産業技術遺産探訪 2000.4.18./2003.5.20./2004.1.12./2004.5.3./2004.5.24./2005.4.10.

琵琶湖疏水
インクライン

1887(明治20)年5月起工
1890(明治23)年1月竣工
運転開始 1891(明治24)年11月
延長 約582m  幅 約22m
高低差36.4m 勾配15分の1
所要時間 10〜15分

1948(昭和23)年運転休止
1977(昭和52)年形態保存のため復元

南禅寺〜蹴上船溜間
(京都市左京区粟田口山下町、南禅寺福地町、草川町、京都市東山区東小物座町)

インクライン(傾斜鉄道)
 明治より前、逢坂山や日の岡の峠道は、旅人や貨物輸送にとって悩みの種で、琵琶湖から水を引き、その水路を利用して舟運を興すことが古くからの夢でした。
 明治2年の東京遷都以降、衰微する京都を復興するため、舟運に、かんがいに、また、水力を利用した発電等多くの目的をもって「疏水」が開削されました。
 インクラインは、疎水の水で発電された電気を動力源として利用し、インクラインの両端に船溜を設置して、ここでを荷物ごと船を船受枠(船を乗せる台車)に積んで坂を上下させる目的で建設されました。このインクラインの建設によって琵琶湖と淀川が疎水を通じてむすばれることとなり、北陸や近江、あるいは大阪から、人や物資の往来で大層にぎわいました。琵琶湖疏水のインクラインは、日本で初めてインクライン方式を採用した疎水です。
 インクラインが盛んに利用されたのは昭和初期までで、交通機関の発達につれて次第に利用されなくなりましたが、今日の京都を築いた貴重な産業技術遺産(土木遺産)として保存されています。 

インクライン運転の仕組み
 このインクラインは、第3トンネルを掘削した土砂を埋め立てて作られました。この蹴上船溜(ダム)から南禅寺船溜までの延長は約582mです。落差が約36mあるため、この間はどうしても陸送になりました。インクラインはレールを四本敷設した複線の傾斜鉄道です。両船溜に到着した船が、旅客や貨物をのせ替えることなく運行できるよう考えられたのがこのインクラインです。
 建設当初は、水車動力でドラム(巻上機)を回転して、ワイヤーロープを巻き上げて台車を上下させる設計でしたが、蹴上水力発電所の完成により電力使用に設計変更されました。
 ドラムは、最初は蹴上船溜の上にありましたが、後に南禅寺船溜北側の建物に移転し改造されました。台車を上下させる仕組みは、図のように直径3.6mのドラムを35馬力(25kw)の直流電動機で回転させて、直径約3cmのワイヤーロープを巻き上げて運転していました。蹴上船溜の水中部には、直径3.2mの水中滑車(展示品)を水中に設置していました。また、レールは当初イギリスから輸入され、軌道中心には直径約60cmの縄受車を約9m間隔に設置し、ワイヤーロープが地面にすれるのを防ぎ、円滑に巻き取れるようにしてありました。ちょうどケーブルカー(鋼索鉄道)のような仕組みで、2段変速できるようになっていて、片道の所要時間としては10〜15分かかりました。
 琵琶湖疏水記念館にインクラインの模型(1/50)を展示しています。

 平成15年3月1日 京都市水道局

インクライン用滑車

この鉄製の滑車は、船受枠(船を乗せる台車)を上下させるためのもので、直径は約3.2メートルあります。
 船受枠を上下させる方法は、ちょうど井戸つるべやケーブルカーと同じ原理で、ワイヤーロープをこの滑車にかけて、巻揚機を操作する仕組みになっています。


南禅寺橋

インクラインのいちばん下った付近に跨ぐように架かっている南禅寺橋には、「八幡製鐵」「奥小路工業」の文字を見ることができます。


琵琶湖疏水

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