技術のわくわく探検記 2000.8.29.
株式会社 池貝・史料館
川崎工場
神奈川県川崎市幸区神明町1−80
株式会社池貝・川崎工場テクニカルセンター内
史料館には1889(明治22)年に製作された現存する国産のものとしては最も古い旋盤が展示されています。
池貝1号旋盤
1889(明治22)年、創業者池貝庄太郎の手によって英式9フィート旋盤2台が、自社設備として製作されました。
当時は、動力源がないためベルト車を人力で回転し加工しました。(手廻しダライ盤:旋盤のことで、ドイツ語のDrehabnkが訛ったもの
)
ここに展示されている池貝1号旋盤は、池貝鐵工所(現在の株式会社・池貝)創業者である池貝庄太郎によって1889(明治22)年に製作された9フィート旋盤2台のうちの1台で、現存する最古の国産旋盤です。(この旋盤は国立科学博物館に帰属しています。)
この旋盤は昭和初期まで約40年間使われており工作機械としての信頼性の高さを実証しています。
英式旋盤であるためベッドが平面です。
直径の大きな材料も加工できるように、ベッドの主軸側(旋盤の左側)に切り落とし(凹部)があります。通常は、この部分にベッドの橋を架けておき、平面のベッドとして使われます。
池貝・史料館のおもな展示物
1889(明治22)年、創業者池貝庄太郎の手によって製作された英式9フィート旋盤(現存する国産のものとしては最も古い旋盤)
昭和初期の池貝シートカタログ集など
・船舶用 池貝「SD26」型ディーゼルエンジン
・池貝「MSD31」型ディーゼルエンジン
・池貝ディーゼル自動車(FT15型)
・池貝ディーゼル自動車用機関外形図
・試作貨物自動車 遠距離運転経路
・国産ディーゼル機関車の先駆〜1931(昭和6)年 八幡製鉄所20号ディーゼル機関車 紹介記事
昭和40年代の主要製品カタログ
・D型標準旋盤 D20型(株式会社 池貝)
第1回 歴史的価値のある工作機械の顕彰〜ロングライフ・ベストセラー賞(平成11年5月25日)
株式会社 池貝 川崎工場
テクニカルセンター室長・横山徳衛さんの案内で、川崎工場内を見学させていただきました。
広大な工場の中でさまざまな工作機械がつくられています。
株式会社 池貝 創業の地
田中久重工場(後に芝浦製作所、東京芝浦製作所を経て現在の東芝)で働いていた池貝庄太郎は1889(明治22)年に芝区金杉川口町(現在の港区芝四丁目)で工場を設立しました。のち柴井町(明治23年)、田町三丁目(明治28年)、本芝入横町(明治34年)に移転するとともに工場を拡張し、明治43年および大正2年に隣接地を購入することによって大規模な本社工場となり、昭和31年まで煉瓦造りの本社三田工場がありました。(現在の港区芝のNECビルの東側)
池貝庄太郎の実弟喜四郎は、兄以上の技術力と品質に対する厳しい目を持っており、工場内を巡視する際には必ずハンマーを持参し、不良品を見つけると、これを二度と使えないように叩き壊し、職工がオシャカ品を手直しして使用することを戒めたと言われています。このことは長く池貝の職工の間で「池貝 魂」として言い伝えられました。
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社史 1885(明治18)年〜1949(昭和24)年
1885(明治18)年
西村機械工場の倒産により、池貝庄太郎は新橋南金六町の田中久重(からくり儀右衛門)工場(後に芝浦製作所、東京芝浦製作所を経て現在の東芝)に転職する。
1889(明治22)年5月
池貝庄太郎は資金90円で田中久重工場より独立し、芝区金杉川口町に「池貝工場」を創業。
このとき池貝庄太郎20歳、弟の池貝喜四郎12歳と仕上げ師1人、車回し(工作機械の動力)1人のわずか4人で工場を始める。
自社設備として英式9フィート旋盤を2台製作(現存する国産旋盤の最古のもの)
水道用スルース・バルブの製作にあたる。
この頃、英国アルフレッド・ハーバード社、ワード社、米国シンシナチ社などの工作機械メーカーが創業。
1890(明治23)年
芝区柴井町に移転、この頃の従業員4名
