産業技術遺産探訪 2001.8.12./2012.8.22./2016.8.8. 朝倉三連水車

菱野三連水車
堀川用水と朝倉揚水車
国指定史跡・1990(平成2)年7月4日指定
管理:山田堰土地改良区

1789(寛政元)年 菱野三連水車がはじめて設置される。

福岡県朝倉市菱野(旧 福岡県朝倉郡朝倉町菱野) 

YouTube->菱野三連水車」https://youtu.be/Cv4gu9CZLPg

 1663(寛文3)年、新田開発のために筑後川から水を取り入れる「堀川用水」がつくられました。1722(享保7)年には、岩盤を切り貫いて取水口(「切貫水門」)を新設しました。ところが、位置の高い山側の土地では「堀川用水」の恩恵が受けられないため、揚水のための水車が設置されました。揚水水車は、1789(寛文元)年に「菱野二連水車(のち三連水車となる)」、宝暦のころに「山田二連水車(昭和になって廃止された)」「三島二連水車」「久重(ひさしげ)二連水車」が相次いで設置され、規模・揚水量ともに日本最大の重連揚水水車群を形成するようになりました。

 現在では、6月中旬(一部5月下旬)から10月中旬まで稼働しており、灌漑面積は3基の揚水水車(「菱野三連水車」(13.5ha)「三島二連水車」(10.5ha)「久重二連水車」(11ha))であわせて35ヘクタールになります。

菱野三連水車
 下掛け式三連揚水水車
 製作者:妹川矩雄さん(水車大工)
  上車(いちばん上流側の水車)  直径4.76m 幅1.5m 柄杓48個
  中車(三連の中央にある水車)  直径4.30m 幅1.5m 柄杓44個
  下車(もっとも下流側にある水車) 直径3.98m 幅1.5m 柄杓40個
 ※これらの水車の直径は、水車の回転数、揚水の高さ、揚水量と密接な関係があり設計されています。
   「菱野三連水車」は、1日あたり7892〜8784トンの水を揚水し、13.5ヘクタールの水田を灌漑しています。
  なお、水車は5年ごとに作り替えられています。
左側が上流 堀川用水の対岸から見た水車で右側が上流
 左側が上流側の水車(上車)です。
 上流側から下流側になるにしたがって水車の直径が小さくなっていくのがわかります。
 「菱野三連水車」の愛称は「田んぼのSL」だそうです。3つの水車が蒸気機関車の動輪のようですね。



YouTube

三島二連水https://youtu.be/Ot6homIHvic

久重二連水車https://youtu.be/RvZd7zbTmqM


筑後川・山田堰(取水口)・切貫水門・・・1680m・・・菱野三連水車・・・170m・・・三島二連水車・・・270m・・・久重二連水車

堀川用水 1663(寛文3)年  現在では670ヘクタールの水田に水を供給している。
山田堰(福岡県朝倉町山田) 1790(寛政2)年
 1790(寛政2)年、堀川用水の水量を増加させて灌漑面積を増やすために、当時の庄屋であった古賀百工を中心にして堀川用水の取水口である切貫水門の上流に堰(山田堰)を築いた。山田堰は筑後川のほぼ中流にあたる。山田堰の表面積は25370平方メートル  

切貫水門 1722(享保7)年
 堀川用水へ水量を安定させて供給するために、旧・取水口から現在位置に移された。内部は岩を鑿(ノミ)でくり貫いてトンネル式になっている。はじめは長さ約20m(11間)、トンネルの断面は約1.5m(5尺)の正方形であったが、数回の改修を経て、現在のトンネル断面は約3m(10尺)の正方形になっている。

菱野三連水車 1789(寛文元)年 はじめは二連水車で、のちに一挺追加されて三連水車となる。

(山田二連水車) 宝暦のころに設置 昭和になって廃止

三島二連水車 宝暦のころに設置
 水車の直径:3.98m 幅:1.5m

久重二連水車 宝暦のころに設置
 水車の直径:3.98m 幅:1.5m

※これらの揚水水車群は水利事業再開発計画によって1980(昭和55)年に廃止される計画であったが、香月徳男さんらの保存運動で残すことができた。現在、国指定史跡(1990(平成2)年7月4日指定)となっている。


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