技術のわくわく探検記〜産業技術遺産探訪 2003.8.27.

御前埼灯台
1874(明治7)年竣工
設計:リチャード・ヘンリー・ブラントン

 御前埼は、地形の関係上、気象海象が厳しく、又暗礁が多いので昔から航海の難所と恐れられ多くの海難が発生しました。今からおよそ370年前に徳川幕府が船の道しるべとして、この地に見尾火灯明堂を建てたのが御前埼灯台のはじめです。
 1872(明治5)年5月、英国人リチャード・ヘンリー・ブラントンの指導のもと建設工事を開始し、1874(明治7)年5月1日に点灯を開始しました。
 回転式の1等閃光レンズ(高さ259cm)を使用した灯台としては日本最初のものでしたが、このレンズは太平洋戦争の時に壊されて、現在は3等大型レンズ(高さ157cm)に変わっています。
 レンガ造りの灯塔は、建設以来約130年になっています。 

御前埼燈台 ILLUMINATED 1st MAY 1874
明治七年甲戊五月一日初點
御前埼灯台
御前埼灯台は、1874(明治7)年5月1日英国人リチャード・ヘンリー・ブラントンの設計、指導により設置点灯されました。
施設の概況
位置
北緯 34度35分33秒 (45秒? 33秒)
東経138度13分44秒 (33秒? 44秒)
設置年月日 1874(明治7)年5月1日 
塗色及び構造 白色 円形(塔形) 煉瓦造
灯質 第3等 単閃白光 毎10秒に1閃光
光度 実効光度560.000カンデラ(MT−250E)
   130万カンデラ
光達距離 19.5海里(約36.1km)
明弧 221度〜104度まで
高さ 地上〜構造物頂部 22.47m
   平均水面〜灯火 54.0m(地上から灯火まで17.3m)
機器種別 回転機械(水銀層)電動回転
レンズ 大型3等 フレネルレンズ

電球 メタルハライド電球(100V 250W)
予備電源 発動発電機 13PS 5KVA
無線方位信号 レーマークビーコン局
海上保安庁 第三管区海上保安本部 静岡航路標識事務所管理

管理事務所 静岡航路標識事務所
電話 054−275−0451

御前埼航路標識事務所
〒421-06 静岡県榛原郡御前崎町御前崎1581
電話 0548-63-2011
参観時間は、灯台業務に支障のないかぎり、4月〜9月 9:00〜17:00、10月〜3月 9:00〜16:00
燈台参観寄附金(社団法人 燈光会) 大人150円 小人(小学生)20円

御前埼灯台の歴史
 現在から約370年前の1635(寛永12)年に徳川幕府が船の道しるべとして、御前崎に「見尾火(みおび)灯明堂」を建てたのが御前埼灯台のはじまりです。見尾火灯明堂では、植物の種から取った油を使い、約240年もの長期間にわたって、航行する船舶の安全のために灯火をともし続けました。
 しかし、雨や風の強い日には役に立たなかったため、1871(明治4)年4月にはガラス張りの灯明台に変わりました。その頃、明治政府は外国との条約によって全国各地に灯台の建設を進めていました。御前埼灯台も灯明台になって1年後の1872(明治5)年5月に建設工事が始められました。
 当時は、西洋式の近代的な灯台の建設はまだ日本人だけでは出来なかったため、イギリス人のリチャード・ヘンリー・ブラントンの指導のもとで行われました。ブラントンが日本にいた8年間に完成させた灯台は28基あって、御前埼灯台は、その22番目にあたります。煉瓦造りの灯台としては2番目になります。
 1874(明治7)年4月に完成した御前埼灯台は5月1日から点灯を始めました。回転式の1等レンズ(焦点距離92cm、高さ259cm)を使用した日本で最初の灯台でした。このレンズはフランスのソーダー・ハーレー社製の美しい8面構成のレンズでしたが、第二次世界大戦(1941年〜1945年)の時に灯器や回転機械とともに壊されてしまいました。山口県の角島灯台で現在も使われているものが、同時期に輸入された同型レンズで、日本に現存する唯一のものです。
 灯台は戦後しばらくの間、仮の灯器を使って点灯していました。1949(昭和24)年になって復旧工事が行われましたが、レンズはもとどおりにならなくて3等大型の2面レンズ(焦点距離50cm、高さ157cm)に変わっています。レンズは、20秒で1回転しているので、10秒毎に1回の閃光となります。
 灯塔は建設されてから約130年になりますが、しっかりと立ち続けて現在に至っています。東海地震に備えて、1983(昭和58)年1月から3月にかけて灯塔の補強工事が行われました。外壁の中に網の目状に太いピアノ線の撚り線を埋め込んで、特殊な接着剤を使って固定しています。灯台の壁面をよく見るとその線がはっきりわかるところがあります。
 灯台と並びの事務所の建物は建てられた時とだいたい同じ形を残していて、明治の頃の面影がしのばれます。1981(昭和56)年にはレーマーク・ビーコンが設置され船舶航行の安全に役だっています。

回転機械

 これは明治の中頃から昭和20年代末頃、モーターによる電動駆動装置が設置されるまでの間、レンズを回転させていた重力式の「回転機械」です。この機械は「分銅筒(螺旋階段の内側)」の中を、数十キログラムの重さの分銅が落ちてゆく力を利用して、レンズを回転させていました。一度巻き上げると約4〜5時間回転させることができます。当時の灯台職員は、一晩に1〜2回くらい、分銅が落ちきる前にここへ上って来ては分銅を巻上げていましたが、かなりの重労働であったそうです。


