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通信ネットワークはいかに進化してきたか〜電気通信の技術史


電気通信技術史年表

電気通信以前には・・・・
紀元前10世紀頃には、狼煙(のろし)や烽火(ほうか)などが通信技術として使われていた記録がある。(日本書記には664年に対馬に防人と烽を設置したという記録がある)
紀元前6世紀の古代ペルシャでは、王宮から一列に塔を並べ、声で要件を次々と伝達し、遠方への連絡に使っていたという記録がある。また紀元前490年のギリシャではマラソンの由来となった伝令の伝説がある。
17世紀にオランダで望遠鏡が発明され望遠鏡による信号の伝達などが行われていた。この他にもトーキングドラム(アフリカ)などの太鼓、人間による文書の運搬(飛脚など)、手旗信号、伝書鳩、号砲、郵便などがある。

1450 グーテンベルクが活版印刷を発明
1600 ギルバート(William Gilbert 1544-1603 イギリス)が磁石論を著す
1636 シュウェンダーが磁石の相互作用で通信を考案したが成功しなかった。
1642-1645 パスカル(Blaise Pascal, 1623-1662)が加算器を考案、製作し商品化にも努力する。(同じ頃、シッカルト(Wilhelm Schickard, 1592-1635)も計算器を考案、製作していた。)
1753 スコットランドのC.M.(Charles Morrison ?)が電気を通信に利用することを提案
1760頃〜 イギリス産業革命はじまる(〜1830頃)
1776 アメリカ13州独立宣言
1789 フランス大革命
1791 シャップ(C.Chappe 1763-1805 フランス)が腕木式通信機による通信(光通信)を考案し、通信機(のちテレグラムと命名する)を公開した。 腕木式通信機は、このほかにもイギリスのマッレイによる開閉式(シャッター式)や、1800年米国のグロート、1801年にはフランス人デプリオなどによって考案された。ナポレオン遠征以後に「シャップの腕木式通信機」による通信網がスウェーデン(1795年)、ドイツ(1798年)、デンマーク(1802年)、などに拡大して、各国の産業革命に影響を与えた。これらはおもに軍事用に独占されており、1840年代以降に商業的に使われるようになった。
1753 スコットランドのCM(Charles Morrison?)が静電気を通信に利用することを提案する。
→摩擦電気機を用いて、アルファベットの各文字にそれぞれ通信線を対応させる方法を考案。送信文字(信号)の検出はどの通信線が紙を引きつけるかで判別する。
1774 フランスのル・サージュが木心検電器を受信機として電気通信を試みた。ロモンドも1787年に同様の実験を試みる。
1795 イギリスのキャバロは火花を使った電気通信を試みた。
1800 ヴォルタ(Alessandro Giuseppe Antonio Anastasio Volta, 1745-1827)が電堆とコップ電池を発明
※電堆は塩化ナトリウムの水溶液を円盤状の布または紙にしみこませ、正極の銅板と、負極の亜鉛板にはさんだもので、コップ電池は正極の銀板と、負極の亜鉛板を塩化ナトリウム水溶液の中に入れたもの。電池の発明によって通信に電流を使うことが、電力消費の少ない電信技術を用いることによって考案されはじめる。
1809 ゼメリング(S.T.von Sommering, 1755-1830)電気分解装置を用いた電気分解式電信機を考案する。
1816 イギリスのロナルズがライデン瓶と木心検電器を用いた12.8kmの静電気による電信実験を行う。
1827頃〜 バベジ(Charles Babbage 1792-1871 イギリス)が計算機(Calculating engine)の作成に没頭したが、実用機は完成できなかった。
1825 シリング(P.von Canstadt Schilling, 1786-1837)が電流による磁針の振れを使った電信機を発明する。
1827 オーム(Georg Simon Ohm 1789-1854 ドイツ)の法則
1830年代以降に建設ラッシュが続いたイギリスの鉄道と、アメリカ西部開拓には通信技術が不可欠な要素となる。鉄道では列車の運行状況を把握する必要があり、電信の急速な発達を促すことになった。
1830 ヘンリー(Joseph Henry, 1797-1878 米)が自己誘導作用を発見(電磁誘導も発見していたが1832年に発表したため、ファラデーの発表より遅れた。)
1831 ヘンリーが電磁式電信機を発明
1831 マイケル・ファラデー(Michael Faraday, 1791-1867)が電磁誘導を発見
1832 シリングが電磁式電信機を発明
1833 ガウス(Carl Fredrich Gauss 1777-1855 ドイツ)がW.E.ヴェーバー(Wilhelm Eduard Weber 1804-91 ドイツ)とともに1831年から電気・磁気現象の研究を始め、電磁式電信機を発明、ゲッティンゲンで実験を行う。
1834 ワトソンとホイートストンが電気伝導速度の実験を行う。
1837 モールス(Samuel F.B.Morse 1791-1872 米)がモールス式電信機(電磁石式電信機)を組立ててニューヨーク市立大学構内で公開実験を行う(電流による信号の伝達を行う有線通信のはじまり)
1837 アルフレッド・ヴェイルがモールス式電信機(電磁石式電信機)の受信装置を自記印字方式に改良(モールス電信機の完成)
1837 クック(W.F.Cooke 1806-1879 イギリス)とホイーストン(Charles Wheatstone 1802-1875 イギリス)が5針式電信機を発明
1837 ページ(G.G.Page 1812-1868)やブルサール(C.Bourseul)、ライス(J.P.Reis 1834-1874)などがデジタル方式の音声伝送の研究をはじめる
1838 シュタインハイル 電信で大地を帰線に利用
1838 ヴェイルがモールス式電信機を使った有線通信をシステムとして実用化
1840 ホイートストンがABC電信機を発明
1840 ホイートストンがドーバー〜カレー間に海底ケーブル敷設を計画したが実現しなかった。
1843 ベイン(Alexander Bain イギリス)が走査の分解による写真電送を考案
1844 米国ワシントン〜ボルチモア間に電信線が引かれる
※19世紀中頃に電信設備事業が拡大し、「電信技師」という新しい職業が誕生する。また、各国の国内回線や海底ケーブルが次々と敷設され、地球規模の電信による情報伝達時間が驚異的に短縮されていく。
1846 ロンドン王立研究所のマイケル・ファラデー(英)により電気や磁気が光と同じように空間を進むという仮説が提案される。
1846 ヴェルナー・ジーメンスがグッタベルカの海底ケーブルを製作
1848 ベイクウェルが写真の電送法を発明する。
1848 ブール代数の出現
19世紀中頃に電信設備事業が拡大し、電信の中継所も多数設置されたため「電信技師」という新しい職業も誕生
1845-1849 キルヒホフ(Gustav Robert Kirchhoff 1824-1887 ドイツ)がキルヒホフの法則を発見
1850-1851 ブレット兄弟が英仏海峡(ドーバー海峡)に海底ケーブル敷設(初の海底ケーブル敷設)
1854 日米和親条約を結ぶために再び来日した米国使節ペリーが徳川幕府に「エンボッシング・モールス式電信機」を贈呈する(日本に電信機が初めて伝わる)。
1854 ブルサール(C.Bourseul)が音声によって動かすことができる振動板で電気回路を開閉し、受信側の電磁石によって振動板で音声を伝達する方法を考案する。