1890(明治23)年
日清戦争までの数年間、主として部品加工
艶出しロール機を製作
1893(明治26)年
工場拡張、機械増設、人員増加
1894(明治27)年
戦時景気で事業が活発になる。
1895(明治28)年
芝区田町に工場新築移転
1895(明治28)年
自家用4馬力スチームエンジンを製作
1896(明治29)年
陸用3.5馬力竪型石油エンジンを製作(国産石油エンジン第1号)
1897(明治30)年
米式万能フライス盤を購入、歯車の機械切削を国内ではじめて実施(機械歯切り元年)
八幡製鉄所創業
1897(明治30)年
横型2.5馬力及び4.5馬力ガスエンジンを製作
国産舶用石油エンジンの第1号機を隅田川巡航汽船会社へ納入
1897(明治30)年〜1899(明治32)年
この頃の設備
7.55馬力エンジン 1台
シカル盤 7台
ミーリング 1台
旋盤 7台
シェーパ 1台
ボール盤 1台
1898(明治31)年
「大隈麺機商会」(現在の「オークマ」)と若山鉄工所が創業
1898(明治31)年
船用4馬力石油エンジンを製作
1899(明治32)年
村井煙草工場にボンサック煙草機械15台を納入
横須賀海軍機関学校に米式6フィート旋盤5台を納入
1900(明治33)年
15〜30馬力ガスエンジン、石油エンジンの販売拡大
1901(明治34)年
芝区本芝に煉瓦建て工場新築移転
日本最初の米国製自動万能歯切盤を新設
陸海軍からの機械、歯車等の受注拡大
1903(明治36)年
3〜8馬力焼玉式横型石油エンジンを量産
軍部向けの各種検査器具を製作納入
1904(明治37)年
従業員60余名まで増加
軍部下命により、弾丸旋盤、銃身施綫機、薬莢弾圧機等数百台の機械を製造
1905(明治38)年
工場拡張
米英折衷仕様の池貝式標準旋盤(アイノコ旋盤)を開発販売に入る。
はじめてゲージ・インジケーターを用いて米式旋盤2台を製作
1906(明治39)年
池貝庄太郎が東京高等工業学校(現在の東京工業大学)の教授となる。
W.A.Cフランシスを嘱託に招聘
機械製造工程内検査の考えをはじめて導入
煙草業者千葉氏と「合資会社池貝鐵工所」を設立
6〜11月の間に、石油エンジン45台、工作機械23台、ウォシントン・ポンプ33台を製造
1906(明治39)年〜1910(明治43)年
米英独の工作機械多数を設備機械として購入
1907(明治40)年
青梅鐵道の依頼により、米式機関車を創製
1908(明治41)年
煉瓦造り2階建て工場落成
三重県浜島港での漁船用発動機講習会で焼玉式2サイクル石油エンジンが他社製品を圧倒
1909(明治42)年
不況による工場整理多発
唐津鐵工所創業
1910(明治43)年
資本金30万円、隣接工場買収、輸入機械増設
6月1日創立20周年を兼ね、金乃神社殿鎮座記念式を挙行(創立記念日の由縁)
1911(明治44)年
高圧無点火式短筒および2気筒石油エンジンを相次いで製作発表
隣接工場買収
1912(大正元)年
池貝式高速度旋盤を製作発表
煉瓦造工場2棟新築し発動機部門を分立する。
1913(大正2)年
資本金50万円
株式会社池貝鐵工所設立
1914(大正3)年
ターレット・レース(ターレット旋盤)の製作販売を開始
発電機用原動機としてエンジンを駆逐艦に搭載
鉄筋煉瓦建て400坪大物工場増設
1915(大正4)年
池貝式8フィート旋盤5台を英本国に輸出、次いでロシア向け8フィート旋盤75台を輸出、国産機械の世界市場進出の先鞭となる。
20インチ振り強力旋盤、大型プレーナー等軍部への機械納入増える。
資本金100万円に増資
1916(大正5)年
30馬力ガソリン・エンジン585台、旋盤145台をロシアに輸出
強力旋盤、バーチカル・ミラー、特殊ボーリングマシン等、新製品を含む多数の機械を軍部へ納入
資本金200万円に増資
発動機工場新設
1918(大正7)年
発動機工場内に鋳物工場新設
米騒動起こる
軍需工業動員法が公布される
1919(大正8)年
200馬力および360馬力大型ガソリン・エンジンを製作し軍部へ納入
