技術のわくわく探検記 2000.8.23.

シャープ株式会社
歴史ホール・技術ホール

SHARP MEMORIAL HALL / SHARP TECHNOLOGY HALL
http://www.sharp.co.jp/corporate/showroom/tenri/
奈良県天理市櫟本(いちのもと)町2613−1
シャープ総合開発センター内

シャープ 総合開発センター シャープ 歴史ホール・技術ホール
 1970(昭和45)年に「早川電機工業株式会社」から「シャープ株式会社」に社名変更し、
奈良県天理市に「総合開発センター」が竣工しました。
 1981(昭和56)年には「総合開発センター」内に「歴史ホール・技術ホール」が完成しました。
この「歴史ホール・技術ホール」には、創業時代のベルトのバックル、シャープペンシル、鉱石ラジオ
から最新の液晶技術まで、シャープのエポックメイキングとなった数々の製品が展示されています。

歴史ホール


シャープ株式会社・・・それは「バンドのバックル」や「シャープペンシル」からはじまった

 1912(大正元)年、現在のシャープの創業者となる早川徳次は、バンドのバックル「徳尾錠」を発明しました。そしてこの「徳尾錠」の製作販売を開始するため、東京で金属加工業を創業します。当時の資本金は約50円で、3人で工場をスタートさせました。
 1913(大正2)年には、 「5号巻島式水道自在器」を発明し、さらに1915(大正4)年には、シャープペンシル(早川式繰出鉛筆)を発明しました。この「シャープペンシル」が現在の社名「シャープ」の由来となっています。シャープペンシルは英語では「mechanical pencil」とも言いますが、日本語ではもともと製品名であった「シャープペンシル」が名称としてそのまま使われるようになっています。「シャープペンシル(早川式繰出鉛筆)」は当時の価格で金張り7円、銀製3円、ニッケル製1円でした。「シャープペンシル(早川式繰出鉛筆)」の製造と販売にともない、「早川兄弟商会金属文具製作所」を設立し、欧米各国にもシャープペンシルの輸出を開始しました。1916(大正5)年には、「エバー・レディ・シャープ・ペンシル」と命名し、1920(大正9)年には、東京・押上に分工場を創設しています。


ベルトのバックル、シャープペンシルからはじまった・・・


創業当時の工場が模型で再現されています。

 1923(大正12)年9月1日に起こった関東大震災によって、シャープペンシル工場を焼失してしまいました。早川徳次は大阪へ移り、12月に従業員とともに工場の再起を図ります。1924(大正13)年、大阪で「早川金属工業研究所」を設立し、新たな事業としてラジオの研究に着手します。

1925年(大正14年)
第1号鉱石ラジオ受信機
 この第1号鉱石ラジオ受信機は、1925(大正14)年2月、組立に成功し、量産販売を開始した歴史的な製品です。モールスの手動電鍵一つで試音を送って実験をしました。当時の価格は3円50銭でした。
※大阪におけるNHKのラジオ本放送開始は、4ヵ月後の6月1日で、当時の聴取世帯数は5455世帯で、受信料は月1円でした。

 こうしてはじまったラジオ研究をきっかけとして、真空管ラジオやラッパ型スピーカーを開発・製品化していきます。
 1931(昭和6)年には「電波研究室」を設置してテレビ研究に着手しはじめます。
 1936(昭和11)年に「早川金属工業株式会社」と改称、1942(昭和17)年に「早川電機工業株式会社」と社名変更します。

 1951(昭和26)年にはテレビ受像機の試作に成功しました。
※家庭用テレビ受像機の開発については「プロジェクトX〜挑戦者たち 執念のテレビ・技術者魂30年の闘い NHK総合テレビ 2003年1月28日放送」で紹介されました。
 早川電機工業の技術者・笹尾三郎氏、春山丈夫氏らは、浜松高等工業学校の学生の時(当時18歳)高柳健次郎氏の授業を受け、テレビに懸ける姿に魅せられました。家庭用テレビ受像機に鮮明な映像を写すための走査線(525本)制御システムの研究を行い、磁場で走査線を制御するための「コサイン巻による偏向コイル」を開発しました。しかしこれらの基本特許は米国のRCA社が取得していましたが、高柳健次郎氏の紹介もあり特許使用許可を得ることができました。