1854 クリミア戦争で電信が使われる。
1855 ヒューズが印刷電信機を発明
1855 ケルビンが海底ケーブルの電流波形を解析
1857-1858 フィールド(Cyrus Field 1819-1892)らによって大西洋横断海底ケーブルが敷設(ニューファウンドランド〜アイルランド間)
1858 ケルヴィンが海底電信用反照検流計を発明
1858 ステアンズが二重電信法を考案
1858 ホイートストンが自動電話機を発明
1861 ライス(J.P.Reis 1834-74)がブルサールの提案を実験し、電話機を試作する。ライスによってfar-voiceを意味するギリシャ語telephonieが電話機を示す用語として使われる。
1864(1856〜) マクスウェル(James Clerk Maxwell 1831-1879 イギリス)が数学的な方法で電磁波の存在を理論的に示す。→ジェームズ・マクスウェル(英)がファラデーの考えを理論的に証明する。
米国では電信事業が南北戦争後の最も早い独占企業となる。
1864 幕府留学生の榎本武揚がオランダから電信機を持ち帰る。
1865 万国通信連盟を締結
1867 1857年に着手した大西洋横断海底ケーブルの敷設が完了(イギリス〜米国)
1868(明治1) 明治維新
1868 ステアンズが同時通信式電信機を発明
1869 ダーリンコートがファクシミリを発明する。
1869 東京・横浜で電報取り扱い開始(日本の電信事業開始)、ここではブレゲー指字電信機がフランスから輸入され1871年まで使われた。※東京・築地と横浜を電信で結んだ理由は、東京築地にある運上所(税関)と横浜にある裁判所の連絡のためであった。当時は生糸の輸出や海外からの輸入品にかかわる関税上のトラブルに対処するため、2つの役所を電信で結ぶ必要性があったためである。なお、新橋〜横浜間の鉄道開業は1872(明治5)年1869 12月25日 横浜の電信局で一般の電報の取り扱いが始まる(和文モールス符号)※郵便制度ができたのは1871(明治4)年で、電信より遅かった。これは飛脚が存続していたためと思われる。
1871 モールス印字電信機を英国より輸入して使用開始
1871 日本ではじめて、デンマークの大北電信会社によって長崎〜ウラジオストック、長崎〜上海間に海底ケーブルが敷設される。
1872 田中久重が、工部省の依頼を受けて電信機を初めて製造する。
1872 新橋〜横浜間鉄道開通
1872 エジソンが二重通信を考案
1873 電信機の国産化に成功
1873 東京〜長崎間の電信回線が開通して、ヨーロッパまで接続される
1873(1856〜1873) マクスウェル(James Clerk Maxwell 1831-79 イギリス)が電気・磁気とその相互作用を数式で表現した電磁場の基本方程式(マクスウェル方程式)をつくりあげる。
1874 東京〜青森〜北海道間の電信線が開通する。
1875 ケアリ(Carey)が光電素子による並列伝送線を使った並列方式のテレビジョンを考案
1875年 ベルが多重通信(1本の電線に多くの周波数の電流を送り受信する)の実験を行う。
1876 3月10日 ベル(Alexander Graham Bell 1847-1922 イギリスのち米に帰化)が電話機(液体送話機および電磁石式電話機)を発明する。(人間の声が初めて電流にして送られた。最初の言葉は「早く来てくれワトソン君!」という実験室にいたベルが隣の部屋の助手ワトソンを呼びかけであった。送信と受信の両方で電磁石と振動板をおき、音声を振動板と電磁石で電気信号に変換する、今日の電話器の原形が開発された。ベルが振動板を使って音声を電流に変えて伝える方法は、人工鼓膜の研究から発想したものであり、多重通信の実験中、偶然に通信線で音声が送られたことによって電磁式電話器をつくった。このころグレイ(Elisha Gray 1835-1901 米国)も実用的な電話器を発明していた。音声のような高周波の電流が電線によって伝えられるということは、当時の電気学者にとっては思いも及ばないことであった。)
このころからアナログ式音声伝送技術の研究が盛んとなる
1876 10月 ベルによってボストン〜ケンブリッジ間約3kmの通話実験に成功。
1877 米国のボストンで世界初の電話交換が始まる。
1877 ベル電話公社の設立
1877 エジソン 抵抗型送話機
1877 西南戦争
1877 電話が日本に初めて輸入される。電話交換機が設置される。工部省〜宮内省間に電話機を設置。
1878(明治11) 電信中央局開局。工部省電信局製機所で、輸入したベル電話機を模した国産1号電話機が2台製作されたが実用にならなかった。電信中央局開業式に際し、アーク電灯の点火に成功する。
1878 ヒューズ(米)がマイクロフォンを発明
1879 スクリープナー電話複式交換機
1879 ギリランド 電話中継器
1879 ロンドン、パリで電話交換はじまる。
1880 米国内の電話加入台数約3万台
1881 ベル社(米)がW.E社を買収
1881 電話機の国産化に着手。津田電線が、国産ではじめての裸電線を製造する。明工社(現在の沖電気)創立。
1882 日本政府は大北電信会社に対外通信の新免許を付与する。
1883 工部省によってモールス電信機が製作される。
1884 ニプコウ(P.G.Nipkow ドイツ)が機械的な走査方式(ニプコウの回転円板)のテレビカメラを発明
1884 ヘヴィサイドが伝送理論を研究
1884 三吉電機工場(現在の日本電気)創立
1884 米国のボストン〜ニューヨーク間に長距離電話が開通。
1885 逓信省創立
1888 逓信省電信灯台用品製造所でガワーベル電話機の改良に成功、標準電話機となる。
1888 ヘルツ(Heinrich Rudolph Hertz 1857-1894 ドイツ)が実験によって電磁波の存在を実証する。(マクスウェルの理論が予言した電磁波の存在を実験的に確認した)
1888-1889 ハルヴァクス(W.L.F.Hallwacks 1859-1922)、エルスター(J.P.J.Elster 1854-1920)、ガイテル(H.F.Geitel 1855-1923)らが光電効果を発見
1889 東海道本線新橋〜大阪間開通
1889 ストロージャーが自動電話交換機を実用化
1889 ワイラー(.Weiller)がワイラー鏡車を発明し、テレビジョンの機械的な高速走査が可能となる
1890(明治23) 東京・横浜で電話開通(日本の電話創業)※当時の加入者数は東京155、横浜42、計197
1890 フランスのエドアール・ブランリーとロッジが検波用コヒーラ(電波受信機の一種)を発明
1890 ガワーベル電話機が登場
1891 ストロージャーが電話自動交換機を発明
1892 GE(ゼネラル・エレクトリック)社創立
1892 日本の電話加入者数1504
1894 日清戦争(〜1895)
1894 ロッジが同調方式を考案
1895 マルコーニ(Guglielmo Marchese Marconi 1874-1937, イタリア)が無線電信の実験に成功する。マルコーニは「無線の父」と呼ばれている。
1895 ポポフが無線電信の実験→マルコーニとポポフは、それぞれ独立して無線電信の実験を行っていた。
 マルコーニはH.R.ヘルツの電磁波の研究を知り、その実用化を試みた。接地アンテナ方式を自分で改良したコヒーラ検波器を用いた無線通信装置を1895年に発明した。
1896 デルビル送話器、ソリッドバック送話器を標準電話機として採用する。
逓信省内に無線電信研究部が設置され、無線電信の研究が着手される。