御前埼灯台余話
 明治のはじめ、泰平を夢見ていた一小漁村に碧眼紅毛の異人が来て突然西洋式灯台というものを建設することになり、村中が猟奇的な感情や畏敬の念の交錯でごったがえすような騒ぎとなった。灯台建設に従事した古老らの話には、武勇伝やら愉快なものが多い。築造方首員R.H.ブラントンが入浴中、石けんを使うのを盗み見をした村民が、「西洋人は身体を砥石で磨いている。色が白いはずだ」と村内をふれ回ったという話もある。
 R.H.ブラントンは、灯台官舎の完備するまで村役人松林久左衛門宅から通勤し、政府との約定によりコック1人をつけて賄いをさせ、食用品その他の日用品は全て横浜から灯台寮(昔の呼称、灯台局)の視察船テーボール号で運搬させ、給料も1ヶ月600円(当時)を支給されたといわれています。1文銅銭が立派に子どもたちの小遣いとして幅をきかしていた時代で、工事日雇いの日当が15銭くらいでした。
(参考資料:大沢啓志「遠州灘を守る聖火御前埼灯台」)


電波の灯台

 御前埼灯台の隣に建っている鉄塔は、電波の灯台のひとつ「レーマークビーコン」の送信用鉄塔です。鉄塔の一番上にある2本の白いアンテナが「レーマークビーコン」の送信用アンテナです。
 船舶がこの「レーマークビーコン」の信号を受けると船のレーダー画面には、この御前埼灯台のある「電波の灯台」と船舶を結ぶように点線が表示されます。これによって「電波の灯台」の方位を知ることができます。利用できる範囲は約20海里(約37km)で、御前埼灯台の光が届く距離とほぼ同じです。
 このように「電波の灯台」を利用すれば、たとえ天気が悪くて灯台の明かりが見えないときでも、安全に航海することができます。
 電波の灯台には、この「レーマークビーコン」のような無線方位信号所のほかに、日本周辺の広い海域で自船の位置を知ることができる「ロランC」やGPSの精度をさらに高めた「デファレンシャルGPS」などがあります。


見尾火燈明堂(復元)
(みおびとうみょうどう)

1635(寛永12)年設置

 見尾火燈明堂は、航行船舶の安全を図るために1635(寛永12)年に建てられた江戸時代の燈台です。土台から桁までの高さ8尺5寸、2間四方の台輪建てのお堂で、屋根は大板葺き、床下には強風で建物が吹き飛ばされないよう石が詰められていました。当時は、幕府から1ヶ月当たり9升の灯油や灯芯、障子紙が支給され、毎夜、村人2人が行燈の火を絶やさないよう火の番をし、翌朝、日が昇ると板戸を閉めて帰ったと伝えられています。
 1871(明治4)年にカンテラ燈台が竣工し、その座を譲るまでの実に240年という長い間、御前崎沖を航行する船の安全を見守ってきました。


 四面を海に囲まれ、資源の少ない日本にとって、海運・水産業の発展、外国貿易の振興は国民生活の工場に欠かせない重要な事業です。これらの事業に従事している船舶が、安全で、経済的な運航ができるようにする役目をになっているのが航路標識です。
航路標識は、その手段によって、形や色、光を用いる光波標識、音を用いる音波標識及び電波を用いる電波標識の3つに大別されます。このほかに潮流信号所があります。
 現在、日本の航路標識は5300基もあり、その施設や技術水準は、世界的にも高く評価されており、発展途上国に対しても技術援助を行っています。
 日本の近代洋式灯台は、幕末時代、アメリカ、イギリス、フランス、オランダ、ロシア等の諸国から強く開国を迫られた幕府が、開国と同時にイギリス、フランスの指導のもとに灯台設置を計画したことに始まります。この幕府の計画を引き継いだ明治新政府の手により、以来今日まで国の事業として実施され、長い歴史の中で関東大震災、太平洋戦争と二度の困難を乗り越えて、新技術の導入、開発を進め発展してきました。


船舶気象通報
海上保安庁では全国の主要な灯台で気象観測を行い、そのデータを船舶に提供しています。
御前埼灯台でも風向と風速を観測して「テレホンサービス」で提供しています。
テレホンサービス実施箇所等はつぎのとおりです。(これ以外の箇所については海上保安部、航路標識事務所へ問い合わせ)
船舶気象通報テレフォンサービス(2003年現在)
観測箇所
舞阪、御前埼、石廊埼、神子島、神津島、伊豆大島、剣埼、洲埼、観音埼、本牧、東京13号地
テレフォンサービス実施箇所
御前埼(大王埼・・・三重県志摩半島の南東端、舞阪、石廊埼、神子元島の情報)0548-63-1177
下田(御前埼、石廊埼、神子元島、神津島、伊豆大島の情報)TEL 0558-27-3177 FAX 0558-27-4177
観音埼(伊豆大島、洲埼、剣埼、観音埼、本牧、東京13号地)0468-44-4521
横須賀(神子島、神津島、伊豆大島)0468-44-0177
横浜 045-201-8177
東京 03-3472-1177
千葉 043-238-0177


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