いわゆる「ツタンカーメン王陵のエンドウ」と呼ばれていますが、ツタンカーメン王陵から発掘されたエンドウであるという確証はありません。(少なくとも、ツタンカーメン王陵の発掘による副葬品リストなどで調べてみることから始める必要があります。)しかし、紫色の「花」や「さや」が、現在一般に栽培されているエンドウとは明らかに異なる品種であることを示す珍しいエンドウです。「ツタンカーメン王陵?のエンドウ」と「?」を入れて表記してあるのは、このような事情によるものです。


タンカーメン王陵?のエンドウ
入手までの経路

イギリスの考古学者カナー・B・カーターがツタンカーメン王陵を発掘したときに、副葬品の中から当時のエンドウが見つかる。このエンドウは当時のエジプトで食用に栽培されていたものと考えられる。(古代エジプト第18王朝ツタンカーメン王は紀元前1358〜1349年にエジプトを統治)
カーターによって、発掘されたエンドウの栽培が成功し、その一部が米国で栽培される。
1956年、V・イレーヌフアシスワース婦人が大町武雄さんへツタンカーメンのエンドウを数粒送る。(大町武雄さんは「世界友の会・水戸支部」の活動として米国にサクラ・イチョウなどの日本独特の種を送ったお礼として譲り受ける)
1964年、大町氏がツタンカーメンのエンドウを茨城県日立市立助川小学校へ寄贈し、同校で栽培された。
1967年、茨城県日立市立助川小学校から千葉県八日市場市立須賀小学校へ贈られる。
水戸市の富田さんが千葉県八日市場市の知人を通してツタンカーメンのエンドウを入手し水戸市長に贈る。
1983年10月、茨城県水戸市立三の丸小学校から、群馬県前橋市立木瀬中学校の栗林夏樹先生へエンドウが4粒贈られる。
1986年11月、群馬県前橋市立木瀬中学校の栗林夏樹先生から群馬県甘楽郡妙義町立妙義小学校の教頭・高柳先生へエンドウが3粒贈られる。
1989年9月、高柳先生から儘田さんへエンドウ5粒が贈られる。
1997年11月22〜23日、群馬県立自然史博物館(群馬県富岡市上黒岩)で群馬県前橋市立天神小学校(栗林夏樹校長)で栽培されたツタンカーメンのエンドウ苗が配布される。
儘田さんが栽培したエンドウが群馬県碓氷郡松井田町内の希望した学校へ配られたものを10粒ほど入手して栽培がはじまりました。

入手した当時のエンドウを現在も1粒保存しています。
(2001年5月29日撮影)


戻ります