1896 マルコーニ、イギリスで無線電信の特許取得
1896 マルコーニの無線電信が日本に輸入される。
1897 日本でマルコーニの無線電信を試作し実験
1897 日本初の電話ケーブル架設、50対と25対の架空鉛被紙ケーブル、100対地下鉛被ケーブルをはじめて採用する。モールス印字機にかわり電信機に音響機を使用するようになる。  
1897 マルコーニ、ブリストル湾の両側14kmの無線通信に成功
1897 陰極線管が発明される。
1897 ブラウン(K.F.Braun 1850-1918)がクルックスの陰極線管をもとにして受像管(ブラウン管)を発明
1897 マルコーニがワイヤレス・テレグラフ・アンド・シグナル社(のちのマルコーニ無線会社)を設立して船舶との通信業を開始
1897 東京市内の電話加入数は約1500
1899 J.J.トムソン(Joseph John Thomson 1856-1940 イギリス)が電子を確認
1899 マルコーニによってドーバー海峡(イギリスのサウス・フォアランド燈台〜フランスのウィムロー間51km)横断無線通信に成功
1899 東京〜大阪間に長距離通話始まる
1899 米国で最初のダイヤル式自動電話が完成。
1899 日本で最初の実写映画が公開される。
1900 プーピン(M.I.Pupin 1858-1935)が装荷ケーブルを発明
1900 日本で初めて無線電信に成功。関門海峡に初めて市外電話回線用として、海底ケーブルを敷設
1900 公衆電話「自働電話」が東京の新橋と上野停車場構内に初めて設置される。京橋には、はじめての公衆電話ボックスの「自働電話」が設置された。
1900 米国でスッテップバイステップ交換機が完成する。
1901 マルコーニが火花式送信機で大西洋横断無線通信の実験に成功(カナダのニューファウンドランド島セントジョーンズ〜イギリスのコーンウォール間3000km)
1901 フェッセンデン(R.A.Fessenden 1866-1932)が無線周波数を音声で変調して、無線で音声を伝える方法を考案する。
1902 ケネリとヘヴィサイドが電離層の存在を発見。
1903 日本初の長距離無線実験に成功
1904 日露戦争が起こる。
1904 芝浦製作所創立
1904 日露戦争の日本海海戦で、国産無線電信機がはじめて使われた。
1904 写真電送に成功する。
1904 フレミング(John Ambrose Fleming 1849-1945 イギリス)が二極管を発明する。マルコーニとの共同研究で、この二極管が電波検知器に応用されることとなる。(二極管は1884年にエジソンによって発見されていたエジソン効果の研究から生み出された)
1905 エジソンが蓄電池を発明
1905 マルコーニによってアンテナの指向性が解明された。(理論付けは1906年にJ.A.フレミングにより提出された。)
1905 東京〜佐世保間長距離電話線開通
1905 日露戦争で無線電信が使用される。
1905 「東京電気」設立
1906 海底線による米国との直通電信連絡を開始
1906 J.A.フレミングによってマルコーニによるアンテナの指向性が理論づけられた。
1906 太平洋横断海底ケーブル(日米海底電信線)が敷設され、地球を1周する電信網が完成
1906 フェッセンデンが320kmの無線電話の実験に成功
1906 コルンが写真電送実験
1906 ド・フォレスト(Lee de Forest 1873-1961 米国)が三極真空管を発明する。(二極管の内部に電流を制御する第三の電極を挿入したオーディオン(Audion)を発明した。これは結果的に増幅作用をもつ三極管であった)三極管は検波器、増幅器、発振器、変調器に使われて無線技術の発展に貢献したため、ド・フォレストはラジオの父と呼ばれている。
※20世紀 真空管やトランジスタなどの増幅作用をもつ電子部品の発明と、通信系路の改良によって通信範囲と通信能力が爆発的に増大していく。
1906 米国のニューヨークでラジオ放送の実験に成功
1906 コルン 写真電送実験
1906 第1回国際無線電信会議がベルリンで開催され、日本も参加する。
1906 鉄筋コンクリート式のマンホールが日本ではじめて試用される。
1907 ロージング(ロシア)がブラウン管をテレビに使用することを提案
1907 マルコーニが欧米間通信業務を開始(船舶への通信を独占する。このとき送受信局の設計を担当したのが二極管を発明したJ.A.フレミング)
1908(明治41) 日本初の無線海岸局銚子無線電信局と日本初の船舶無線局「天洋丸」無線電信局との間に無線電報取り扱いが開始される。
1909 スクィアーが搬送方式を発明
1908 ドーバーとカレー間に最初の装荷海底電話ケーブルが敷設
1909 日本に初めて真空管が輸入される。
1910 ロージング(ロシア)がテレビの送信実験を行う。
1911 イギリス、ドイツなど無線通信網を全世界に拡充しはじめる。
1911 真空管が電話中継機に使われ、高周波搬送方式が始まる。
1911 明治43(1910.4〜1911.3)年度の電話収入が、電信収入をはじめて上回る。
1911 電気試験所で国産の真空管を製作することに、はじめて成功する。
1911 スピーカの開発
1911 テレビの基本原理を提案
1911 アームストロングが三極真空管の増幅作用を明らかにする。
1911 フェッセンデンがヘテロダイン受信機を製作
1912 タイタニック号沈没、1912 タイタニック報道に電信が活用される。
1912 第2回国際無線連合がロンドンで開催される。
1912 米国で無線法が成立する。(ラジオ放送の免許等を定める)
1912(明治45-大正1) 安中電機製作所の鳥潟右一、横山英太郎、北村政治郎が共同で、世界初の実用無線電話機(TYK無線電話機)を発明
1913 マイスナーが真空管を高周波発生用に使用する。
1913 逓信省が瞬滅火花式無線通信機を完成させる。
1914 第一次世界大戦(〜1918)
1914 電気試験所で日本初の真空管の試作に成功
1914 TYK無線電話機の実用的な設置が行われる。(世界初)
1915 カーソンが単側波帯変調を発表
1915 アインシュタインの一般相対性理論
1915 ショットキーが4極真空管を発明
1915 米国のボストン〜サンフランシスコ間大陸横断長距離電話が開通。
1916 パウルゼンのアーク無線方式や高周波発電方式が、マルコーニの火花式減衰電波にとって代わる。
1916 最初のラジオ・ニュースを放送
1916 ゼネラル・エレクトリック社のホワイトが負格子管による反結合発振回路を考案
1917 東京電気が国産初の3極真空管オージオンバルブを製作
1917 電話で「火事」と言えば消防署へ接続する、火災報知制度を東京で実施
1917 東京電気で日本初のオージオン管の試作に成功
1917 ワグナー(Karl Willy Wagner,1883-?)とキャンベル(George Ashley Campbell,?)が濾波器(フィルター)を発明。搬送波に乗せている特定の信号の周波数を自由に検波できるようになり、多重通信が可能となり、またそれまでの回路理論を質的に発展させた。
1918〜1919 濾波器による高周波搬送方式が各国に広まる。
1817 マイスナー(ドイツ)らが真空管式送信機と再生式受信機で実験放送に成功する。
1917 ここころからエレクトロニクスという言葉が使われるようになってきた。
1918 ウェスタン・エレクトリック社がA型搬送電話システムを開発(電力線搬送電話の発明)
1918 第一次世界大戦終わる
1918 鬼怒川発電所〜変圧所間の高圧線で電力線搬送電話の使用開始。
1919 日米間に日本初の2重通信方式を実施。
