黒澤敬徳紀功之碑、工事用石製ローラー

宮城県桃生郡鳴瀬町浜市

黒沢敬徳紀功之碑と石のローラー
Yoshinori Kurosawa's Monument & Roller stone

 黒澤敬徳(くろさわ けいとく 1838〜1883)は野蒜築港当時の内務省土木局野蒜出張所長(内務五等属)で、野蒜築港の工事を担当するために1878(明治11)年6月に野蒜に出張してきました。1880(明治13)年2月、工事の途中で雇用任期切れとなりオランダへ帰国したお雇い外国人技術者(内務省雇長工師)ファン・ドールン(C.J.van Doorn)や早川智寛が去った後の現場を担当しました。野蒜築港の工事を監督し、閘門や防波堤の難工事を遂行していましたが、1882(明治15)年12月、病に倒れ東京に帰りましたが翌1883(明治16)年2月に没しました。(享年45歳)
 黒澤敬徳の功績をたたえ、野蒜築港でできた市街地(現在の宮城県桃生郡鳴瀬町浜市)の中心にあった公園跡に、工事用の石製ローラーとともに紀功之碑が建てられています。

野蒜築港の工事に使用した石製ローラー

野蒜築港跡
この一帯は「市街地」といわれ、野蒜築港事業の
一環として都市計画街路が縦横に区画された、銀
行、商店、米取引所などが軒を連ね、往き交う人
馬で空前の賑わいを呈した。ここが市街地の中心
にあった公園の跡である。現在は野蒜築港に身命
を捧げた「黒澤敬徳の碑」と工事に使用したロー
ラーに往時をしのび、激浪の中に幻のごとく消え
去った築港の夢と先人の苦闘を語りかけてくれる
だけである。                     
               環境庁・宮城県
野蒜築港 旧・市街地 地図

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