技術のわくわく探検記 2003.3.21.

旧・名久田水力発電所放水口
1911(明治44)年11月竣工
中之条町指定史跡(平成6年12月1日指定)
所有者:東京電力渋川工務所

群馬県吾妻郡中之条町横尾1329−2

 中之条町横尾の宇妻(うづま)橋から、名久田(なくた)川右岸約300m下流の竹藪の中に、旧・名久田発電所放水口があります。
 名久田発電所は、群馬県吾妻郡内では、箱島の発電所に次いで明治末年に開業されたもので、電気を中之条町に初めて供給した水力発電所です。名久田発電所は、「吾妻温泉馬車軌道会社」の柳田阿三郎代表が「中之条町」および「間歩堰(まぶぜき)用水組合」と契約を結んで、間歩堰用水の水を利用して発電したもので、水力発電所放水口は1911(明治44)年11月に竣工し、名久田水力発電所は中之条町横尾に1912(大正元)年竣工しました。
 その後、中之条町を中心として電気を供給し続けたのちに東京電力と合併しましたが、1935(昭和10)年9月に発生した台風による水害で流失したため廃止されました。


利用厚生
工事担當者 柳田阿三郎
請負 大賀電機商會
技術者 西脇胤
世話 木暮雄平
? 田村與吉


群馬県吾妻郡の水力発電所

 明治43年2月に高崎水電株式会社は、吾妻郡東村箱島不動沢に発電所を設けて、前橋市に開かれた1府14県連合共進会に電力を供給している。ついで44年に名久田村(現在の中之条町)横尾に吾妻電力株式会社の発電所が設けられている。ランプ、ガス灯など地域差、貧富差もあったであろうが、水力発電会社の設立によって自然に電灯にかわっていった。群馬県ではじめて発電事業が始まったのは、明治26年3月であった。発電所建設によって電力は各地域に拡がり、明るい電灯のもとで生活できるようになった。大正末期の発電所と電力供給区域は次の通りである。(別紙)
戦後の近代工業の発展と過程の電化にともなって、電力需要は飛躍的に増大し、新しい電源開発がなされていった。昭和31年に標高1500mの高原の野反湖に、日本初の発電用ロックフィルダムが建設され、ついで四万川には四万湖、中之条ダムによって、群馬県営中之条発電所が建設された。また湯川には中和工場、品木ダムがつくられて、群馬県営湯川発電所が送電をはじめている。

吾妻郡発電所および認可出力 (「群馬県統計年鑑」昭和42年より)

発電所名 利用河川名 認可最大出力(kW) 常時出力(kW) 事業者
鹿沢 吾妻川 5200 260 東京電力
西窪 吾妻川、万座川 19000 9500 東京電力
今井 吾妻川 7800 4600 東京電力
羽根尾 吾妻川 11800 7300 東京電力
大津 吾妻川、熊川 2000 1400 東京電力
熊川第1 熊川 2340 1170 東京電力
熊川第2 熊川 1540 770 東京電力
川中 白砂川、長笹川 14000 6000 東京電力
松谷 吾妻川、白砂川、須川 23500 13300 東京電力
原町 吾妻川、白砂川、 長笹川、須川 25300 14500 東京電力
厚田 温川、大谷沢川 1200 1200 東京電力
温川 温川 255 255 東京電力
箱島 吾妻川、山田川 23100 15400 東京電力
中之条 山田川 11000 650 群馬県営
四万 山田川 5000 500 群馬県営
湯川 湯川 8200 1300 群馬県営

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