1919 東京〜横浜間、大阪〜神戸間の既設線路で無線式有線電話方式の実験を開始。
1919 消防電話をはじめて東京に施行。
1919 フリップ・フロップ回路が考案される。
1919 RCA社創立
1919 東京電気が日本ではじめて送信管を完成させる。
1920 11月 米国ピッツバークでAMのラジオ放送局(KDKA)が開局(世界初)(鉱石ラジオ受信機で受信)
1920 マイクロホンの開発
1920 磁気媒体(テープ・ディスク・ドラム)の登場
1920 アームストロング(米国)がスーパーヘテロダイン回路を考案し、受信機を開発。
1921 コルビッツが超多重方式を考案
1921 ハル(A.W.Hull)がマグネトロンを発明する。(のちのマイクロ波通信に発展)
1921 原町送信所が完成し対米送信業務を船橋局から磐城局に移管。
1921 東京、大阪で欧米鍵盤鑽孔機を採用。800対地下鉛被紙ケーブル、100対架空鉛被紙ケーブルを採用。
1921 市外用102対鉛被ケーブルをはじめて輸入して使用。
1922 上野で初のラジオ放送
1922 カーソンが変調理論を考案
1922 写真電送の実用化(米国:ベル電話研究所、ドイツ:SKT、フランス:ベラン)
1922 大阪〜神戸間にはじめて装荷ケーブル導入。逓信省構内にステップバイステップ(ストロージャ)式
自働交換機を試験的に導入する。日本初の印刷電信を開始。
1923  BBCラジオ放送開始
1923  ハゼルタインがニュートロダイン回路を考案
1923  関東大震災
1924  RCA社が無線による写真電送実験を行う。
1924 マルコーニがイギリス〜オーストラリア間の無線電信通信に成功する。
1924 イギリス政府が植民地間の巨大無線通信網にすべてマルコーニ式指向性短波を採用
1924 国産1号鉱石受信機が発売される。
1925 ベアード(J.L.Baird イギリス)が機械式テレビジョンを使って静止画像伝送の実験に成功
1925 米国のATT社が、初めて写真電送の通信事業を開始
1925 クロスバー式自動電話交換機が実用化
1925(大正14)7月12日 東京放送局(JOAK)が開局し、日本ではじめてラジオの本放送が開始される。(東京放送局はNHKの前身)
1925 東京〜大阪間にはじめて和文印刷電信機を試用。東京〜大阪間にコルン式写真電送装置による写真電送を実験。日本無線電信株式会社設立。検見川送信所に日本初の真空管式長波送信機を設置。国産2号共電式卓上電話機を採用。
1925 国産1号真空管受信機が発売される。
1925 海外放送のはじまり
1925 八木秀次・宇田新太郎がダイポールに導波路と反射器を付加して指向性を強くしたアンテナ(八木アンテナ)を発明した。(現在、超短波の送受信、TV受信用として一般的に使われているアンテナの基本原理を発見したことになる。)
1925 「自働電話」を「公衆電話」と改称
1926 八木アンテナの特許が出願される。(八木アンテナは当時国内では評価されず、太平洋戦争後に海外から日本へ逆輸入されることとなった。)
1926 12月25日 浜松高等工業学校の高柳健次郎が浜工式テレビジョンの開発に成功する。走査線40本、毎秒送画数12枚の映像で、ブラウン管に「イ」の字を映し出した。
1926(大正15) スッテップバイステップ自動交換方式(ストロージャ式)を日本ではじめて京橋分局に導入する。東京〜大阪間で無線電信が開始される。無線式写真電送の実験に成功。
電話番号問い合わせ、火災など特殊サービス始まる。青森〜函館間電話開通、本州と北海道の市外通話開始
1926 初のダイヤル式自動電話
1926 東京電気が携帯用の3球真空管ラジオ受信機を発売
1926 ハルが遮蔽格子管を発明
1926 傍熱型真空管
1926 ベアード(J.L.Baird 1888-1946 イギリス)がニプコウ方式(機械式走査)で動く画像(白黒画像)の伝送実験に成功→ジョン・ロジー・ベアード(英)がテレビ送信機を発明
1926 東京電気製サイモホンC型(3球携帯用ラジオ受信機)発売、当時の価格で224円20銭。
1926 日本放送協会(NHK)設立
1927 ドイツのジーメンス社が写真電送装置(ジーメンス・テレフンケン式)を開発
1927 国際無線通信諮問委員会(CCIR)設立
1927 ラウンドが5極真空管を発明
1927 陽極分割マグネトロンが発明される。のちレーダー技術に応用され、鉱石検波器の再研究や半導体研究へつながる。
1927 ST管(真空管)が登場。
1927 世界初の国際無線電話がロンドン〜ニューヨーク間に開通する。
1927(昭和2) 東京〜大阪間に搬送電話方式を導入
1928 ドイツでテレックス業務開始
1928 テレビ画像分解管の発明
1928 世界初の電子テレビ実験成功
1928 ベアードがカラーテレビの実験に成功
1928 日本電気(株)の丹波保次郎・小林正次が独自の写真電送装置(NE式写真電送)を開発
1928 帝国通信会社成立
1928 ハートリー(R.V.Hartley)が情報理論(情報量を定義)を発表
1928 神戸および門司の加入者と船舶内電話との無線電話が開始(船舶無線電話のはじまり)
1928 東京〜神戸間に日本初の装荷式長距離ケーブル開通
1928 新聞社の取材で写真電送がはじまる。(京都での天皇即位式の模様が東京に写真電送される。)
1928 日本国内のラジオ中継網が完成
1929 世界大恐慌
1829 タイプライターの発明
1929 イギリスBBCがテレビ放送を開始
1929 ジェンキンズがテレビ実験に成功
1929 航空無線業務がはじまる。東京〜青森間に搬送電話方式の実施。
1930 日本放送協会技術研究所設立。
1930 超音波通信はじまる
1930 積分型光電管の発想
1930 東京の電話加入数10万突破(全国の電話加入数690043)
1930 東京〜大阪間で国産NE式写真電送装置により公衆写真電送業務の取り扱いが開始される。
1931 満州事変
1932 ナイキストの再生と発振理論が発表される。
1932 松前重義(1901-)、篠原登らが無装荷ケーブル搬送方式を提案する。※この発明は「アメリカに追いつき追い越せ」という合い言葉を背景になされたもので、電気通信機器(技術)の国産化に対する意欲が強かった当時を象徴する発明といえる。多くの機器や技術が輸入後ただちに自主製造技術として開発され、機器の国産化を実現していった。
1932 ロサンゼルスオリンピックが日本へ短波中継される。
1932 印刷電信機の国産化に着手
1932 国際電話会社(日本)設立
1932 小山〜宇都宮間で無装荷搬送ケーブル方式の実験が行われる。
1932 東京市内4カ所(東京駅、三越本店、松坂屋本店、中央電話局)に自動式公衆電話が設置
1932 ナイキストの再生と発振理論
1932 ド・ベルシー 同期 受信機を発表
1933 日本が国際連盟から脱退。
1933 国際ラジオ混信特別委員会(CISPR)設立
1933 タムソン(RCA)がエーコン管を発明
1933 ツヴォリキン(Vladimir Kosma Zworykin 1889-1982 ロシアのち米国に帰化)が電子式走査方式の研究しアイコノスコープ(撮像管)を発明し商品化する。現在のテレビ技術の基礎を築いたのは、ツヴォリキンによる電子式テレビカメラの実用化による。(アイコノスコープ:蓄積型の撮像管でギリシャ語のeiken(像)+ skopin(見る)から造語)
1933 P・cut水晶振動子の発明
1933 日本で3号卓上電話機完成。満州電信電話株式会社創立。日本ではじめて超短波通信が行われる。
1933 この頃、塩化ビニールが工業化され電線被覆に使用されはじめる。
