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技術のわくわく探検記 2001.8.6.

私たちが歴史から学ぶことは、人間は歴史から何も学んでいないということだ (アルバート・アインシュタイン)


原爆ドーム
旧・広島県物産陳列館(広島県産業奨励館)
世界文化遺産

広島平和記念資料館
http://www.pcf.city.hiroshima.jp/peacesite/
広島県広島市中区中島町1-2
広島平和記念公園
原爆死没者慰霊碑

 1945(昭和20)年8月6日 午前8時15分、米軍のB29爆撃機が人類史上最初の原子爆弾を広島市の市街地中心部に投下しました。原子爆弾は上空約500mで爆発し、爆心地から半径約2km内の建物は全壊・全焼、半径約4キロメートル内の建物は半壊して広島市の市街地は一瞬にして廃墟と化してしまいました。この原子爆弾による爆風と熱線によって1945(昭和20)年12月末までに約14万人が死亡(現在まで約20万人以上が死亡)しました。そして今日においてもなお多くの方が放射線の後障害などに苦しみ続けています。

原爆ドーム

 旧・広島県産業奨励館は、爆心地の北西約160mにあったため、建物の屋根や床はすべて破壊され、壁も1階の上端以上の大部分が倒壊しました。爆風がほぼ真上から建物に作用したため、建物の中心部は倒壊を免れました。

 

 1915(大正14)年4月 広島県物産陳列館として竣工(のち広島県立商品陳列所、広島県産業奨励館と改称)
        ※広島県内の物産の展示・即売、美術展覧会、博覧会などが開催
     設計 ヤン・レツル(チェコ人の建築家)
        ※ヤン・レツルはプラハ美術専門学校でセセッション様式(分離派)の第一人者オットー・ワーグナーの弟子に師事し、建築を学ぶ。
         ヤン・レルツの日本での代表的建築物は聖心女子学園(1909(明治41)年竣工)
     様式 セセッション様式
     構造 煉瓦造外装モルタルおよび石材仕上、3階建(正面中央階段室は5階建)
         ドーム部・・・長軸約11m、短軸約8m、高さ約4m、銅板葺
     建築面積 1023平方メートル
 1944(昭和19)年 内務省中国・四国土木出張所
              広島県地方木材株式会社事務所
 1945(昭和20)年8月6日 午前8時15分、米軍のB29爆撃機が人類史上最初の原子爆弾を広島市の市街地中心部に投下(爆心地は島病院)
 1953(昭和28)年 広島県から広島市へ譲与
 1962(昭和37)年 小規模な倒壊・落下が続いたため、周囲に金網を張り立ち入り禁止となる。
 1965(昭和40)年 保存のため広島大学工学部建築学教室による調査が行われる。
 1966(昭和41)年7月 広島市議会が原爆ドームの保存を決議される。保存工事のための募金運動がはじまる。
 1967(昭和42)年4月10日〜8月5日 第1回保存工事が行われる。工事費5150万円は全額募金で充当
 1987(昭和62)年7月 原爆ドームの長期保存のための現状調査と各種試験が行われる。
 1989(平成元年) 保存工事のための募金活動がはじまる。
 1989(平成元年)10月31日〜1990(平成2年)3月31日 第2回保存工事が行われる。工事費2億378万円(うち募金で1億円を充当)
 ※募金は3億9500万円で、保存工事費には1億円を充当し、残金を今後の保存調査・工事に積み立てるため、広島市は「原爆ドーム保存事業基金」を設置
 1992(平成4)年9月 日本が世界遺産条約に加盟
 1992(平成4)年9月29日 広島市議会は「原爆ドームを世界遺産リストに登録することを求める意見書」を採択
 1993(平成5)年1月21日 広島市が国へ要望書を提出した。
 ※このとき国は原爆ドームが文化財保護法(国内法)の保護を受けていないことや、文化財として歴史が浅いということで世界遺産に推薦する要件を備えていないという見解を示す。
 1993(平成5)年6月7日 市民団体からなる「原爆ドームの世界遺産化をすすめる会」が結成される。
 1993(平成5)年6月19日 「原爆ドームの世界遺産化をすすめる会」による原爆ドームの世界遺産化を求める国会請願の署名運動(最終的な署名は165万3996名)がはじまる。
 1994(平成6)年1月28日 原爆ドームの世界遺産化を求める国会請願が参議院で採択
 1994(平成6)年6月29日 原爆ドームの世界遺産化を求める国会請願が衆議院で採択
 1994(平成6)年7月6日 広島市が「原爆ドーム世界遺産化推進委員会」を設置(東京委員会、広島委員会)
 1994(平成6)年7月7日 参議院文教委員会による原爆ドームの現地視察
 1994(平成6)年11月25日 広島市と(社)日本ユネスコ協会連盟が東京でシンポジウムをを開催する。
 1995(平成7)年3月6日 文部大臣がが史跡指定基準を改正
 1995(平成7)年6月27日 文部大臣が「原爆ドーム」を文化財保護法の史跡に指定する。
 1995(平成7)年9月6日 衆議院文教委員会による原爆ドームの現地視察
 1995(平成7)年9月28日 国が世界遺産委員会に世界遺産として登録するように推薦
 1996(平成8)年12月5日 国際記念物遺跡会議などの審査を経て、メキシコのメリダで開催された世界遺産委員会で世界遺産への登録が決定
 1996(平成8)年 原爆ドームの詳細な測量図を作成するため、写真測量とコンピュータによる解析が行われる。


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