鉄道車両
EF63
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
旧・丸山変電所前に展示されていたEF63+189系 | 碓氷峠を通過するさまざまな電車・気動車用ジャンパ栓 |
1963(昭和38)年から、信越本線碓氷峠(横川〜軽井沢)が廃止された1997(平成9)年まで使用された碓氷峠専用の電気機関車。運転整備重量108t、1時間定格出力2550kw(1時間定格引張力23400kg)で、国鉄〜JRで最強の機関車。「峠のシェルパ」の愛称があり、通常は2両のEF63型機関車による重連総括制御により運用されていました。この区間専用の特殊な電気機関車で、力行時と制動時(ブレーキ)の粘着特性を向上させてあります。発電ブレーキ、組み合わせ制御の橋絡渡り、バーニア制御、機械式軸重移動補償、再粘着促進装置、電磁吸着ブレーキ、重連装置、列車無線などの特殊な装備を持っています。ここを通過する列車はすべてEF63が連結され、電車も協調運転ができるように特別に電気回路が変更された車両が使用されました(189系、489系、169系など)。また、客車(貨物)列車には信越本線の本務機として設計・開発されたEF62型機関車との3重連で運用されました。このためEF63は本務機であるEF62との円滑な協調運転ができるように設計されています。25両製造されました。
※機関車の形式表示で「E」は電気機関車、「F」は動輪数(Fは6つの動輪、Dは4つ、Cは2つです)、63は直流用で最高速度85km/h以上を示しています。
数字の表示は、10〜49が最高速度85km/h未満(10〜19が直流用、30〜49が交流・交直両用)、50〜89が85km/h以上(50〜69が直流用、70〜79が交流用、80〜89が交直両用)、90〜99が試作機関車を示しています。
EF62
信越本線の高崎〜長野間の電化に備え、上野〜長野間を牽引する信越本線専用(急勾配用)の本務機として開発されました。碓氷峠専用の補助機関車(補機)EF63形機関車と協調運転をはかるために引張力と速度性能を一致させて設計されています。また、発電ブレーキや列車暖房用の電動発電機などを搭載しています。「橋絡わたり」を国産電気機関車としては初めて採用しました。台車はC−C形台車を採用し、1つの台車に3軸の動輪をもつユニークな形式で、独特の走行音を出します。(EF63はB−B−B形台車)
その後、上野〜高崎〜直江津〜新潟(操車場)で運用されました。碓氷峠区間の貨物列車廃止や客車列車の減少によって余剰車両が増え、東海道本線の荷物列車の機関車として東京〜下関間でも運用されました。九州旅行の際に、新幹線小郡駅から山陽本線小郡駅に停車していたEF62を見たとき、妙になつかしさを覚えました。瀬戸大橋線で瀬戸大橋1000t列車走行試験にも使われました。現存しているものは、碓氷峠鉄道文化むらにあるEF62−54のみです。EF62の最大軸重は16t、運転整備重量96t、1時間定格出力2550kw(1時間定格引張力23400kg)です。 54両製造されました。
この形式をもとにして、現在上越線や中央線など山岳路線の勾配区間で運用されているEF64形機関車が誕生しました。
ED42
アプト式ED41形機関車をモデルにして1933年から日立製作所、東芝、三菱、川崎車両で28両製造されました。1つの台車に1つの電動機が搭載される方式で、アプト式のラックレールと噛み合うピニオンをもつラック台車は歯車で動力を伝達し、粘着台車は歯車・連結棒で動力を伝えた。運転台とパンタグラフは横川側(第2端)のみで、機関士席と機関助士席は現在とは逆に配置されています。横川構内と軽井沢構内はパンタグラフから集電し、碓氷峠の急勾配区間は第三軌条から集電しました。軽井沢側に1両、横川側に2〜3重連で列車をはさむようにして連結されました。1963年7月のアプト式廃止まで運用されました。
最大軸重は15.95t、運転整備重量63.36t、1時間定格出力510kw(1時間定格引張力はラック区間14000kg、粘着区間9300kg)、電気方式は直流600Vです。