1934 尾道〜美郷間に日本初の無装荷方式による搬送ケーブルが開通する。
1934 東京〜新京間の無線電話が開始する。
1934 東京とフィリピンのマニラ間で日本初の国際電話が始まる。
1934 東京〜サンフランシスコ間で直通無線電話が開通する。
1934 東京、荏原に自動即時通話(ダイヤル直通)がはじまる。
1934 年賀電報取り扱い開始
この頃、日本では多くの機器や技術が輸入後ただちに自主製造技術として開発され、機器の国産化を次々と実現していった。
1934 エスペンシードが同軸伝送方式を考案
1935 ツヴォリキンが2次電子倍増管を発明
1935 アームストロング(米国)が周波数変調方式(FM)を考案
1935 ドイツ・ベルリンでテレビ放送が開始
1935 東京〜ロンドン、ベルリン間の無線電話が開通。
1935 浜松高等工業学校の高柳健次郎がアイコノスコープを試作する。東京電気もアイコノスコープを試作する。
1935 ワトソン・ワット レーダーの研究開始
1936 チューリングマシンの考案
1936 サウスワースが極超短波用導波管理論を発表
1936 カーソン、ミード、シェクルクらが導波管理論を発表
1936 太平洋航路就航の「秩父丸」〜東京間で最初の遠洋船舶無線電話が開通する。
1937 航空機との無線電報取り扱い開始
1937 GT管(真空管)が登場
1937 川口と鳩ヶ谷に大電力放送所(150kW)が完成する。
1937 の本国内のテレビジョン標準方式が制定される。
1937 イギリスのBBC放送がテレビ放送開始(走査線405本)
1937 日中戦争はじまる。日独伊三国防共協定調印
1937 リーヴス(A.H.Reeves, 英)がパルス変調方式(PCM)を発明する。※デジタル通信の時代へ
1937 朝鮮海峡に無装荷搬送方式の海底ケーブルが敷設される。
1938 日本で交流バイアス法が発明される。
1938 電子複写に成功
1938 ニューヨークでクロスバー自動変換方式を実施
1938 国際電気通信株式会社設立
1938 国家総動員法公布
1938-1939 イギリスでレーダー開発が実用化段階に入る。※レーダー(Radio Direction And Ranging)
1939 暗号解読計算機「コロッサス」
1939〜1945 第二次世界大戦
1939 東京〜奉天間の無装荷ケーブルによる搬送直通電話が開通する。
1939 NHK技術研究所(砧)とNHK会館(日比谷)との間13kmで走査線441本によるテレビの実験放送が行われる。
1939 デジタルコンピュータ「ABC」が登場
1939 ツヴォリキン イメージオルシコン ヴェリアン兄弟のクライストロン
1939 MT管(真空管)が登場
1939 全国の電話加入者数100万突破(東京の電話加入数162494)
1940 逓信省式T形自動交換機の導入
1940 東京〜新京間の有線電話が開通。
1940 津軽海峡回線が開通
1941 太平洋戦争がはじまる。
1941 日本で電波管制が実施され、全国同一周波数1000kHzで放送することとなる。
1941 ツーゼのデジタルコンピュータ開発
1941 米国で走査線525本のNTSC規格を標準方式に決定。米国での白黒テレビ放送がはじまる。
1941 日本でNTSC規格の試験放送はじまる。
1942 リレー式補間計算機MODEL-1を開発(ベル電話研究所のジョージ・スティビッツ)
1942 マグネトロン使用のセンチ波レーダー
1943 日本全国の電話加入数が108万回線に達する。(太平洋戦争前で最高の加入数)
1943 イギリスのウェールズ〜マン島間に、はじめて同軸ケーブルを使った海底ケーブルが敷設される。
1944 リレー式計算機MARK-1(デジタル型コンピュータ)完成(エイケン)
1944 ノイマンがプログラム内蔵方式コンピュータを提唱
1944 ゲーム理論と経済行動(ノイマン、モルゲンシュタイン)
1944 日本放送協会が戦時中における謀略放送に対して妨害雑音電波を発射する。
1945 RCA社が3色カラーテレビを発表
1945 太平洋戦争が終わる
1945 太平洋戦争による空襲のために多くの通信施設が破壊され、電話加入数は47万回線へ減少
1945 全国の電話加入数54万(太平洋戦争によって戦前の約半分に減少)
1946 世界初の真空管を使った電子計算機ENIACが完成(ペンシルベニア大学)
1946 計算機「UNIVAC」開発に着手(エッカートとモークリー)
1946 米国のRCA社が、イメージオルシコンを開発。
1946 ピアス 進行波管
1947 米ソ冷戦
1947 東京〜福岡間に超短波多重電話が開通
1947 ベル電話研究所がTD−Xを開発
1948 ウィーナー(Norbert Wiener 1894-1964 米国)がサイバネティクス(通信と制御に関する総合的な学問分野)を提案
1948 ベル研究所のショックレー(William Bradford Shockley 1910-1989 米国)、ブラッテン(W.H.Brattain 1902-1987 米国)、バーディーン(J.Bardeen 1908-1991 米国)らによってゲルマニウムを用いた点接触型トランジスタが発明される。
1948 シャノン(Claude Elwood Shannon 1916- 米国)の情報理論
1948 ショックレーらによって接合型トランジスタが発明される。
1948 NHK技術研究所で戦後はじめて有線によるテレビ実験が行われる。
1949 ウェスタン・エレクトリック社によって拡散法による半導体素子製造の基本特許が出願される。
1949 「マンチェスター・マーク1」完成(マンチェスター大学)
1949 「EDSAC」完成(ケンブリッジ大学)
1949 米国オレゴン州アストリアとペンシルバニア州ランスフォードでケーブルテレビ(有線テレビジョン放送)が開始。(テレビの販売に影響を与える難視聴対策として共同受信のインフラ整備がはじまった。その後、ケーブルTVは「モア・チャンネル(多チャンネル)」として発展し、1990年代の情報スーパーハイウェイ構想では双方向TVがマルチメディアの主役とまで言われるようになった。ケーブルTVの普及率は、現在の日本では、全家庭数の20%強であるが、米国では60〜80%と言われている)
1950 東京〜香港間、東京〜マニラ間(1934?)で国際電話通話取り扱い開始。
1950 日本で4号電話機の量産がはじまる。
1950 東京〜サンフランシスコ間国際写真電報の取り扱い開始。
1950 NHKがテレビの実験放送を開始する。
1950 日本で、放送法、電波法が公布される。電波監理委員会発足。
1950 朝鮮戦争がはじまる。
1950 「EDVAC」完成(ペンシルベニア大学)
1950 カラーテレビが開発される。
1950 ベル電話研究所がTD−2を開発
1950 接合型トランジスタ
1951 コンパイラの実用化
1951 最初の商用電子計算機UNIVAC-1101
1951 日本でトランジスタを試作することに成功
1951 日本で初めての民間放送(中部日本放送)がラジオ放送を開始する。
1951 米国大陸間マイクロ波中継はじまる
1952 日本電信電話公社が設立、全国の電話加入数155万
1952 接合型電界効果トランジスターが発明される。
1952 IBM701発表
1952 日本でテレビ放送開始(走査線525本のNTSC方式を採用、日本テレビ放送とNHKが白黒テレビ放送を開始した)
1953 アメリカでNTSC方式カラーテレビの本放送がはじまる。
1953 リレー式のMark I完成
1953 米国からトランジスタ技術を導入(WE社、RCA社)
