技術のわくわく探検記 2002.11.30.

旧・岩崎家茅町邸
洋館和館撞球室袖塀、庭園、煉瓦塀
三菱財閥岩崎家本邸(のち最高裁判所司法研修所)

<重要文化財>

1896(明治29)年竣工
洋館・撞球室 設計:ジョサイア・コンドル (改築2003年4月予定)
和館 設計:大河喜十郎 (改築2001年)

東京都台東区池之端一丁目3番1号、一丁目3番45号
(旧・東京下谷区茅町)


洋館

 明治から昭和にかけての実業家、岩崎久弥(三菱・第3代社長)のかつての住宅で、1896(明治29)年竣工しました。
 ここは、もともと江戸時代に徳川家康の四天王の一人であった榊原康政(さかきばら まさやす)屋敷跡で、越後高田藩江戸屋敷、明治時代になって元・舞鶴藩知事 牧野弼成邸を経て桐野利明(きりの としあき)の邸宅となり、西郷隆盛とともに桐野利明が鹿児島に帰ると、三菱の初代・岩崎弥太郎の本邸となりました。敷地面積は約1万5000坪で、20棟に及ぶ大邸宅でした。1969年からは最高裁判所司法研修所として使われていましたが1994年(平成6)年に移転したため文化庁所管されました。その後、この敷地内に地下ゴミ処理工場の建設計画がありましたが保存運動などによって2001(平成13)年からは東京都の管理となり、補修工事がはじまりました。現在は「東京都立 旧岩崎家庭園」となって一般公開されています。
 洋館と撞球室の設計者はイギリス人建築家のジョサイア・コンドル(Josiah Conder 1852-1920)で、東京国立博物館や鹿鳴館など数多くの官庁の建造物の設計監督にあたり、19世紀後半のヨーロッパ建築を紹介して日本の近代建築の発展に指導的役割を果たしました。
 同じ敷地内に洋館(ゲストハウス)と和館(居室)を併立しています。このような大邸宅は1887(明治20)年頃から建てられはじめましたが、岩崎邸はその代表的なものであり、現存する明治建築として貴重なものです。
 洋館は木造2階建て、地下室付で、イギリス17世紀初頭のジャコビアン様式を基調とし、玄関のある建物北側と館内には、随所にジャコビアン様式の装飾が見られます。洋館正面に向かって左半分が主屋でスレート葺の大屋根をかけ、その右にやや規模の小さい棟が続いています。両者のあいだの玄関部には塔屋がたち、角ドーム屋根となっています。
 また、米国ペンシルベニアのカントリーハウスのイメージも取り入れられ、洋館の南側の装飾は17世紀イギリスのジャコビアン様式を基調としていますが、ヨーロッパの石造りとは異なる19世紀アメリカ合衆国の木造建築の表情を合わせもち、南側1、2階にはコロニアル様式の広いベランダが設えてあります。1階はトスカナ式、2階はイオニア式の列柱が立っています。また、ベランダの床にはイスラム風の草花文による多色象嵌タイルが敷かれています。洋館の東側のサンルームは、1907(明治40)年に増築されたものです。この洋館は明治時代の洋風建築を代表する建物です。
 洋館の左側に建つ撞球室(ビリヤードルーム、木造一階建地下室附)とは地下道でつながれています。
 洋館と撞球室は1961(昭和36)年に重要文化財に指定され、1969(昭和44)年には、和館内の大広間と洋館の袖塀も指定されました。さらに宅地、煉瓦塀、実測図が1999(平成11)年に重要文化財に指定されています。


竣工当時に復元された屋根やベランダ手摺りの金属製装飾部分


1907(明治40)年に増築されたサンルーム

 「洋館」と「撞球室」は現在(2002年)修復工事中で、2003(平成15)年4月から一般公開予定です。

 撞球室は洋館とともに1896(明治29)年に完成しました。設計も洋館と同じくジョサイア・コンドルです。日本には珍しいスイスの山小屋風の木造建築で、校倉造り風の壁、刻みの入った柱、軒を深く差し出した大屋根など、木造ゴシックの流れをくむ建物です。


撞球(ビリヤード)

