技術のわくわく探検記 2001.8.13.

三洋電機・記念資料館
SANYO HOJO MEMORIAL HALL
旧・三洋電機製作所・北條製造所
兵庫県加西市北条町北条323 三洋電機回転機事業部   

三洋電機・記念資料館
(旧・三洋電機製作所・北條製造所)
三洋電機・回転機製造事業部
三洋電機・回転機製造事業部の概要
創業:1947(昭和22)年2月1日
事業部発足:1962(昭和37)年4月21日
製造品目:モーター応用家庭電化製品および電装機器製品
規模:土地88200平方メートル(約26700坪) 建物52300平方メートル(約15800坪)

 三洋電機・記念資料館のレンガ造りの建物は、1920(大正9)年3月15日に播州紡績(株)(代表者:松本永治氏)として竣工されたもので、のち1938(昭和13)年11月1日に東邦紡績(株)(本社:大阪府堺市)が買収、さらに1944(昭和19)年12月28日には松下航空工業(株)(本社:大阪府北河内郡門真町)の軍需工場として使われていたものです。戦後は松下電工(株)を経て、1947(昭和22)年2月1日に三洋電機製作所が買収し、北條製造所となり、現在は三洋電機・回転機事業部となっています。


 三洋電機・記念資料館は、1947(昭和22)年2月1日、自転車用発電ランプの製造からスタートした三洋電機株式会社創業の工場である旧・三洋電機製作所・北條製造所を記念し、三洋電機株式会社創業30周年記念事業の一環として1977(昭和52)年2月1日設立されたものです。

 旧・三洋電機製作所・北條製造所は煉瓦造で、内部は鉄骨で補強されていたということです。当時は工場の入口近くに素材倉庫があって、プレス材の裁断が行われていました。当時は素材の入手難により、真鍮帯板も所定寸法に切断しなければならず工程が増え、素材の歩留まりも低下していました。所定の寸法に裁断された素材は次の部品工場に送られました。絞り作業を円滑にするために石けん水に浸された素材は部品工場内1列に並んだプレス機械で、プレスされていきました。プレス工程では先の曲がった特殊ペンチを使用して、プレス加工の敏速性や安全性の向上をはかっていました。プレスの縁取り等にも特殊なチャックが使われていたということです。ランプの反射板等も銀メッキが施され、メッキの下工程では焼戻し、表面仕上(ローレット)、バフ磨きが行われていました。各工程で加工された部品は運搬箱に入れられてラインからラインへ運ばれていきました。

初期のプレス機械 捲線機

捲線機(小畑鉄工所製 現在の兵庫産業)
この捲線機は発電ランプのダイナモ(発電機)鉄心に捲線するために考案されたもので、一度に多数の捲線ができ、量産に威力を発揮し、また現在使われているいろいろな自動機を生む基礎となりました。

 

 この木製枠のコンベアーは、1948(昭和23)年に三洋電機が日本で最初に導入した「コンベアシステム」です。生産方式におけるコンベアシステムは、当時としては画期的な生産方式として注目を集めました。


 三洋電機株式会社発祥の工場である「三洋電機製作所北条製造所」(現在の三洋電機・回転機製造事業部)は、1947(昭和22)年に創業しました。最初に手がけたのは「自転車用発電ランプ」です。この発電ランプは、品質の優秀さと、日本で初めて採用された「コンベアシステム」などによる量産方式から、1955(昭和30)年には、国内をはじめとして、海外市場におけるシェアの大半を占める急成長をとげ、「世界のサンヨー」と呼ばれる三洋電機の礎を築きました。

発電ランプ第1号機 47型(6V−2W)
DYNAMO LIGHT,FIRST PRODUCT ('47 type)
 発電ランプ1号機47型は、1947(昭和22)年2月1日、三洋電機製作所北條製造所設立と同時に開発に着手したもので、戦後の資材の不足、最悪の電力事情等、数多くの困難な状況を乗り越え、3月末に試作品が完成、7月から量産を開始しました。当時、日本の発電ランプメーカーは16社あり、三洋電機は17番目の後発メーカーとして出発しました。1947(昭和22)年12月、全国発電ランプ性能コンクールで優勝し、日本をはじめとして世界市場に発電ランプのシェアを拡大する基礎を築いた商品です。

 三洋電機製作所・北條製造所は当時「自転車用発電ランプ」では国内全需要の70%に近い10余万個を生産しており、しかも素材から一貫生産を行っていた発電ランプの専門工場でした。
 日本国内では、はじめて「コンベアシステム」が導入され、1947(昭和22)年に創業し、7月に初めての製品が完成しました。1948(昭和23)年末には月産9000個、その間に従業員も増加して、1949(昭和24)年末には230名となり、月産40000個を生産するようになりました。さらに1950(昭和25)年度には、わずか70名の増員で倍近い110000を月産するまでになっています。この時期には発電ランプも標準型からより複雑なスーパー型に生産の重点が移り、その当時さらに20000個増産を実現できる見通しをもっていました。当時1人当たりの生産高が20余万円、労務費は総売り上げの3%程という数字になっていました。平均勤続年数はわずか4.7年、平均年齢20歳、平均扶養家族0.8人、その平均賃金が7000円という状況でした。


ダイナミックワイドモーター(レッドモーター)
HIGH POWER MOTOR,"RED MOTOR"
 従来のモーターに比べ主磁極・補磁極の位置を非対称にすることにより、一方向(右回り)に強力な起動力・回転力を生み出し、80mm深ひねりファンとのコンビで三洋扇風機の高性能をアピールする原動力となりました。
 このモーターは、近畿地方発明協会「特賞」、全国発明協会「発明賞」、三洋電機・第1回発明考案意匠の実施報償「社長特別賞」受賞(コンデンサ電動機 発明者:松本洋典)しました。

ダイナミックワイドモーター
主磁極間角度90度
補磁極間角度90度
主磁極補磁極間角度60度
従来のモーター
主磁極間角度90度
補磁極間角度90度
主磁極補磁極間角度45度

SANYO MUSEUM (サンヨー・ミュージアム)
大阪府守口市京阪本通2丁目5番5号
※三洋電機設立50周年を記念して2001年2月1日にオープンした企業博物館で、三洋電機の製品や情報技術を支える電子部品など238点(2001年2月現在)を展示解説しています。木製キャビネット型テレビ、ラジオ、第一号洗濯機(1950年代)や、1970年に開催された万国博覧会で展示された「人間洗濯機」!・・・全身を自動的に洗える(^^)・・・などが展示されています。
 この博物館の壁面と屋上には太陽光発電システムが設置されており、隣接している三洋電機本社に送電しています。


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