1953 NHKテレビ放送開始(テレビジョンの撮像装置には東芝製のアイコノスコープを使用)。民間テレビ放送開始。白黒テレビ放送が開始される。
1953 水戸電報局で日本ではじめて電報中継の機械化が実施される。
1953 「国際電信電話株式会社(KDD)」創立
1953 東京〜名古屋〜大阪間の相互即時通話が実施される。
1954 米国でカラーテレビ放送がはじまる。
1954 電話による天気予報サービスが東京で開始(はじめ222番、1965年より177)
            街頭テレビがスタートし、プロレスの力道山などが人気者となった。
1954 東京〜名古屋〜大阪間に日本初のマイクロ波回線が開通する。
1954 日本で硬貨式4号卓上公衆電話機(赤ダルマ)が採用される。丹頂公衆電話ボックスが東京に設置される。
1954 東京〜大阪間超多重電話回線(2000MHz、PTM、360通話)
1954 NHKと東芝が50kWのVHFテレビ送信管8T54を共同開発。
1954 パラメトロン素子発明
1954 日本で街頭テレビが登場する。
1954 東京〜大阪間超多重電話回線(360通話)の運用がはじまる。
1955 パラメトロン研究開始
1955 東京通信工業が国産初の高周波トランジスタ(NPN型)を生産
1955 東京通信工業(現在のソニー)が世界で初めてトランジスタラジオ(TR55型)を開発し発売
1955 神武景気と呼ばれる好景気で、NHKテレビ受信契約者10万人を突破する。当時のテレビの価格は17インチで17万円(大卒初任給8000円)。
1955 日本初のケーブルTVが始まる。(NHKが群馬県伊香保町でTVの難視聴対策のために実施)のち、1960年代終わり頃からケーブルTVによる自主放送や都市部でのビルなどによる受信障害を解消するために都市型ケーブルTVがはじまった。1980年になって20〜30チャンネルの多チャンネル時代がはじまった。
1955 時報サービス(223番)開始
1955 加入電話200万を超える。
1955 東京〜神戸、東京〜仙台間で長距離即時通話が開始される。
1955 高崎電話局(群馬県)に日本で初めてクロスバ交換機(輸入品)が設置される。
1956 三和電話局に国産クロスバ交換機がはじめて導入される。
1956 東京と大阪で日本初の加入電信業務が開始される。
1956 国際加入電信業務が開始される。
1956 日本で同軸ケーブル方式の導入がはじまる。
1956 拡散型トランジスタが発明される。
1956 日本初のコンピュータ完成
1956 イギリスと米国間に大西洋横断同軸海底ケーブルが開通
1957 米国で電話線を利用したデータ通信がはじまる。
1957 江崎玲於奈がエサキダイオードを発明
1957 パラメトロン式計算機完成
1957 トランジスタ式計算機完成
1957 人工衛星の登場
1957 近畿日本鉄道で列車電話サービスがはじまる。
1957 南極昭和基地との電報による無線電信開始
1957 日本全国電話即時通話網の完成
1957 スプートニク1号打上げ成功
1958 日本で加入電信による国際通信開始
   東京で、ボックス公衆電話から無料で警察署、消防署への緊急通話サービス開始
1958 日本縦断マイクロ波回線網が完成。
1958 NHK技術研究所がイメージオルシコンを完成させる。
1958 東京タワーが完成する。
1959 キルビ(J.S.Kilby 1923- 米国)によってIC(集積回路)が開発される
1959 COBOL開発開始
1959 アメリカのホーリニーがプレーナトランジスタを発明
1959 NHK技術研究所が世界で初めて全トランジスタ式イメージオルシコンカメラを試作する。
1959 船舶電話サービス開始
1959 全国で300万台目の電話が東京の上野動物園に設置される。
1959 簡易交換電話装置(ボタン電話)の販売が開始される。
1960 日本全国の公衆電話が10万台を超える。
1960 ルビーレーザー開発
1960 エピタキシャルトランジスタが発明される。
1960 日本でテレビ電話の開発
1960 通産省電気試験所がIC(集積回路)の試作に成功する。
1960 第2世代コンピュータ登場
1960 国鉄・東海道線で列車公衆電話が設置される。
1960 日本でカラーテレビ放送が開始される。
1961 6GHz帯のマイクロ波回線が東京〜名古屋〜大阪間に開通する。
1961 日本でFMステレオ放送がはじまる。
1961 ロバート・ノイスがモノシリックICを発明
1962 シリコンプレーナ・トランジスタの発明
1962 半導体IC生産開始
1962 600形電話機の実用開始。市内PEFケーブルの導入が開始される。
1962 東京〜大阪間でカラーテレビ中継開始(テレビ加入者数1000万突破)
1962 東京〜名古屋間のダイヤル市外通話開始(長距離ダイヤル市外通話の始まり)
1962 米国で最初の通信衛星テルスター1号打上げ(AT&Tのベル電話研究所が開発した周回衛星)が打ち上げられる。
1963 米ソ間に直通通信回線(ホットライン)が開通する。
1963 11月23日 米国の通信衛星リレー1号による日米間の初のテレビ宇宙中継(ケネディ大統領暗殺ニュース)
1963 タイムシェアリングシステムCTSS開発(MIT)
1963 日本でデータ伝送サービス開始。全国の電話加入数500万突破
1963 見通し外通信方式によるマイクロ波回線が開通。日本ではじめてデータ伝送の実用を開始する。
1964 東京〜大阪間で電話の自動即時通話が開始。
1964 日本初の団地自動電話が開設される。
1964 日本〜米国間に無外装の同軸海底ケーブル(第1太平洋横断ケーブル)が完成
1964 名神高速道路が開通する。富士山気象レーダーが完成する。東海道新幹線が開通する。東京オリンピック開催される。
1964 初心者用言語BASIC完成
1964 IBMシステム360開発
1964 インテルサット設立
1964 米国で静止衛星シンコム3号が打ち上げられ、東京オリンピックが米国へ中継される。
1964 ニューロとファジーの理論が発表されはじめる。
1964 スーパーコンピュータ登場
1964 東京オリンピック開催
1964 トランジスタ電卓の登場
1965 東京と全国の都道府県所在地間で電話の自動即時通話がはじまる。
1965 日本でIC(集積回路)の研究がはじまる。
1965 コンピュータ数値制御NC機械(CNC)出現
1965 第3世代コンピュータが登場
1965 東海道新幹線で列車公衆電話サービス開始、国鉄「みどりの窓口」開設(コンピュータによる座席予約の本格的実施)
1965 日本でPCM方式の実用的な導入がはじまりデジタル通信の時代に入る。
1965 日本の電話機普及1000万台となる。
1965 初めての商業通信衛星「インテルサット1号」が打ち上げ
1966 カオ(K.C.Kao)らがグラスファイバーを使った通信用伝送路の理論(光通信)を発表
米国・コーニング社のカプロン(F.P.Kapron)らが外付CVD法によって光通信用グラスファイバーを開発(このころから世界各国で光通信の研究がさかんとなる)
1966  情報の自由に関する法律(FCIA)を制定
1966 C400形クロスバ交換機の導入が開始される。
1966 全国の電報の中継が機械化される。
1966 日本の電話機数1118万個で英国を越え、世界第2位となる。
1966 インテルサットによる日米間テレビ中継開始
1966 OCR
1966 IC電卓の登場
1967 国産電子交換機の試作機が完成する。
1967 国際商業衛星通信が開始される。
1967 C460形クロスバ交換機を導入
1967 日本の電話加入数1000万
