産業技術遺産探訪 2005.9.24.

旧 盛岡高等農林学校本館
岩手大学農学部附属農業教育資料館
1912(大正元)年12月竣工

門番所  旧 正門

国重要文化財

岩手県盛岡市上田3丁目18-8

重要文化財
旧 盛岡高等農林学校 本館
1994(平成6)年7月12日指定
 この建物は、旧盛岡高等農林学校の本館として、1912(大正元)年12月に建てられた明治後期を代表する木造欧風建築物です。当時は、校長室、事務室、会議室の他、二階は大講堂として使われていました。その後、1977(昭和52)年に、老朽化が激しくなったため、修復を行い、1978(昭和53)年からは岩手大学農学部附属農業教育資料館として使用されています。また、1994(平成6)年10月に大修復が竣工しました。
 この旧本館は、明治期に設置された国立専門学校の中心施設として現存する数少ない遺構の一つであり、日本の学校建築の歴史を知る上で貴重な建物です。ほとんど建築当時の姿を留めており、保存状態も良好であることから、重要文化財に指定されました。
旧 盛岡高等農林学校 門番所 旧 盛岡高等農林学校 正門
 この建物は1903(明治36)年、盛岡高等農林学校正門(現在の通用門)に建てられた門番所(守衛所)です。設計は文部省、施工は宮城県登米町、棟梁 佐藤朝吉氏の指導を受けた大工による「寄せ棟風八角」の造りで、建築文化にとって価値ある明治期の「門番所」を語り伝えています。本館竣工時の1912(大正元)年に、現在地に移設されました。  旧盛岡高等農林学校の正門は、1902(明治35)年の創立当時、南側(上田与力小路)に造られましたが、1912(大正元)年に本館が建てられると現在の場所に新設され、元の正門は通用門と呼ばれていました。この正門は、門柱と両袖土塁を含め、当時のままの姿を留めています。
重要文化財 1994(平成6)年7月12日指定

              

宮澤賢治モニュメントについて
 岩手大学農学部同窓会(北水会)が、盛岡高等農林学校以来の創立百周年記念事業の一環として建立し、岩手大学に寄贈したもの。制作者は、岩手大学教育学部の藁谷収(わらがい・おさむ)教授。賢治の花巻農学校時代も終わりに近い、大正十五年始めに、農学校付近の畑で撮ったといわれる写真がモチーフ。帽子を被ってうつむいているその代表的な写真は、ベートーヴェンにならっているのだという。素材は、賢治の色々な作品の中にも出てくるなど、賢治とも関係の深い安山岩で、岩手県北の安代(あしろ)町の山中で求められ、彫刻には難しい点もあるこの素材のほとんどが手彫りでなされている。横から見ると賢治の立ち姿のシルエットが浮かび上がるところは、抽象と具象との間に真実を探ろうとしたもので、長年の構想を温めながら、直接的には半年ほどの製作であったという。横に広がる像は賢治精神が未来へとつながっていくイメージを表現していて、賢治の志を後に続く者が受け継いでいくという思いも制作意図には秘められているという。

建第二三〇一号
重要文化財指定書
岩手大学農学部(旧盛岡高等農林学校)二棟
旧本館
木造、建築面積500.82平方メートル、二階建、スレート葺
門番所
木造、建築面積27.27平方メートル、鉄板葺
附・旧正門 一所
門柱及び両袖土塁よりなる
右を重要文化財に指定する
平成六年七月十二日
文部大臣 与謝野 馨

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農業教育資料館の公開
下記のとおり公開しております。

1.開館日 月曜日〜金曜日
平成17年4月29日(金)〜10月30日(日)の期間
平日及び土日祝祭日休館日無しで開館します。

2.開館時間 午前10時〜午後3時

3.入場料
区分      個人  団体
一般     140円 80円
高校・大学生 100円 70円
小・中学生   70円 40円
※団体とは20人以上同時に入館し、かつ、引率者が定められている場合
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農業教育資料館の由来
わが国、最初の高等農林学校が、盛岡のこの地に創学されたのは、明治36年のことである。爾来、この地は「農業教育の磁石」となった。磁石の一方の極は農業、農民への愛であり、他極は、農業を探究する教師、学生の自啓練治である。「愛と練治」を源泉として、求農の正義に燃ゆる、学風と作風が生まれ、学績が重ねられた。



