技術のわくわく探検記/産業技術遺産探訪 2000.3.26./4.2.

東京電力
佐久発電所

調整池式発電所
1928(昭和3)年竣工
設計:下田尾佐一
施工:飛島組・加藤組・酒井鉄工所
群馬県勢多郡北橘村真壁


 大正時代から昭和初期にかけては、高圧・交流送電技術によって遠距離送電が技術的に可能となり、群馬県の山間部の河川が有力な電力資源の対象になりました。そして水資源の開発が次々と着手されていきます。上毛カルタの「理想の電化に電源群馬」とうたわれているような水力発電所の建設は、この頃から始まったわけです。特に太平洋戦争後の産業・経済の復興には重要な役割を果たし、また多くの電力技術者の育成の場ともなるなど多くの貢献をしました。

 「佐久発電所」のサージタンクは関越自動車道の渋川インターチェンジ付近から利根川をはさんで東の丘の上に見ることができます。
サージタンク下部
真壁ダム(調整池)からサージタンクまでは1326mの水圧鉄管で結ばれています。


 佐久発電所は、1928(昭和3)年に実業家の浅野総一郎(「浅野セメント」の創始者)が経営する「関東水力電気会社」によって建設された調整池式発電所です。「佐久発電所」の名称である「佐久」は、浅野総一郎の妻「作」さんを偲んで、作さんの雅号であった「佐久」に由来して命名されたものです。
 発電用の水は約15km離れた群馬県昭和村川額(かわはけ)から引き(現在は綾戸ダムに取水口があります)、いったん発電所から約1km離れた真壁ダム(調整池)に貯められ水圧鉄管により発電所のすぐ上にある「サージタンク」(83.45mで当時世界一の高さ)、さらに水圧鉄管によって発電所内の発電用水車(フランシス水車)へと導かれました。発電用水の有効落差は約116mです。
 年間発電量は4億kWh(約15万世帯分に相当)で、建設当時は東洋一の水力発電所と言われました。
 戦前は、佐久発電所からの電力は東京方面に送電された他に、余剰電力を「日本カーリット渋川工場」へ送電していました。「日本カーリット」は、スウェーデンで開発された爆薬の一種である「カーリット」を製造するために、食塩の電気分解などのため大量の電力を必要としました。「日本カーリット渋川工場」はスウェーデンから技術導入を行い、佐久発電所からの電力供給を受けて1931(昭和9)年に建設を開始し、1934(昭和9)年に竣工しています。(工場建物は現存しています。)
 昭和60年7月から昭和63年3月にわたって経年変化等による老朽化に伴う大改修工事を行い、発電用水車、変電所、水圧鉄管、サージタンク、真壁ダム(調整池)の水門などを更新しました。発電所建物、取水設備、発電機の一部は現存しています。また、サージタンクの周辺は東京電力によって公園として整備されており、改修時に撤去された水圧鉄管サージタンクの一部がモニュメントとして展示されています。
 展示されている旧・水圧鉄管は、昭和3年に製造され、昭和3年〜昭和61年までの58年間にわたって調整池(真壁ダム)からサージタンクの間を結ぶ導水管として使用されていたものの一部でリベットによる接合方法に特徴があります。このリベット接合には「ブルリベッター」という移動が自在な特殊鋲打機が採用され、北米シカゴハナン会社がナイヤガラの水力工事に初めて使用したもので、日本ではここでの工事に初めて使用されました。
 展示されている旧・水圧鉄管は、
     製造年 昭和3年
     接合方法 鋲接合(バット縦3列、周2列)
     材質 SS41相当
     板圧(設計)14.29mm〜20.64mm(展示鉄管 19.05mm)
     内径 4572mm
     塗装 展示鉄管 内部:タールエポ 外部:シアナミドヘルゴン

