産業技術遺産探訪 2003.11.4.

産業技術遺産探訪 琵琶湖疎水

映画「明日をつくった男〜田邊朔郎と琵琶湖疎水」上映会   

利根沼田文化会館ホール
(群馬県沼田市上原町)
2003年11月4日 18:30〜20:00


明日をつくった男〜田辺朔郎と琵琶湖疎水
企画・制作 虫プロダクション(株)  2003年3月
スタンダードサイズ ステレオ 86分
キャスト:鶴見辰吾、純名りさ、四方堂亘、鈴木晋介、田代淳子、剛州、堀ひろこ、寺田農 ほか
第3回世界水フォーラム参加作品、文部科学省選定
製作:伊藤叡
プロデューサー:森井俊行
企画プロデューサー:寺島鉄夫
監督:牛山真一
脚本:関口準 撮影:青木淳二、久坂保
アニメーション演出・絵コンテ:有原誠治 キャラクターデザイン:内田春菊
制作協力:(株)フラミンゴ・ビュー・カンパニー
原作:田村喜子「京都インクライン物語」山海堂
配給:関西プロデュースセンター
特別協賛:京都府、京都市、京都商工会議所

 この作品は、明治維新の東京遷都で衰退しかけた京都を再生させる契機となった琵琶湖疎水建設工事を進めた田邊朔朗という若きエンジニアをクローズアップした映画です。この工事は、外国人技術者に頼らざるを得なかった当時の日本において、日本人だけで挑戦し、次々と発生する困難に苦しみ、悩みながらひとつひとつ克服して、ついには完成に至る様子を、現在の琵琶湖疎水の姿と合わせて伝えています。 さらに、完成に導いた若きエンジニア田辺朔郎の生きざまを通し、技術者としての使命感、情熱、先見性、誇りなどを、特に未来を担い明日をつくる若者たちに向けて伝えるメッセージを含んでいます。
 なお、この作品は、アニメーション、CG画像、実写・記録映像を織りまぜた物語として構成しています。

(あらすじ)

 青空が広がったある日の午後。大手広告代理店の会議室では、スクリーンが張られて社内プレゼンテーションが行われようとしています。この日は「世界子ども博覧会 夢プラン・ネクスト100」のイベントテーマを提出する締切日です。一度は決まったテーマに納得しきれない企画部のメンバーが、どうしても最後に提案をしたいと鏑木社長(寺田農)のもとに押し掛けていました。
 企画書の表紙に書かれた「田邊朔郎」という名前に鏑木社長の目が止まります。企画部の大場鉄郎(鶴見辰吾)の指示でスクリーンに水紀(語り・純名りさ)が登場し、現在の琵琶湖疎水が紹介されていきます。やがて、水紀の案内で、映像は田辺朔郎が生きた明治時代へさかのぼり、アニメーションやデーターベースを交えたドキュメント映像で、若きエンジニア田邊朔郎が京都の一大事業、琵琶湖疎水建設事業の工事主任となって活動する姿や当時の工事の様子を追っていきます。当時の技術では無謀、不可能と誰もがその成功を危ぶんだ難工事に、環境に配慮した先見性と100年先を見通した工事計画をふまえた技術と決断力をもって勇敢に挑んだ当時の人たち。そこには、新しい未来を自分たちの手で築こうとする明治の人びとの情熱と気概があふれていました。
 その魅力を、田邊朔郎の姿を通して21世紀をになう子どもたちに伝えたいと大場たちの説明にも熱がこもっていきます・・・

田邊朔郎のノートには
IT IS NOT HOW MUCH I DID,BUT HOW WELL DO.(Henry Dyer)
どれだけ頑張ってきたかではなく、これからどれだけのことをやれるか、それが大切である。(ヘンリー・ダイアー)
という恩師ヘンリー・ダイアーの言葉のメモが書かれていました・・・


上映会で配布されたパンフレット

田邊 朔郎(たなべ さくろう 1861(文久元)年〜1944(昭和19)年) 