盛岡高等農林学校から岩手大学農学部へとその学風、作風は絶えることなく受け継がれている。
先学の築いた学風と作風を、継承、発展させる誓いをこめ、ここに、明治期の創学時に建設された本館を修復し「農学部付属農業教育資料館」として再生することとした。昭和五十三年一月のことである。修復は、農学部北水会・農学部後援会・農学部教職員の浄財による。当館を囲む景観は、農学部附属植物園である。
岩手大学農学部
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賢治とドイツトウヒ
賢治の作品によく登場する樹木と言えば、マツ(アカマツ)とヤナギ(シダレヤナギ、ネコヤナギなど)です。スギ、カラマツ、クリ、ハンノキ、シラカンバ、ナラ類(コナラ、ミズナラ)も高い頻度で出てきます。賢治は、欧風の花壇設計や造園にもたずさわっています。外国の樹木、とくにドイツトウヒには、特別の想いがあったようです。
高等農林学校本館(現農業教育資料館)を囲む修景は、西洋のトウヒ・モミ類などの森をコンセプトにしていました。こうした樹木群のなかで、均整のとれた円錐形樹冠を発達させるドイツトウヒは、主役的要素でした。冬季の寒風や積雪に耐え、よく成長します。賢治は、在学中、年ごとに美しい幾何学曲線を描くドイツトウヒの樹冠を目の当たりにしていたはずです。
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岩手大学農学部北水會
百年記念館

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盛岡高等農林学校時代から土壌学教室で使われてきた実験台と薬品棚

宮澤賢治の在校時代に使われていた実験器具

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宮澤賢治が研究生として参加した岩手県稗貫郡の地質及び土性調査報告書と地質及び土性図
「岩手縣稗貫郡主要部地質及土性略圖」
関豊太郎 神野幾馬 宮澤賢治 調査

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農学得業士 宮澤賢治

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盛岡高等農林学校における冷害研究の伝統と宮澤賢治

T.はじめに
1902(明治35)年盛岡高等農林学校は、近代における東北開発の国策に沿うて創設された。創設時の重大な課題の一つに、東北農業不振の原因である常習的冷害の克服があった。その創設期の1902年、1905(明治38)年、東北は相次ぐ大凶作にみまわれ、そのため初代校長玉利喜造は、その冷害克服に情熱を燃やし、諸教授を動かし自らも研究に当たった。
その結果、東北の冷害気象や、凶作予知に係わる我が国初めての成果が、校長玉利、教授関豊太郎により発表された。特に、関の研究はいわゆる”ヤマセ”の現象面を明らかにし、冷害を予知しようという当時画期的研究であり、一時論難も受けるが、引き続く1913(大正2)年の大凶作を契機に、以後冷害気象研究は関説を基に発展して行くことになる。
このように、盛岡高等農林学校は冷害、凶作、飢餓の風土に創設され、冷害やその予知法発祥の地となっており、特に初期冷害気象研究に果たした役割は大きい。
このような伝統は、受け継がれているとともに、実学実践の校風のもと、この学校に学んだ代表的卒業生、宮澤賢治の生涯にも大きな影響を及ぼしているのである。即ち、賢治が後に冷害、凶作、飢餓やその他の農業災害に関心を深める一つの動機ともなり、それらの災害克服をテーマとする作品、「グスコーブドリの伝記」が書かれる一大要因となったのである。
この展示では、先ずこのような本学伝統の流れの一端を示し、また、賢治と恩師関先生とのその他の深い係わりについても触れたい。
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V.関豊太郎と凶冷気象研究
関豊太郎(1868〜1955)は土壌学者として大成した人であるが、盛岡高等農林学校における最初の仕事は、凶冷気象の調査研究であった。
関は1892(明治25)年、東京帝国大学農科大学を卒業後、中学、師範、農学校等の教諭、校長を歴任し、広島高等師範学校を経て天保以来最大の凶作と言われる1905(明治38)年、霖雨続く8月、盛岡高等農林学校教授として着任、担当科目は「物理及び気象、地質及び土壌、土地改良」であった。
着任最初の研究は、校長の「飢餓は海から来る」と言う着目、勧めによるもので、文部省の補助を得て三陸沿岸を調査して回り、その結果を「凶作原因調査報告、東北ノ凶作ト沿岸海流トノ関係ニ就キテ」(1907)にまとめた。
この報告の中で関は、岩手県広田湾に於ける海水温観測を基に1905年の凶作の原因を考慮し、凶冷が海水温度と密接な関係にあること、また海流との係わりでいわゆる”ヤマセ”の現象面を明らかにし、更に、凶冷は春夏でも寒流の強い年に多いことから、沿岸海水温の観測によって、凶作の予知ができるかもしれない、とした。
なお、東北の凶冷予知に触れたのは関説(潮流説)を持ってはじめてとされている。

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高農正門のユリノキ並木
旧盛岡高等農林学校正門へのアプローチは、かつて、ユリノキとキササゲの並木路でした。この並木は、大正中期に上村勝爾教授(のちに第4代の校長となる)の指導のもとで、在校生の手で植えられました。上村教授は、「後日パリのマロニエ並木より美しくなり盛岡の名所になる」と予言したそうです。事実その通りとなり、とくにユリノキは本学のシンボルとして親しまれ、盛岡にユリノキありと広く知られるようになりました。
この並木は、昭和56年に伐採されましたが、残存する伐根の大きさに、大樹が林立していた様がうかがえます。高等農林学校正門脇に門番所と向かい合って立つ1本のユリノキの大木は、同時期の植栽と見られ、門を行き交う若い学生たちを見守っています。
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