旧 丸山変電所

 明治43(1910)年4月に横川〜軽井沢間の電化工事が着工され、明治44(1911)年5月には横川火力発電所、丸山変電所、矢ヶ崎変電所が新設されました。
 この区間では変電所は横川〜軽井沢の中間に設置するのが理想的でしたが、地形的に建設が困難であったため、急勾配区間の両端にそれぞれ変電所を設置することになりました。横川火力発電所(現在の国道18号線旧道と碓氷バイパスとの分岐点付近にありました)から交流6600ボルトの地下ケーブルによって、丸山変電所に1回線、矢ヶ崎変電所に2回線引かれました。2つの変電所の工費は約31万円で、どちらの変電所も同じ構造で、機械室と蓄電池室の2棟が煉瓦で建設されました。ここで交流6600ボルトを500kVAの3相変圧器(2基)と450kWの回転変流機(2台)で直流650ボルトに変換し供給(第3軌条および電車線)しました。蓄電池室には容量1332Ahの蓄電池を312個設置し回転変流機の出力を補ったり(勾配を上る電気機関車が運転されるときに蓄電池から放電される)、回転変流機によって発電所からの電気を充電しておき(列車が運転していないとき)発電所や変電所の機器を過電流から保護したり機器の故障に備えました。

 変電所は建設当時の輸送量を目安に設計されていたため、その後の輸送量の増加に伴い変圧器・変流機を増設したり、水銀整流器を備えた熊ノ平変電区が新設(昭和12年7月)されます。


蓄電池室


機械室




保存修復工事直前(2000年5月22日撮影)
※倒壊しないようにH形鋼による補強工事が施されていました。
軽井沢側の建物(写真の左側)が機械室で横川側の建物(写真の右側)が蓄電池室として使われていました。


保存修復工事
2001年5月29日撮影



保存修復工事
2001年9月24日撮影


保存修復工事
2001年9月24日撮影


保存修復工事
2002年1月1日撮影
煉瓦建物の補強と屋根の保存改修が続いています。 補強のため建物内部に鉄骨が入りました。 換気口も新しく復元されました。
2002年3月末までの予定で工事が行われます。 鋼製の窓枠もきちんと保存されています。  屋根はスレート葺きであったものが、竣工当時の瓦葺きに戻されています。


保存修復工事
2002年5月13日撮影
屋根、換気口、窓、避雷針などの改修が進んでいます。
改修期間は2002年3月の計画であるようですが、予定が延長されているようです。


第1期修復工事終了
2002年9月27日撮影
機械室 蓄電池室


2003年3月18日にドイツのマールブルク大学(Philipps-Universitat Marburg)・日本研究センター(Japan-Zentrum)副所長 パウアー(Prof.Dr.Erich Pauer)教授が、小栗上野介の業績を訪ねて、「東善寺」(群馬県倉渕村)にやってきました。
パウアー教授は、技術史や日本経済史(日独の産業技術交流や日本の産業の発展)について研究し、東京大学社会科学研究所・客員教授も兼任されています。
 村上泰賢氏から、この訪問の連絡をいただき、午後は碓氷峠鉄道施設(国重要文化財)を案内しました。
https://gijyutu.com/ohki/tanken/tanken2003/pauer/pauer.htm


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