銀座に1本のアーク灯がともりました。「夜なお昼のごとし」と伝え聞いた「宮城紡績株式会社」の菅克復は、仲間5人と視察に上京しました。東北でも電灯事業をと同郷の富田・日本銀行副総裁に相談しますが、時期尚早と断られてしまいます。しかし諦めきれない菅克復は、発電機とアーク灯を購入して「宮城紡績工場」に戻り、1888(明治21)年7月1日、三居沢の「宮城紡績工場」内の水力を利用して、アーク灯50基(1基10燭灯)を点灯しました。この時の水力発電は、東京芝三田四国町の「三吉電機製造会社」製の5kW発電機を紡績用の水車に取り付けて発電したもので、日本最初の水力発電となりました。菅克復がともした烏崎山(からすざきやま)のアーク灯を見て、人々は「狐火か?」と恐れ、巡査まで駆けつける騒ぎとなったそうです。


1894(明治27)年7月15日
「仙台電灯株式会社」開業。仙台市内に365灯の電灯を点す。(現在の三居沢発電所の西隣)
発電機・・・・三吉電機工場製30kW交流発電機

仙台市における電灯数365

1896(明治29)年
「仙台電灯株式会社・三居沢発電所」竣工(第1号、現在の三居沢発電所の西隣)
発電機・・・・芝浦製75kW三相交流発電機
水車・・・・芝浦製125馬力竪軸

1897(明治30)年7月
三居沢に「仙台製紙株式会社」創立

1897(明治30)年10月
「宮城水力紡績株式会社」と「仙台製紙株式会社」が合併し、「宮城水力紡績製紙株式会社」と社名を変更する。

1898(明治31)年
仙台市における電灯数3200

1899(明治32)年10月
「宮城水力紡績製紙株式会社」と「仙台電灯株式会社」が合併し、「宮城紡績電灯株式会社」と社名を変更する。
取締役社長 伊藤清次郎
取締役支配人 本間亮一郎

伊藤清次郎(いとう せいじろう) 1856(安政)年〜1938(昭和13)年)
 仙台・河原町の富豪、小西家の一族。小西家の旧姓、伊藤家を父清治が再興、清治の次男に生まれました。戊辰戦争の時、輪王寺宮(のちの北白川宮能久親王)が仙台・仙岳院に来駕された時、13歳で御附人となりました。
 1893(明治26)年10月に創立した「仙台電灯株式会社」が、三居沢の「宮城水力紡績会社」の水力発電を利用して電灯事業を開始します。翌1894(明治27)年7月15日、仙台市内へわずか365灯でしたが、交流方式で初めて一般への配電を開始しました。
 1899(明治32)年、「宮城水力紡績株式会社」と「仙台電灯株式会社」が合併して「宮城紡績電灯株式会社」が設立されると、伊藤清次郎は推されて社長となりました。現在の「三居沢発電所」は、伊藤清次郎が社長時代に建設したものです。1912(大正元)年、仙台市の買収に応じて、電気事業の全てを仙台市に移管しました。
 1919(大正8)年、「仙台市街自動車会社」(仙台市営バスの前身)の創設にも参画しました。「電狸(でんたぬ)」の号を持ち、「仙台昔話 電狸翁夜話」を著わしています。1884(明治17)年、仙台区会議員、1889(明治22)年、仙台市会議員、1892(明治25)年、宮城県会議員に当選しました。

1900(明治33)年2月
「宮城紡績電灯株式会社・三居沢発電所」竣工(第2号、現在の三居沢発電所の西隣)
発電機・・・・300Kw 2台
水車・・・・レッヘル型

明治33年当時の隧道出口

仙台市における電灯数4162

1901(明治34)年
仙台市における電灯数4837

1902(明治35)年7月
藤山常一が日本で最初のカーバイト製造に成功。三居沢にカーバイト製造所設立

1903(明治36)年
仙台市における電灯数4889

1904(明治37)年
仙台市における電灯数6074

1905(明治38)年
仙台市における電灯数6193

1906(明治39)年
仙台市における電灯数6545

1907(明治40)年
仙台市における電灯数6821

1908(明治41)年10月15日
現在の「三居沢発電所」上棟式
本建屋は木造平屋建、下見板貼のほぼ正方形プランの建屋。
寄棟屋根の中央部を一段高く上げた切妻屋根と平の面の全面明り取り窓が特徴。
棟札より棟梁伊藤今朝五郎、脇棟梁伊藤利三郎であったことが判明しています。

三居沢発電所 棟札(棟上げの時、工事の由緒、建築の年月、建築者または工匠の名などを記して棟木に打ち付ける札)
現在の三居沢発電所の上棟式(1908(明治41)年10月15日)の折、棟木に取りつけたものです。
起工 1907(明治40)年8月
竣工 1909(明治42)年3月
建築設計   棟梁・伊藤今朝五郎 脇棟梁・伊藤利三郎

仙台市における電灯数7465

1909(明治42)年5月
現在の「三居沢発電所」運転開始。(第3号)
水力発電設計 太田千之助
発電機・・・・ドイツ・シーメンス・シュッケルト社製1000Kw
水車・・・・ドイツ・フォイト社製 フロンタル型

