大英科学博物館展
Treasures of the Science Museum

1998.8.20.
東京国際フォーラム(東京都千代田区丸の内)

the National Museum of Science & Industry
英国立科学産業博物館

 1998年7月22日(水)〜8月30日(日)に東京国際フォーラムを会場として、「大英科学博物館展」が開催されました。
 「英国立科学産業博物館(大英科学博物館)」では大がかりな展示変更計画を実施することになり、新館の建設が予定されました。このため、2年以上にわたって通常の一般公開展示品は収蔵庫に納められる予定でした。そんななかで、多くの展示物を一時移動することになったのをきっかけに、約60点の収蔵品を貸し出すことが決定されました。これは初めて海外に貸し出されるものであり、今回の展示品はこれまで英国外に持ち出されたことのないものばかりで、海外での公開は今回が最初で最後になるということです。
 

「大英科学博物館展」カタログ  「少年少女ガイド」
 子供向けのワークシート式見学ガイドです。
 産業革命期の機械や工場労働などにつぃて良くまとめられています。

 東京で開催期間中の8月20日に見学してきました。(大英科学博物館展は北九州と神戸でも開催されました。)会場では、スティーブンソンの「ロケット号」のみ撮影が許可されていましたので、紹介します。
 1829年に開催された競技会「レインヒル・トライアル」で優勝して蒸気機関車の有効性を示し、鉄道時代の基礎を築いたスティーブンソンの「ロケット号」は、その基本原理を以後150年にわたって発展していく蒸気機関車すべてに応用されることになります。
 「ロケット号」の設計で採用された当時の最新技術は、次の3点です。 

  1. 多数の「煙管」を使って伝熱面積を大きくし、蒸気の発生量を増加させたボイラー。
  2. シリンダーからの蒸気を排気管を通して煙突内へ送り、燃焼ガスの排気を促し、煙管を通過する火炎を誘導してボイラーでの燃焼を強めるしくみ。
  3. ピストンの往復運動を連接棒で動輪へ直接伝える方式。

 「ロケット号」は乗り心地を改善するために1831年頃改造されました。このためシリンダーの位置が下げられ、煙箱と緩衝器が装備されます。1840年頃まで、この改造した車両が旅客・貨物用として、後に石炭運搬用として使用されていました。1862年に多少修復され「特許博物館」へ寄贈されます。現存の車両は1829年〜1936年の部品によって構成されていると考えられ、初期のものではなく、改造後の「ロケット号」に近いということです。 

スティーブンソンの「ロケット号」
Robert Stephenson's Rocket 1829
けっこう大きな車体です。 シリンダー
連接棒は、付いていませんでした。 運転のための各種レバーがあります。
煙管式ボイラー! 緩衝器が付いていた痕跡があります。
レールにも特徴があります。 木製スポーク

展示品一覧はこちらをクリックしてください。


 「英国立科学産業博物館(大英科学博物館)」の歴史
 「英国立科学産業博物館(大英科学博物館)」の設立の背景には、2つの要因がありました。1つは、科学教育と技術教育を改善しようという関心の高まり、2つめは科学者や技術者たちの功績の記録し顕彰したいという願いからと言われています。
 19世紀半ば、英国の科学・技術教育の改善運動の中心的存在であったアルバート公(ビクトリア女王の夫君)は、1851年に開催された第1回万国博覧会の収益金で「サウス・ケンジントン博物館」を1857年に公開します。この博物館には万国博覧会の展示品の一部と、機械・産業工場の模型、食品生産や畜産に関する資料、建造物の見本、初等教育で使われた書籍、模型、道具などの教材が展示されました。1870年代には「王立造船船舶学校」から機械模型や造船の過程を示す構造模型などが移されます。1883年には図書館(現在の付属図書館)が設立され科学史・技術史の研究に役立てられました。また、アルバート公は「工業教育の方法を拡充し、生産技術に対する科学・技術・芸術の影響力を高める」ために政府に「科学・技芸局」を発足させるようにも働きかけています。1884年に「特許博物館」を吸収し、ベネット・ウッドクロフトが収集していた、教育目的で製作された有名な機械の実物の特許用模型や複製品が収蔵品に加えられます。ベネット・ウッドクロフトの尽力によって、1813年に製造された現存するものでは世界最古の蒸気機関車「パッフィング・ビリー号(煙吐きビリー号)」、スティーブンソンの「ロケット号」、現存する世界最古の船舶用蒸気機関(ウッドクロフトまたはウィリアム・サイミントンによるもの)、ジェイムズ・ワットの仕事場の正確な移設など、重要な収蔵品が集められました。
 1885年には科学・技術関連の収集品と美術品との分離が行われ、美術館が別に新設されます。1828年に新館がオープンし、1931年には「子どもギャラリー」が開設します。「子どもギャラリー」では、こどもたちが科学・技術の原理を体験できる観客参加型展示の先駆です。これは人気が高く1933年には年間入場者数125万人を記録しました。
 第二次世界大戦中の休館を経て、1946年2月に開館し、1951年には万国博覧会開催100周年記念「フェスティバル・オブ・ブリテン」に出展されたものがコレクションに加えられました。1970年代の展示場の増設に続き、1976年には「ウェルカム医学史博物館」から医療の歴史に関する貴重な所蔵品が移され、1980年〜1981年に新しいギャラリーとしてオープンしました。
 1975年9月には、英国立科学産業博物館の一部門として、鉄道の重要な拠点であったヨークに「国立鉄道博物館」が開館し、1968年の運輸条例による英国運輸委員会の援助で収集された100両以上の鉄道用車両が移されています。1980年には英仏共同開発の超音速旅客機コンコルド(英国試作機)専用博物館がサマーセット州ヨービルトンに、1883年にはブラッドフォードに写真・映画・テレビジョン博物館が設立されました。
 現在、英国立科学産業博物館には年間300万人の利用者(学校教育の一環として児童・生徒は30万人が利用)があり、1983年からは首相に任命された理事会により運営され、「文化・メディア・スポーツ省」から費用の助成金を得ています。2000年完成予定の「ウェルカム・ウィング」は、情報技術と遺伝子工学に関するスペースになります。


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