信越本線横川〜軽井沢間電化75周年(1987 (昭和62)年)を記念して動態復元されました。 |
第三軌条からの集電靴 |
ラックレールに噛み合う「ピニオン」 | 昭和9年製造 |
碓氷線75周年記念で修復されたED42−1が現在、碓氷峠鉄道文化むらに動態保存されており、またED42−2が長野県北佐久郡軽井沢町立東部小学校にも展示されています。ED42の電気方式は直流600Vであるため、動態復元されたED42−1は、現在の直流区間の架線電圧1500Vで運転できるように、車掌車内に抵抗器などを搭載し、ここで降圧して機関車に供給するようにしています。
ED40
1919年国鉄大宮工場で製造された国産初の電気機関車です。もちろん碓氷峠専用のアプト式機関車です。ドイツ・AEG社製のEC40(10000形)をモデルにして開発されたため、主電動機や機関車の構造、性能は良く似ています。
現在、JR東日本・大宮工場に保存されているED40−10は、1947年に東武鉄道に払い下げされ、東武鉄道日光軌道線でほぼ原形に近い形で使われていたものを、1968年国鉄大宮工場で復元されたものです。
最大軸重は15.65t、運転整備重量60.7t、1時間定格出力470kw(1時間定格引張力はラック区間11400kg、粘着区間5700kg)、電気方式は直流600Vです。
EC40(10000形)
1912年に国鉄最初の電化区間である、信越本線横川〜軽井沢間に使うためにドイツ・AEG社で製造・輸入されたアプト式電気機関車です。
3対の動輪をもつ台車は固定式で、動輪は連結棒で中間軸と主電動機の大歯車につながっており、ラックレールに噛み合うピニオン(ラック歯車)は、同じ方式で専用の主電動機と結ばれています。
運転室は輸入時には機関車両端に設置されていましたが、運用をはじめてしばらくしてから横川側のみになり、軽井沢側には蓄電池を搭載しました。集電装置も当初はポールと集電靴を使っていたが、ポールはパンタグラフに変更されました。12両輸入され、1936(昭和11)年4月まで使用されました。
最大軸重は16.38t、運転整備重量46t、1時間定格出力420kw(1時間定格引張力はラック区間11000kg、粘着区間5500kg)、電気方式は直流600Vです。
現在、軽井沢駅前に保存展示されています。
489系特急形交直流電車
189系特急形直流電車
EF63形機関車との協調運転ができるようにした、特急形直流電車。下の電車形式を示す写真にあるように、「・クハ189−505」「・モハ189−2」の表示の最初にある「・」は、信越本線碓氷峠をEF63と協調運転できる車両であることを示す表示です。ここを通過する電車は、横川駅あるいは軽井沢駅に停車時に台車に取り付けられた「空気バネ」の空気を抜いてから、峠を通過しました。これは急勾配での車両間の「座屈現象」を防止するためで、バネが働かない分、ガタガタした振動になり多少乗り心地が悪くなります。峠を下る際(上り列車)には、軽井沢駅停車中に制動試験が行われます。
下の写真は、1999(平成11)年9月14日に、丸山変電所前に展示されていた、EF63形機関車と189系電車が横川駅4番線に戻されたときのものです。碓氷峠専用の補修用500形モーターカーに牽引され、ゆっくり峠を下ってきました。(この時500形モーターカーからブレーキ用圧縮空気がEF63へ供給されていました。)
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
189系の一部は中央本線特急「あずさ」に使われています。 (1999年12月19日・新宿駅) |
169系急行形直流電車
500型モーターカー(碓氷峠専用補修用車両)
おもに信越本線碓氷峠の急勾配区間の保線用に使用された、強力なモーターをもつディーゼル機関車です。現在は2両が「碓氷峠鉄道文化むら」で、展示車両等の入換用に使用されています。下の写真では、EF63形機関車側に連結されている車両が500形モーターカーです。
TMC200B | TMC500A |