技術のわくわく探検記 2000.10.10.

旧・内務省勧業寮屑糸紡績所

旧・内務省勧業寮屑糸紡績所 製品倉庫
 1877(明治10)年竣工 木造煉瓦造
設計・施工:佐々木長淳、グレーフェン、山添喜三郎
旧・内務省勧業寮屑糸紡績所 紬糸工場
群馬県多野郡新町2330
 カネボウ・フーズ株式会社・新町工場/カネボウ・アグリテック株式会社新町事業所内

 明治時代に日本の代表的な輸出品であった生糸の生産に伴って、製糸に使うことができなかった屑繭を工業的に績ぎ糸として利用していくため、1877(明治10)年に官営の屑糸紡績所が建設されました。
 この内務省勧業寮屑糸紡績所は、ドイツ人技師グレーフェンの補佐で、佐々木長淳、山添喜三郎の設計・施工によってつくられたもので、当時の日本の技術が自立したことを示す歴史上で記念碑的な近代化遺産と言えます。現在、木造煉瓦造の「旧・製品倉庫」などが残っています。

 1873(明治6)年、オーストリアのウィーン博に参加した明治政府は、これを機会にヨーロッパでの屑糸製糸の技術調査を佐々木長淳に指示しました。佐々木は屑糸・屑繭からの製糸技術をスイスで学び、帰国後にスイスから機械を輸入して、烏川の水を用いてタービン水車の動力が利用できる現在地に工場を建設しました。佐々木は、当時ウィーン博で日本館建設に棟梁として携わっていた山添喜三郎とともに、この屑糸紡績所の建設計画を練り、フランス人技術者によって建設された官営富岡製糸場が1872(明治5)年に操業を開始してからわずか5年後に、日本人技術者の手によって洋式工場をつくりあげるまでになったわけです。

 官営工場としてはじまった「内務省勧業寮屑糸紡績所」は、その後「新町三越紡績所」(1887(明治20)年、三井財閥の三越得右衛門に払い下げ)、1902(明治35)年に紡績5社と三井の合併、1911(明治44)鐘淵紡績株式会社の所有となり、現在は(株)カネボウ・フーズ新町工場/(株)カネボウ・アグリテック新町事業所となっています。「旧・製品倉庫」は現在の工場の施設としては使用されていないようですが、「旧・紬糸工場」は外観はそのままで建物内部に新たに食品工場が作られ(緑地法などの関係があり当時の建物の外観が偶然にも残ったことになります)アイスクリーム工場として使われています。

旧・内務省勧業寮屑糸紡績所 製品倉庫
外観の煉瓦壁部分は増改築が繰り返し行われており、竣工当時の形は不明です。
鉄扉の内側は木製の引き戸でした。木造煉瓦造であることがよくわかります。
旧・内務省勧業寮屑糸紡績所 紬糸工場
現在も工場内に点在する歴史的建造物の数々

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