 こうして1953(昭和28)年に、日本で初めてテレビ受信機の量産(白黒テレビ TV3−14T)を発売。当時の価格は17万5000円でした。 この年の2月1日にNHKテレビの放送が開始されました。この当時は1日4時間の放送でした。(受信料月額200円で、契約件数は866件でした。)8月28日には民間テレビ放送の日本テレビ(NTV)が放送を開始し、街頭テレビも登場します。


 1961(昭和36)年、日本初の電子レンジ(R−20)が開発され、1962(昭和37)年には、国産第1号電子レンジ(R−10)が発売されました。当時の価格は54万円でした。1966(昭和41)年には、国産初のターンテーブル式電子レンジ(R−600)を発売しました。当時の価格は19万8000円でした。こうしてはじまった電子レンジの開発と製品化は、1984(昭和59)年、世界で初めて電子レンジの世界生産累計が1000万台に到達しました。

トランジスタラジオ TR−202
当時の価格 10900円
1959年(昭和34年)
トランジスタラジオ BH−351
当時の価格 10900円

宇宙時代を反映したスマートなロケットスタイルです。
「トランケット」の愛称で人気を博しました。
スピーカー部がそのままダイヤルツマミとなる新方式を採用しています。
1964年(昭和39年)
早川電機工業(現在のシャープ)第1号電子式卓上計算機 CS−10A
 世界初のオールトランジスタダイオードを使用した電子式卓上計算機CS−10Aは、イギリス・ロンドンにある「英国立科学産業博物館(大英科学博物館)」(the National Museum of Science & Industry)で、コンピュータ・情報処理機器コレクションとして展示されています。
※この電子式卓上計算機 CS−10Aは当時の価格で53万5000円でした。当時の公務員の初任給は19000円、NHK放送受信料(昭和37年)330円(テレビ・ラジオ)でした。

 1966(昭和41)年に、世界初のIC電卓(CS−31A)を発売。当時の価格35万円
 1967(昭和42)年、オールIC電卓(CS−16A)を発売。当時の価格23万円
 1969(昭和44)年、世界初のLSI電卓(QTー8D)を開発。当時の価格9万9800円
 1971(昭和46)年、電卓の量産化に対して、シャープ株式会社に「大河内生産賞」が贈られています。
 1973(昭和48)年、世界で始めて液晶を表示装置に使ったCOS化電卓(EL−805)を開発。当時の価格26800円


世界初MOS−IC化 電子式卓上計算機


技術ホール



多結晶金属シリコンのインゴット


トランジスタの山
これだけのトランジスタに相当するものが、1つのLSIチップ内に集積されています。
※シャープがLSIの量産を開始したのは1970(昭和45)年からです。

電離層観測衛星「うめ」

 「うめ」は宇宙開発事業団が1976(昭和51)年2月29日に打ち上げに成功した、日本初の実用電離層観測衛星です。この「うめ」にはシャープの太陽電池が電源用として4940枚搭載されています。
※早川電機工業(現在のシャープ)が日本で最初に太陽電池の量産に成功したのは1963(昭和38)年でした。1961(昭和36)年には、太陽電池を民生用として初めて使用した「太陽電池付トランジスタラジオ BX−381」を発売しています。1966(昭和41)年には、世界最大の太陽電池を長崎県御神島灯台に設置するなど、太陽電池の開発と製造には長い歴史があります。
 また宇宙開発技術に関連しては、1971(昭和46)年にELSIの技術がアポロ宇宙船の打ち上げに貢献したとして米航空宇宙局(NASA)から「アポロ功績賞」を贈られています。

航空機コックピット用カラーTFT液晶ディスプレイ
(コックピット用高精細液晶ディスプレイ)
米国ロックウェル社グループのロックウェルコリンズ社と共同開発したものです。

 世界をリードするシャープのTFTカラー液晶技術
 1988(昭和63)年、世界初めて「14型TFTカラー液晶ディスプレイ」の開発に成功
 1992(平成4)年、世界最大「17インチTFTカラー液晶ディスプレイ]を開発

 シャープのEL(エレクトロ・ルミネッセンス)技術開発
 1974(昭和49)年、薄膜EL(エレクトロ・ルミネッセンス)素子を開発
 1977(昭和52)年、厚さ3センチのELテレビを開発
 1983(昭和58)年、業界初のELディスプレイ量産工場が稼働


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