仙台市における電灯数13313

1910(明治43)年
仙台市における電灯数17943

1911(明治44)年
仙台市における電灯数25299

1912(大正元)年12月
「宮城紡績電灯株式会社」が設備の一切を仙台市に譲渡する。「三居沢発電所」は「仙台市電気部」所属となる。

1922(大正11)年
洪水により第2号発電所廃止。

1942(昭和17)年
「東北配電株式会社」の創立で、発電所も同社の所属となる。「東北配電株式会社・三居沢発電所」

1949(昭和24)年
従来の豊水型ランナーから渇水期高効率の現在のランナーに交換する。

1951(昭和26)年5月1日
「東北電力株式会社」の発足により、東北電力の所属となる。


1978(昭和53)年
自動化され、「東北電力・錦町制御所」より遠隔制御が行われる。

1999(平成11)年8月23日
文化財保護法の規定により、文化財登録原簿に登録。(登録有形文化財・第04-0025号)


三居沢電気百年館

東北電力(株)山居沢電気百年館のWebページはこちら
http://www.tohoku-epco.co.jp/fureai/pr/sankyo/

 1888(明治21)年7月1日、ここ三居沢にあった宮城紡績会社水力発電によって、東北で初めて電気のあかりをともしました。以来、三居沢発電所は日本で最も古い水力発電所として現在も発電を続けています。この三居沢電気百年館は、東北の電気誕生から百年目を記念し東北電力株式会社によって1988(昭和63)年9月24日に設置されたものです。
 三居沢発電所の歴史、東北の電気事業の歴史、電気の現在から未来などを学ぶことができます。

おもな展示物

「宮城紡績会社・三居沢紡績所」の発電機と同型の発電機

伊藤清次郎「仙台昔語 電狸翁夜話」(大正14年)

宮城紡績電燈株式會社・水利工事設計圖(明治33年当時の発電所工事絵地図)
平面圖 弐千分一 側面圖・正面圖 五拾分一 

三居沢・白石・大倉発電所
仙台市営電気事業・仙台市電気供給区域及び配電系統図(大正5年)

秋保電氣株式會社・電燈電力営業規定、電燈電力申込手続(大正5年)

福島電燈株式會社創立事務所・仮点火規定(明治28年)

La Fee Electricite(電気の精)・・・制作者 Raoul Dufy(1877-1953)
 デュフィ(Raoul Dufy(1877-1953))のこの作品は、1937年のパリ万国博覧会の「リュミエール(光)の館」のための大壁画として制作されたものです。ミレトスのタレスに始まって、アルキメデスからエジソンまで、電気の発見と物質的進歩に貢献した学者や哲学者たちが光の中にモザイクされ、電気の発見と利用の変遷が、自然と人間の営みの中に流麗に構成されています。
 ”La Fee Electricite(電気の精)”は現在、油彩画で最重要作品としてパリ近代美術館に保存されておりますが、この作品はリトグラフとして1953年に新たに制作されたものです。

三居沢発電所(リトグラフ)
ベルナール・ビュフェ(Bernard Buffet)作


「水力発電発祥之地」記念碑

 1888(明治21)年7月、三居沢の地において、東北で初めて電気の灯がともされました。その後、宮城水力紡績株式会社、仙台電灯株式会社に始まった東北地方の電気事業者は、200有余を数えましたが、整理統合など幾多の変遷を経て、1951(昭和26)年5月1日、東北電力株式会社が誕生しました。この「水力発電発祥之地」記念碑は東北電力の創立50周年を記念して2001(平成13)年5月1日に三居沢電気百年館に建てられたものです。


日本の「電気化学工業」発祥の地「三居沢」

 1902(明治35)年、三居沢で日本最初のカーバイトが製造されました。これは、当時、三居沢にあった「宮城紡績電灯会社」の技師長、藤山常一が、電気炉を使用して製造したもので、日本における電気化学工業の発祥となりました。

藤山常一(ふじやま つねいち) 1873(明治6)年〜1936(昭和11)年
 佐賀県神崎郡唐香原に生まれる。1898(明治31)年、東京帝国大学卒業。1901(明治34)年、伊藤清次郎に招かれて「御田着紡績電灯株式会社」技師長に就任した藤山常一は、外国の雑誌を読み、カーバイトの製造を思い立ち、試験に着手しました。生石灰と炭素を電気炉に装入して、カーバイトを製造することを発明したのは、カナダ人のウィルソンで、1892(明治35)年のことです。ウィルソンが発表した10年後の1902(明治35)年に三居沢の地で、藤山常一の手によって日本最初のカーバイトが製造されました。藤山博士は、日本の電気化学工業の生みの親となったわけです。
 工場は最初は「宮城水力紡績製紙会社」の倉庫を使用していましたが、のちに新たに工場を建設しました。電力は三居沢発電所の余剰電力を使用し、石灰の原石は登米郡内、木炭は地元八幡町で購入、カーボンは最初は輸入品でした。
 商標は「山三カーバイト」とし、販売を仙台大町の双輪自転車屋に委託しました。カーバイトは、初めは自転車や夜店のランプに使用されましたが、のちには石灰窒素や硫安などの「人造肥料(化学肥料)」を生み出すことになりました。


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