朝日新聞・上毛新聞(2003年11月3日)に掲載された上映会に関する記事



上映会の会場となった「利根沼田文化会館ホール」(群馬県沼田市上原町)
火曜日の夜でしたが、会場には大勢の方がやってきました。


会場入口に展示された「琵琶湖疎水」の写真


参考文献

・田邊朔朗「京都都市計画第一編 琵琶湖疎水誌」丸善 1920(大正9)年
田村喜子「京都インクライン物語」山海堂 2002年

※映画「明日をつくった男〜田邊朔郎と琵琶湖疎水」の原作本です。第1回土木学会・著作賞受賞
著者の田村喜子さんは、1932年京都府生まれ、京都府立大学文学部卒業後、都新聞社報道部記者を経て文筆活動をしています。
田村喜子「土木のこころ〜夢追いびとたちの系譜」山海堂 2002年
「・・・琵琶湖疎水の建設を「京都インクライン物語」にまとめたのは、ちょうど20年前のことになる。そのころの私は土木にはまったくの門外漢で、・・・土木と建築の区別さえついていなかった。京都府総合資料館へ通い、資料に目を通すうちに、それまで(琵琶湖)疎水のことをなにも知らずに過ごしてきたことが無性に恥ずかしく思えた。その水路は(京都)市内各地で潤いのある水辺の景観を演出しているが、あまりにも見慣れた風景でありすぎて、(琵琶湖)疎水がいつ、だれの手で、なんの目的でつくられたのか、知ろうともしなかったし、知る機会を逸してきた。そのことを猛省したのだった。・・・・・そのころ世間ではしきりに「土木の3K」が取り沙汰されていた。しかし各地の現場を訪れて、その最前線で仕事をしている方たちに接すると、そこにはみじんも「3K」は感じられず、あるのは誇りと自負だけだった。それを感じることが私には快かった。・・・・・土木には技術と同時に「土木のこころ」が伴わなければならないと私は思う。社会資本、あるいはインフラを整備するに際して、いちばん核となるのは人間であり、その心なのだ。・・・・・あらためて土木のロマンを見つけたのである。」(田村喜子「土木のこころ〜夢追いびとたちの系譜」山海堂 まえがきより)
・横川紀子「明治・京都発、日本近代化のグランドデザイン〜北垣国道と田辺朔郎の為した「百年の計」」(「ILLUME」第23号(Vol.12 No.1)2000年 pp.65-81)

三好信浩「明治のエンジニア教育〜日本とイギリスのちがい」(中公新書695)中央公論社 1983年
三好信浩「ダイアーの日本」(異文化接触と日本の教育 3)福村出版 1989年

※映画の中でも三好信浩さん(広島大学教育学部名誉教授)が出演してヘンリーダイアー(Henry Dyer, 1848-1918)の技術教育について解説しています。母国のアカデミックな大学教育の中で実現できなかった技術教育を、日本で実現したヘンリー・ダイアーは、田邊朔郎など当時の日本の若い学生たちに大きな影響を与えました。ヘンリー・ダイアーの「理論と実習を融合させた技術教育」は画期的なカリキュラムでした。それは現在でも、その意義を失ってはいません。
・三好信浩「教育が人をつくり、人が工業をつくった〜技術立国日本の礎を築いた七人の語録」(「ILLUME」第23号(Vol.12 No.1)2000年 pp.4-23)
・柿原泰「エンジニア教育の源流を見直す〜科学技術史の視点から見る明治日本」(「ILLUME」第23号(Vol.12 No.1)2000年 pp.58-64)

ヘンリー・ダイアー(平野勇夫・訳)「大日本(技術立国日本の恩人が描いた明治日本の実像)」実業之日本社 1999年


 なかなか見ることができなかった映画「明日をつくった男〜田邊朔郎と琵琶湖疎水」が、やっと群馬県内で上映されました。
 田邊朔郎そしてヘンリーダイアー・・・彼らの技術者としての使命感、情熱、先見性、誇り、そして未来を担い明日をつくる若者たちに向けてのメッセージが感動を与えてくれる作品でした。 

 現在のところ上映するためには(配給会社から借りるためには)35万円ほど必要ということです。しかしさまざまな団体が主催する無料の上映会は全国各地で開催されています。
 土木学会・土木図書館によれば、映画「明日をつくった男〜田邊朔郎と琵琶湖疎水」は、土木学会選定映像リストに掲載されていますが、2003年3月に制作されたばかりの作品であるため、現在は配給会社から有料で貸し出しを受ける必要があるということです。そのため土木学会・土木図書館には、制作会社から提供された映画のビデオ版が資料として保管されていますが、貸し出しはしていません。フィルムライブラリーとして貸し出しができるようになるまでには、少なくとも2年後になるそうです。


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