1968 LSIが発表される
1968 ハイブリッドLSI開発
1968 構造化言語Pascal
1968 トリニトロン式受像機完成
1968 東京23区でポケットベル(無線呼出サービス、ページャ)開始、本州〜小笠原間電話開通、遠洋船舶通話サービス開始
1968 大型青電話の設置が開始する。地方銀行の為替交換データ通信システムが開始される。
1968 UHF対流圏散乱波通信の実用システムが完成する。
1968 全国の電話加入数1000万突破
1969 NHKがFM放送を開始
1969 IBM,ハード,ソフトの分離販売(ソフトウェア革命)
1969 米国防総省高等研究計画局による「ARPAnet」の実験が開始(のちにインターネットへ発展)
1969 アポロ月面着陸
1969 ARPAネット稼働
1969 押しボタンダイヤル式電話機(プッシュホン)の導入が開始される。(「プッシュホン」と命名されたのは1970年)
1969 デジタル無線方式2S−P1の実用開始。
1969 加入電信による国際通信自動化開始
1969 LSI電卓の登場
1970 FM東京が放送を開始する。
1970 液晶・LSI電卓
1970 光ファイバー通信に適したガラス繊維が開発される。(光ファイバー通信のアイディアは19世紀にイギリスで考案されていた)
1970 テッド・ホフがマイクロプロセッサを開発(インテル)
1970 販売在庫管理システム(DRESS)が東京で運用開始。
1970 押しボタンダイヤル式電話機をプッシュホンと命名する。
1970 大阪万国博覧会が開催される。
1970 キャッチホン(通話中着信サービス)開始
1970 日本でハイビジョン(HDTV)の研究開始
1971 科学技術計算システム(DEMOS)の運用が開始される。
1971 国際テレビジョン標準変換装置の開発
1971 マイクロプロセッサ「i4001」(4ビット)を設計・発売(インテル社ロバート・ノイス)
1972 大局用電子交換機(D10形)の導入が開始される。
1972 公衆電気通信法の改正
1972 有線テレビジョン制定
1972 ファクシミリ通信が一般電話回線でも可能となる。
1972 第3.5世代コンピュータ時代
1972 フロッピーディスク発表(IBM)
1972 マイクロプロセッサ「8008」(8ビット)発表(インテル社)
1972 パーソナルコンピュータ「Apple II」発売
1972 デジタル信号処理技術の研究が行われ始める。
1972 日本の電話加入数2000万突破
1972 小型ポケットベル販売開始
   本州〜沖縄本島間ダイヤル即時通話開始
   市内電話の料金度数制を改め、時間制(3分)を採用(広域時分制)
   全国の電話加入数2000万突破
1973 パーソナルコンピュータ開発(アラン・ケイ)
1973 第4次中東戦争、石油危機
1973 電話ファックスのサービス開始
1974 インテル社の嶋正利(マイクロプロセッサ「8080」(8ビット)開発)
1974 ロジャーズがCCD固体撮像白黒カメラを開発
1974 気象庁地域気象観測データ通信システム(アメダス)サービス開始
1975 日米第2太平洋横断ケーブルの敷設
1975 日本でLSI(大規模集積回路)の本格的な生産がはじまる。
1975 ビル・ゲイツが「BASIC」をインテル「i8080」用に書く
1975 ATM(現金自動支払いシステム)
1975 ICカード発明
1975 AMステレオ放送のはじまり
1975 プッシュホンによる国鉄座席予約システムのサービス(東京23区内)開始
1975 全国の電話加入数3000万突破
1975 この頃「ISDN」構想が生まれる。(電電公社では「INS(高度情報通信システム)」と呼んだ。サービス開始は1988年)
1975 日本でLSIの本格的な生産が始まる。
1975 ソニーがβ方式家庭用VTRを開発
1976 日本ビクターがVHS方式の家庭用VTRを開発する。
1976 デジタルデータ交換網(DDX−2)の運用開始。東京〜大阪間でテレビ会議の実験が開始される。太陽電池式発電装置の導入。
1976 国産初のマイコン「TK-80」販売(日本電気)
1976 情報公開法
1976 通産省の東生駒でCATVシステム(Hi-OVIS)研究がはじまる
1977 沖縄〜本州間に長距離用海底同軸ケーブル方式開通
1977 新東京国際空港(成田)で空港無線電話サービス開始
1977 移動体衛星通信のための国際組織「インマルサット」設立(静止衛星の軌道位置混雑や受信妨害を防止するための取り決めを行う機関で、現在86カ国が加入。軌道間隔は国際電気通信連合ITUが決めている。)
1977 日本の電話機の積滞解消(電話加入申込みと同時に電話設置)
1977 ミニプッシュホンの実用が開始される。飛行計画情報処理システムの運用開始
1977 光ファイバー気相軸付連続製造法(VAD法)の開発
1977 国産で初めての実験用通信衛星(CS)「さくら」が打ち上げられ実験が開始される。
1977 PCMプロセッサが発売される。受信障害対策用にSHF局が設置される。
1978 第4世代コンピュータ登場
1978 CCDカラーカメラの開発
1978 加入電話の積滞解消を達成(電話の申し込み後すぐに電話が設置されるようになる)。デジタルデータ伝送方式を導入
1978 奈良県東生駒市で双方向CATV実験プロジェクトHi−ovis開始(〜1986まで)
1978 実験用放送衛星「ゆり」が打ち上げられる。
1978 航空路レーダー情報処理システムの運用開始
1979 UNIX
1979 富士通FACOMα発売
1979 16ビットマイコン「i8086」(インテル)、「MC68000」(モトローラ)登場
1979 全国の電話がダイヤル自動即時化100%完了、船舶電話の自動ダイヤル化実施。
1979 自動車電話のサービスが東京23区内で始まる。電話機の装置一式は重量約7kg
1979 キャプテンシステムの実験開始。DDX網(デジタルデータ回線交換)の運用を東京、大阪、名古屋、横浜で開始。
1979 インテル DSP開発
1980年代 通信の自由化が始まる。
1980 CD開発
1980 マイクロエレクトロニクス応用製品が次々と実用化される。(パーソナルコンピュータ、テレビゲーム、ホームビデオ、ビデオディスク、CDなど)
1980 インテルサット時分割多元接続(TDMA)方式衛星通信システムが完成する。デジタルデータパケット交換の運用が開始される。
1980 米国防総省が分散処理ネットワークの提案し「TCP/IP」を標準プロトコルとする。
1980 携帯端末
1980 コードレスホン販売開始
   電話料金夜間割引の時間帯を拡大
   深夜割引を開始
1981 15GHz帯大容量マイクロ波方式の導入。ファクシミリ通信網(Fネット)サービス開始。硬貨投入式船舶電話が設置される。
1981 クレジット通話サービス開始
1982 東北、上越新幹線に列車自動公衆電話が設置される。
1982 磁気カード式公衆電話が登場(東京・数寄屋橋に1号機)
1982 国際公衆データ伝送サービスが開始される。風力発電装置が導入される。
1982 第5世代開発開始
1982 NHKの受信契約数が3000万世帯を越える。
1983 ファミコン登場
1983 表計算ソフト「ロータス1-2-3」開発(M・ケイパー)
1983 日本初の実用静止通信衛星CS−2a、2bの打ち上げ。
1983 カード式公衆電話登場
1983 ARPAnetが軍事用のMILnetと研究用のARPAnetに分割
1983 東京〜小笠原・父島間を衛星回線により全国自動即時化が完了
   320kmを越える遠距離通話料および専用料の値下げ実施
