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信越本線碓氷峠鉄道施設
旧線(アプト線)

橋梁

 1874(明治7)年には約120人いたお雇い外国人技師は、1876(明治9)年の後半に激減していき、工部省が廃止された1885(明治18)年12月では、鉄道局に所属したお雇い外国人技師は15人になっていました。これは、鉄道技術が日本人技師らによって自立していったことを示していますが、鉄道のさまざまな建造物の中で、最も長く外国人技師に依存したものは「橋梁」で、特に「橋桁」でした。橋梁の設計と架設工事は明治後期まで技術的に自立することができませんでした。橋梁の設計と架設工事では、イングランド、セオドール・シャン(Theodore Shann イギリス)、シャービントン(Thomas R. Shervinton イギリス)らが担当しており、のち1882(明治15)年5月には、パウネル(Charles Assheton Whately Pownall イギリス)が雇用されて1896(明治29)年2月に帰国するまでの期間、橋梁の設計と架設工事を行っていました。パウネルの帰国後は、古川晴一が橋梁の設計のほとんどを行っていますが、主要なものはまだ外国人技師によって行われました。日本人技術者によるものは明治末になってからでした。

 碓氷線の橋梁は、パウネル(Charles Assheton Whately Pownall イギリス)によって設計されたものでした。
 碓氷線の建設当時のカルバート(溝橋)は21ヶ所で、石蓋は6ヶ所、その他は煉瓦造アーチ橋(煉瓦拱橋)でした。桁橋を使用しなかったのは、アプト式軌道は、線路の中央に歯状の軌条(ラックレール)があり、鉄製枕木の全体を支持できる構造を必要としたためでした。
 橋梁は総数18ヶ所で、そのうち1ヶ所に鉄製桁を使用しましたが、その他は煉瓦造アーチ橋(煉瓦拱橋)でした。径間は15フィート(約4.57m)が1つ、その他は24フィート(約7.32m)、36フィート(約10.97m)、60フィート(約18.29m)でした。。橋台と橋脚は基礎の2〜3段に石を使っていますが、その上は石または煉瓦を使用し、アーチ部分より上は全て煉瓦を用いていました。その代表的な橋梁は碓氷第3橋梁(碓氷川橋梁)です。
 橋梁工事着工後、1891(明治24)年10月に、岐阜と愛知地方に強い地震が発生し、その被害が大規模であったことから、パウネルは各橋梁の設計見直し、煉瓦積の柱などには中間の所々に直立の石柱を挟み、また煉瓦を縦に用い、アーチを積むのにも所々に縦に煉瓦を用いて煉瓦相互を結合させるなどの補強工事を追加しています。
 碓氷線の橋梁は、耐震性の向上だけでなく、輸送量増強のための補強工事を繰り返し行っており、そのたびごとに径間などが小さくなっています。