1920(大正9)年
東京高等工業学校(現在の東京工業大学)の依頼により、国産初のエアインジェクション・ディーゼル・エンジンを完成
資本金600万円に増資
1921(大正10)年
漁船用M10型焼玉式エンジン大量生産
農商務省主催工作機械展覧会が大阪で開催、4機種を出品し優秀な成績を上げる
1923(大正12)年
池貝の震災被害軽微、復興奉仕修理を行う
関東大震災復興に尽力、発電機用の原動機需要急増
関東大震災によりストライキが無条件解決
1925(大正14)年
工具刃先成型用プロファイル縮写削成機を完成し、特許取得により、戦前まで製作販売を独占
1926(昭和元)年
印刷輪転機の製作に着手、国産第1号機を東京朝日新聞社へ納入
無気噴油ディーゼル・エンジンの製作に成功
175kWおよび250kW無気噴油ディーゼル発電機を軍部に納入
1927(昭和2)年
水産試験場指導船宮城丸に国産初の船用無気噴油ディーゼル・エンジンを搭載
東京朝日新聞に自動活字鋳造機械を試作納入し、この分野での輸入機械依存をなくす。
豊田自動織機向けに数種類の専用工作機械を設計・製造する。
ベルリン大学シュレンガー博士本社訪問し、プロファイル縮写削成機の発明を賞賛する。
1928(昭和3)年
池貝庄太郎、緑綬褒章を授与される。
1929(昭和4)年
工場法施工、少年工・女工の深夜業禁止
1930(昭和5)年
文部省航海練習船日本丸、海王丸の主機として600馬力無気噴油ディーゼル機関を製作
従業員に定年制を導入
1931(昭和6)年
高速度輪転機を関西中央新報社、東京新聞社に相次いで納入
ディーゼル機関車のエンジンを製作し、八幡製鉄所に納入(国産ディーゼル機関車製作の先鞭となる)
不況深刻となり、7月帰休アイドル制採用
工場組合法実施
1932(昭和7)年
高速ディーゼル機関の排気の無色化に成功
軍部より特殊工作機械の受注増加
1934(昭和9)年
18万刷高速輪転機を大阪毎日新聞社に納入
国産初の自動車用ディーゼルエンジンの量産に入る
池貝庄太郎死去、息子の池貝勝男が2代目池貝庄太郎を襲名
1935(昭和10)年
新高硬度工具(ウィデア、タンガロイ等)対応の工作機械としてD型旋盤、H型高速旋盤、A型フライス盤を完成
資本金50万円で川口市に「株式会社 池貝鋳造所」を設立(現在の株式会社 池貝・川口工場)
1936(昭和11)年
資本金1千万円で、川崎市中瀬町に自動車工場を新設(現在の小松製作所・川崎工場)
1937(昭和12)年
資本金1500万円で「池貝自動車製造(株)」を設立
川崎市戸手町および溝ノ口に工作機械工場、戸手西原耕地に発動機工場(現在の川崎工場)を建設
資本金50万円で「日本(金反)板金工業(株)」(現在の東京ラチ゛ェータ(株))を設立
1938(昭和13)年
戦艦「大和」建造のためアーマープレート用平削り盤を呉海軍工廠に納入
資本金150万円で池貝チャック製造(株)を設立
有楽町東日会館内に(株)池貝本社を設立
国家総動員法、工作機械製造事業法等が公布され軍特殊工場に指定
1940(昭和15)年
海軍形400、850馬力エンジンを大量生産
1941(昭和16)年
工作機械生産台数1443台/年に達する
1942(昭和17)年
A75横中ぐり盤が商工大臣より優秀賞を受賞
1943(昭和18)年
航空機エンジン生産用専用機製作のためのメーカー集団「ホマレ会」「アツタ会」が結成される。
1944(昭和19)年
戦時形旋盤3245台を企業集団で生産
1945(昭和20)年
終戦後500馬力船用エンジンの生産に着手
毎日新聞社、東京新聞社の損傷輪転機修理を受注
1946(昭和21)年
工作機械の生産を開始するが、国鉄への納入以外は需要がなかった。
1947(昭和22)年
低型二層式輪転機を時事新報社に2台納入
漁船160馬力エンジンを製作
1949(昭和24)年
戦後最初の大型工作機械として、内燃機シリンダーライナー用精密中ぐり盤を製作納入
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