ジョサイア・コンドル Josiah Conder 1852-1920 建築家
 イギリス・ロンドンに生まれる。日本政府の招聘により工部大学校のお雇い外国人教師として1877(明治10)年に来日する。工部大学校造家学科(現在の東京大学工学部建築学科)の初代教授となる。辰野金吾(日本銀行本店、東京駅などを設計)、片山東熊(赤坂離宮などを設計)、曽祢達蔵(慶應大学図書館などを設計)ら明治時代を代表する建築家を輩出した。のち、日本で最初に民間の建築設計事務所を開設し、日本における洋風建築の技術水準を向上させた。鹿鳴館(1882年竣工)、東京帝室博物館(1882年竣工 現在の東京国立博物館)、ニコライ堂(1890年竣工)、三菱一号館(1894年竣工 日本で最初のオフィスビル)、岩崎家深川邸(1888年竣工)、岩崎家茅町邸(1896年竣工)などを設計した。

 



和館

和館は寄棟造で、畳敷きの大きな部屋を持つ和風建築となっており、竣工当時は建坪550坪でした。また和館内一面に描かれた日本画は、橋本雅邦の作品です。

 1896(明治29)年に洋館とともに完成しました。約550坪の建て坪には、岩崎家の居室および使用人の部屋など14室が設けられていましたが、現存するのは書院造りを基本にした広間(20畳))、次之間(18畳)、三之間(12畳)、待合室(2畳)の4室だけです。寄棟造り、桟瓦葺による純和風建築で、建築は大河喜十郎と伝えられています。床柱、鴨居、長押、欄間、天井板など部材の多くは、現在では入手が困難な最高級の木材が使用されています。また、細部の意匠に菱紋が多用されています。
 広大な芝庭の庭園形式、洋館と併置された建築様式は、その後の日本の邸宅建築のひな形になったと言われる。

 各室に残る金泥・銀泥で描かれた壁絵のほとんどは、明治を代表する日本画家、橋本雅邦<1835(天保6)年〜1908(明治41)年>の筆と言われています。フェノロサや岡倉天心らの支援を受けながら、同門の狩野芳崖とともに東京美術学校の教授の職に就き、伝統絵画の近代化に重要な役割を果たしました。のちに日本美術院を設立に参画するなど日本画壇に大きな功績を残しています。門下には、横山大観、下村観山、菱田春草、寺崎広業、川合玉堂など多数の画家がいます。
 狩野派の伝統的な画法の上に、遠近や明暗など、西洋の合理的な空間処理法を用いた床の間の富士山をはじめ、襖絵と板絵には春
夏秋冬を題材にした墨画・彩色画が描かれています。



袖塀
1969(昭和44)年 重要文化財指定
三菱の菱紋がデザインされています。


煉瓦塀
1999(平成11)年 重要文化財指定

「無縁坂」(東京都文京区湯島四丁目/旧・湯島両門町)に沿って三菱財閥・岩崎家本邸の煉瓦塀(重要文化財)があります。

※「無縁坂」は、森鴎外の作品「雁(がん)」の主人公、岡田青年の散歩道ということで、多くの人びとに親しまれる坂となりました。
 「岡田の日々の散歩は大抵道筋(たいていみちすじ)が極(き)まっていた。寂しい無縁坂を降りて、藍染川のお歯黒のような水の流れこむ不忍の池の北側を廻って、上野の山をぶらつく。・・・・」(森鴎外「雁」より)
 さだまさしさんの曲に「無縁坂」もありますね(^^)

 「無縁坂」の由来は、「御府内備考」に「称仰院(しょうこういん)前通りより本郷筋へ往来の坂にて、往古 坂上に無縁寺有之(これあり)候に付 右様相唱(みぎようあいとなえ)候旨申伝(むねもうしつたう)・・・・」とあります。ここは昭和40年まで「湯島両門町(ゆしまりょうもんちょう)」という町名でした。かつては湯島郷(ごう)に属しており、講安寺(こうあんじ)門前、称仰院(しょうこういん)の門前町として開かれた町屋でした。明治2年に、この二つを併せて、両寺の門前なので、湯島両門町と名づけられました。
 「無縁坂」の途中に「講安寺」(江戸時代につくられた貴重な土蔵造の本堂)があります。最近まで格子戸のある木造の家があり、趣がある坂でした。


開館時間 9:00〜17:00(入場は16:30まで) 年末年始休館(12/29〜1/3)
一般150円(65歳以上70円、小学生以下および東京都内在住・在学の中学生は無料)
和館の各室は有料集会施設となっています。
電話03-3823-8033


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