1983 東京都町田市ではじめて都市型CATV局「ICN」が設立。※CATV:Community Antenna TeleVison 、 ICN:International Communuty antenna terevision Network
1983 音声多重放送が開始される。
1984 テレビ会議システムの運用を開始。INSの運用実験を開始する。
1984 キャプテンサービスを開始
   衛星通信サービスの試行開始
1984 衛星放送が開始される。(音声はPCM方式)
1984 10月 JUNET(Japan University Network)開始
1984 32ビットパソコン「マッキントッシュ」発売(アップル社)
1884 直接放送衛星BS-2(a)が打ち上げられる。
1984 世界に先駆けて「ISDN」を電電公社がINS(高度情報通信システム)としてモデルシステムの実験を開始
1984 このころニューメディア元年という言葉が生まれる。
1985 日本縦貫(旭川〜鹿児島間3400km)「光ファイバーケーブル」伝送路が完成
1985  携帯電話サービス開始、ショルダーホンが登場
1985 全国の電話加入数約4500万、電話機数約7000万台(米国に次いで世界第2位の電話機保有国となる)
1985 公社法の廃止により、日本電信電話公社は解散し、日本電信電話株式会社(NTT)が発足 ※日本の電気通信事業が自由化されユーザーのニーズに応じた市場の拡大が促進されることになった。
1985 世界初の国際メッセージ通信システムの開発
1985 国際科学技術博覧会(つくば科学万博)が開催される。万博会場でハイビジョンの実験放送が行われる。
1985 文字多重放送が開始される。
1986 航空機公衆電話のサービス開始
   東京(03地域)にコンピュータを利用した電子番号案内システムを導入
1987 携帯電話が登場
1987 宇宙開発事業団の通信技術試験静止衛星「ETS−V」打ち上げられる。(船舶と航空機の通信移動体通信用中継器を搭載)
1987 カード式自動車公衆電話のサービスを開始
   ディスプレイポケットベルのサービスを開始
1988 最速スーパーコンピュータ
1988 NTTが公衆電話回線(アナログ回線)よりも高速な通信が可能なデジタル回線である伝送速度64KbpsのISDN(Integrated Services Digital Network:統合デジタル通信網)サービスを開始・・・・「ISN(高度情報通信システム)ネット64」のサービスを東京、名古屋、大阪の3地域で開始(4月19日)する。これによって通信と情報処理関連技術(デジタル技術)との融合が進み、コミュニケーションの基本要素である音声・画像(映像)・符号がデジタル技術によって伝達・蓄積・処理機能を統合化することが可能となった。
1988 WIDE発足
  オフトーク通信サービスを開始
1989(平成1) BS・ハイビジョン放送開始
1989 国内民間初の通信衛星「JCSAT−1」が打ち上げられる。事業者主体の衛星運用が行われ、安定した安価な機器が活用できる電波「kuバンド」が認可される。※通信衛星への民間事業者の参入は、衛星、小型アンテナ、送受信技術、出力などの性能向上に拍車がかかるようになった。
1989 「宇宙探索機ボイジャー」画像伝送
1989 ARPAnetの運用が停止されNSFNETへ移行、JUNETが国際接続を開始
1989 このころマルチメディアブーム
1989 ベルコア社(米国)が電話用メタリックケーブルで高速データ通信を可能にする「xDSL(Digital Subscriber Line)」方式を開発(背景に当時のマルチメディアブームがあった)
1989 NTTが企業向けに伝送速度1530KbpsのISDNのサービスを追加する・・・・「ISNネット1500」
1989 情報料回収代行サービス(ダイヤルQ2)開始
1990年代 通信回線のデジタル化が進行
1990 米国のモトローラ社が世界中で通話が可能な移動体衛星通信サービス「イリジウム」を提案する。非静止軌道の衛星66個による通信システムで、米国国防総省が2000年12月に2年間の契約を結ぶ。日本ではDDIが参入したが、利用者が少なく撤退した。)
1990〜 POSシステムによるマーケティング
1990代 電子マネー
1990 番号案内料費用負担適正化実施
1991 情報家電時代へ
1991 インターネット協会設立
1991 湾岸戦争の衛星中継
1992 WWWがCERNで正式発表
1992 JAVA
1992 「テレジョーズ」サービス開始
1993 ビデオテック通信網サービスの自然画サービスを開始
   超高速(150Mbit/s)専用サービスの提供開始
1993 米国ゴア副大統領「情報スーパーハイウエイ」構想発表・・・・民間企業が主導で、それぞれが独自に情報技術(IT)を研究し実行するために、政府がサポートしていく。
1994 HDTV映像伝送サービスの提供開始
   迷惑電話おことわりサービスの開始
1994 超並列コンピュータ
1994 デジタル式携帯電話
1995 全国の電話加入数6000万突破、PHSサービス開始
1995 8月 NTTが静止通信衛星「N−STAR−a」を打ち上げる。移動体向け中継器とアンテナを搭載。アンテナを静止衛星方向へ向けて通話を行うデュアルモードサテライト・ポータブルホンNに使われる)、セルリレーサービス販売開始
1995 デジタル・スチルカメラ
1995 NSFNET運用停止、商業プロバイダに全面依存(インターネットが一般の利用に開放される)
1995 全国の交換機のSPC化完了
   すべての公衆電話でテレフォンカードが使用可能になる
1996 2月 NTTが静止通信衛星「N−STAR−b」を打ち上げる。
1997 発信電話番号表示サービス試験提供開始
   改正NTT法(日本電信電話株式会社等に関する法律)が成立
   CATV映像伝送サービスの試験提供開始
1997 3月 NTTドコモのパケット通信(プロトコルはTCP/IP)サービス「DoPa」開始
1997 国際インターネット電話自由化
1998 SOHO人口800万人
1998 9月 携帯電話機の累計加入台数3654万3000台(10年前の1989年3月では24万2888台)
1999 日本政府の「情報戦略会議」が主導でIT革命の指導をはじめる。
1999 2月 「iモード(携帯電話のインターネット端末)」サービス開始
2000 12月 デジタル衛星放送が開始される。
2000 携帯電話(PHS含む)加入者数が固定電話加入者数を追い越す。
2001 一般家庭向け光ファイバー通信FTTH(Fiber To The Home)のサービスがはじまる。※2003年までにCATVの普及を追い越し、2005年までにDSL(従来の銅線の電話線を使ったデジタル加入者線)を追い越すと予想されている。
2001 世界規模の移動体通信システムである次世代携帯電話の規格システムITM−2000サービス開始
※ITM−2000は国際電気通信連合(ITU)が中心となって進められているが、世界標準規格をめぐってヨーロッパで主流の「W−CDMA」方式と、米国が主流の「cdma2000」方式があり、日本では、2つの方式が混在している。
2001 10月 NTTドコモが第3世代携帯電話サービスを開始
2002 2月 インターネットに接続できる携帯電話の加入契約数が5000万台を超える。
2002 4月 KDDIが第3世代携帯電話(通信規格CDMA2000)サービスを開始予定

(大木 利治)


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