旧・水圧鉄管 水圧鉄管の外部 水圧鉄管の内部
旧・サージタンクの一部を利用したモニュメント 現在のサージタンク

 また、発電所入口には昭和3年2月アリス・チャーマース社(米国)製造され、佐久発電所建設当時に使われていた発電用水車の「立軸フランシス水車」が「佐久発電所水車取替記念(昭和54年3月12日)施工者:株式会社・東京電気工務所」として展示されています。
 展示されている「立軸フランシス水車」は、
     形式 立軸フランシス水車
     出力 26900kW
     有効落差 118.89m
     流量 25.2立方メートル/秒
     回転速度 300rpm
     製造者 アリス・チャーマース社製(アメリカ)
     製造年 昭和3年2月

立軸フランシス水車 アリス・チャーマース社(米国)製 昭和3年2月

発電所の歴史
大正14年9月 起工
昭和3年11月 竣工
   建設費 2600万円  有効落差 117m 最大使用水量 毎秒38立方メートル
   発電力 5500kW   水路延長 12427m 従業延人員 187万4000人
   社長 浅野総一郎 常務取締役 浅野八郎・野村孝・山崎林太郎
   技術部長 鶴田勝三
昭和 3年 利根機完成(関東水力電気株式会社)
昭和13年 吾妻機完成(関東水力電気株式会社)
昭和16年 日本発送電株式会社へ引き継ぎ
昭和26年 東京電力株式会社と合併
昭和42年9月 移設再建
昭和60年7月〜昭和63年3月 改良工事実施(水圧・変電所・水圧鉄管・サージタンク・ダム水門)

発電設備の諸元
発電所
最大出力 76800kW(70000kW、吾妻機6800kW)
年間発生電力量 約4億kWh
使用水力102.40立方メートル/秒(利根機69.00立方メートル/秒、吾妻機33.40立方メートル/秒)
有効落差(利根機116.88m、吾妻機24.16m)
水圧鉄管
本管     長さ1343.5m 内径4.3〜4.6m 板厚13〜20mm
条管 1号 長さ 138.0m 内径2.9〜3.0m 板厚12〜18mm
    2号 長さ 135.3m 内径2.9〜3.0m 板厚12〜18mm
    3号 長さ 138.0m 内径2.9〜3.0m 板厚12〜18mm
サージタンク
形式 鋼製制水口式
高さ 75m20(地上から高さ81.4m)
タンク内径 12.50m  タンク容量 9230立方メートル 板厚 9mm〜65mm
鋼材重量 943.80トン
基礎の直径 35.0m 基礎の高さ 8.2m 基礎コンクリート量 5400立方メートル

サージタンクの役割
 調整池式発電所では、上流の調整池からの圧力導水管(水圧鉄管)が長いと、発電所が地震や雷などの理由で急に止まった場合、水圧鉄管の中を流れている水も急に止められ通常の運転での水圧より余分な水圧が水圧鉄管にかかることになります。この現象を「ウォータハンマー」(水撃作用)と言います。
 この余分な水圧を吸収する設備がサージタンクであり、これにより水圧鉄管の厚さを薄く出来るなど、経済的となります。
 また、発電所の運転は常に一定ではなく、使う水の量も増減し、これに応じて水の補給や吸収を行う水槽の役割も合わせて持っています。(この時の水位の変化を「サージング」と言います。
佐久発電所のサージタンク
 サージタンクにもいろいろな形式がありますが、佐久発電所の新サージタンクは「制水口式」と言って、タンクと水圧鉄管を連結する穴(制水口)の大きさと形によって水圧の調整をちょうどうまく行わせるようにしたものです。

旧サージタンク
形式 ジョンソン型差動調圧水槽(当時は世界一の高さ:83.45m)
真壁ダム(調整池)
建設年 昭和3年
ダム形式 重力式
ダムの高さ 26.060m ダムの頂長 535.560m ダム天端の標高271.820m
満水位の標高 270.700m  流域面積 1738.051平方km
湛水面積 125.000平方メートル 有効貯水量 700.000立方メートル
利用水深 4.670m

真壁ダム(調整池) 真壁ダムにある竣工記念

 佐久発電所の新・旧サージタンクおよび水圧鉄管を設計・製造した酒井鉄工所」で技術者をされていた野村さんからおたよりが届きました。(2004.4.15.)


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