碓氷峠鉄道施設マップ

橋梁
(高架橋)
viaduct
溝渠(拱渠)
カルバート
culvert
構造物名 径間長×数 橋欄長 高さ
(川底から施工面まで)
復元模型
橋梁費額
(橋梁長1尺あたりの費用)
C1
一部現存?
C2
C3
現存
C4
C5
B1 碓氷第1橋梁
(霧積川橋梁)
橋台のみ現存
10.97m×3
(36ft×3)
46.79m
(153.50ft)
12.65m
(41.50ft)
11290.842円
(37.549円)
C6
2.44m×1
碓氷第1跨線橋
T1
C7
現存
2.44m×1
B2 碓氷第2橋梁
国重要文化財
現存
7.32m×1
(24ft×1)
24.95m
(81.84ft)
12.19m
(40.00ft)
7104.872円
(86.814円)
T2
碓氷第2跨線橋
C8
現存
2.43m×1
T3
C9
T4
C10
現存
3.05m×1
T5
B3 碓氷第3橋梁
(碓氷川橋梁)
国重要文化財
現存
18.29m×4
(60ft×4)
91.06m
(298.75ft)
31.39m
(103.00ft)
45987.348円
(153.932円)
T6
B4 碓氷第4橋梁
国重要文化財
現存
7.32m×1
(24ft×1)
9.76m
(32.01ft)
4.42m
(14.50ft)
1050.921円
(32.831円)
B5 碓氷第5橋梁
国重要文化財
現存
10.97m×1
(36ft×1)
15.79m
(51.81ft)
8.84m
(29.00ft)
3492.785円
(67.415円)
T7
T8
B6 碓氷第6橋梁
国重要文化財
現存
10.97m×1
(36ft×1)
51.87m
(170.16ft)
17.37m
(57.00ft)
8053.604円
(47.329円)
T9
C11
現存
1.83m×1
T10
C12
2.44m×1
C13
1.83m×1
B7 碓氷第7橋梁
一部現存
4.57m×1
(15ft×1)
9.45m
(31.00ft)
4.66m
(15.30ft)
2875.729円
(92.765円)
T11
B8 碓氷第8橋梁 新線下り線の建設に伴い撤去
7.32m×1
(24ft×1)
11.28m
(37.00ft)
7.32m
(24.00ft)
3107.399円
(83.983円)
T12
B9 碓氷第9橋梁 新線下り線の建設に伴い撤去
10.97m×1
(36ft×1)
18.59m
(61.00ft)
6.71m
(22.00ft)
3239.722円
(53.110円)
T13
B10 碓氷第10橋梁 新線下り線の建設に伴い撤去
7.32m×1
(24ft×1)
19.81m
(65.00ft)
10.36m
(34.00ft)
5734.169円
(88.218円)
T14
B11 碓氷第11橋梁
旧線開通当時の橋梁は1910年に撤去
旧線当時から新線まで使われていた唯一の橋梁
旧線当時は煉瓦造
7.32m×1
(24ft×1)
10.97m
(36.00ft)
8.53m
(28.00ft)
2409.586円
(66.933円)
T15
B12 碓氷第12橋梁 新線下り線の建設に伴い撤去
斜拱橋
7.32m×1
(24ft×1)
13.17m
(43.20ft)
7.93m
(26.00ft)
2872.708円
(66.498円)
T16
C14
現存
3.05m×1
T17
B13 碓氷第13橋梁
(中尾川橋梁)
現存
7.32m×5
(24ft×1)
51.74m
(169.75ft)
10.06m
(33.00ft)
10659.317円
(62.794円)
T18
C15
3.05m×1
B14 碓氷第14橋梁 新線下り線の建設に伴い撤去
7.32m×1
(24ft×1)
10.36m
(34.00ft)
5.79m
(19.00ft)
790.310円
(23.244円)
T19
B15 碓氷第15橋梁 新線下り線の建設に伴い撤去
斜拱橋
7.32m×1
(24ft×1)
12.31m
(40.40ft)
4.12m
(13.50ft)
2548.665円
(63.085円)
T20
B16 碓氷第16橋梁 新線下り線の建設に伴い撤去
7.32m×1
(24ft×1)
11.28m
(37.00ft)
7.32m
(24.00ft)
1944.261円
(52.548円)
T21
C16
1.83m×1
T22
C17
1.83m×1
T23
B17 碓氷第17橋梁 新線下り線の建設に伴い撤去
10.97m×2
(36ft×2)
42.44m
(139.25ft)
14.63m
(48.00ft)
6381.567円
(46.618円)
T24
C18
1.83m×1
T25
T26
B18 碓氷第18橋梁
(矢ヶ崎川橋梁)
開通当時は錬鉄桁橋のちに I 桁橋へ架替
4.57m×1
(15ft×1)
4.57m
(15.00ft)
2.13m
(7.00ft)
970.662円
(64.710円)

 日本国有鉄道では、径間1m以上(多径間の場合は、径間のうち1つでも1m以上の径間があれば)を「橋梁」と呼び、橋梁のうちで1径間が1m以上、5m未満のものを「溝渠(カルバート)」と呼びました。また、1m未満は「伏樋(暗渠)」または「下水渠(開渠)」と呼びました。(日本国有鉄道「土木建築関係統計報告等基準規程」(1965(昭和40)年5月20日付・施建達第一号))
 また、碓氷線開通当時の基準規程では、径間15フィート(約4.6m)以上を「橋梁」と呼び、10フィート(約3m)以下を「溝渠(カルバート)」としていました。


参考資料
渡邊信四郎「碓氷嶺鐵道建築略歴」(「帝国鐵道協会会報 第9巻5号」PP.465-540 1908(明治41)年)


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