産業技術遺産探訪 2003.3.21.
旧・吾妻第三小学校・校舎
1885(明治18)年竣工
設計者:不詳
施工者:樋田栄太郎
木造平屋建寄棟鉄板瓦葺
群馬県指定重要文化財
1978(昭和53)年10月13日指定
群馬県吾妻郡中之条町中之条947−1
明治時代の小学校校舎の標準的な形は文部省による1882(明治15)年の「学校建築心得」、1890(明治23)年の文部省による「小学校設備準則」と1895(明治28)年の「学校建築図説明及び設計大要」などであったと言われています。当時、これらの学校の建設を手がけたのは、ほとんどが地元の大工棟梁らで、彼らは初めて見る洋風建築を、自分たちの伝統的な建築技術によって校舎を建築していきました。
この旧・吾妻第三小学校の校舎は、県令・揖取(かとり)素彦や吾妻郡長・真野節らが中心となって1882(明治15)年に起工し、全国的に不況であった当時、工費5200円をかけて1885(明治18)年10月4日に竣工しました。1885(明治18)年2月の学区改正によって、「第105学区吾妻第三小学校」として開校しました。その後、女子尋常高等小学校を経て、1918(大正7)年9月から1978(昭和53)年12月まで中之条町役場の庁舎に使用されていました。1978(昭和53)年10月、群馬県指定重要文化財となり、1980(昭和55)年9月から工期11ヶ月の保存修理工事が行われ竣工当時の姿に復元されました。群馬県内に唯一残された明治初期における擬洋風の学校建築として貴重な建物です。
旧・吾妻第三小学校は、明治時代の典型的な擬洋風建築の小学校校舎で、設計者は不詳、施工者は中之条町の樋田栄太郎でした。
中庭を取り囲むような凹形の校舎で、木造、大壁、寄棟造り二階建、床面積は632.8平方メートルです。外観は擬洋風で、内部の構造様式は和風となっており、中庭に面して校舎の正面に玄関があります。4本の柱が並ぶバルコニー風のデザインをした玄関、白漆喰塗りの壁、建物の隅を石積み(コーナーストーン)のように仕上げるなど擬洋風建築としての特徴を見ることができます。
この建物を活用して、1982(昭和57)年11月6日に「中之条町歴史民俗資料館」が開館、昭和61年2月には博物館相当施設に指定されました。