産業技術遺産探訪 2013.2. .

東京農業大学「食と農」の博物館

東京都世田谷区上用賀2-4-28

 


企画展「今知られていること、伝えること「タロイモは語る」」
展示期間 2012.10.12.〜2013.3.24.

多様性に富むタロイモの世界を紹介しています。

タロイモ=サトイモ(里芋) サトイモ(学名:Colocasia esculenta)サトイモ科サトイモ属
タロ・・・英語のTaro

約1万年前に始まったとされる農耕の起源に深く関わったイモ型の作物の一つ。
インド東から東南アジア大陸内で栽培化され、熱帯圏を中心に根栽農耕文化を営む民族の食生活を支える主要な食用作物。
日本へは稲作(種子栽培農耕)以前に渡来した栽培作物と考えられている。

食用作物として栽培しているもの 世界・・・169種 日本・・・42種
イモ類 世界・・・42種 日本・・・9種

栽培植物がその地域の起源であるか、それとも導入された植物であるかを判断することは難しい。

タロイモは東南アジア大陸の熱帯雨林地域で栽培化され、熱帯圏を中心に根栽農耕の基盤になった作物の一つで、根栽農耕文化の起源に深く関わると考えられている。
現在でも、タロイモは熱帯や温帯地域で広く栽培され、根栽農耕文化を支えている重要な食用植物で、多様な品種が存在していることが明らかになっている。

山に生えるヤマノイモに対して、里に生えている芋という意味でサトイモ(里芋)という。
サトイモ(里芋)は、イエツキイモ(家芋)、ハタイモ、タイモとも呼ばれている。
古くは「ウモ」で、万葉集には「宇毛」と書かれている。サトイモは「和名抄」(931〜938)に初めて記載されている。

イモ型栽培作物の特徴は、カロリーが高く、栽培面積当たりの生産量が穀類や豆類より高く、主食としての価値が高い作物

タロイモにはジャガイモやサツマイモなどより貯蔵が困難なものが多いという欠点があるが、亜熱帯や熱帯圏では周年の植え付け、収穫が可能である。

人類の食糧を支えてきた多くの伝統的な作物品種は、一度失われてしまうと二度と作ることができない。また、新たな品種を開発するには、品種の多様性が必要になる。伝統的な作物の多様性が無くなっていくことは、人類が蓄積した遺産を失うことであり、人類の共通の財産として持続的に保全し、次の世代に伝えていかなければならない。

参考資料
・「食と農の博物館 展示案内 No.62 今知られていること、伝えること「タロイモは語る」」東京農業大学 食と農の博物館
野菜図鑑「サトイモ」(独立行政法人 農畜産業振興機構)


企画展「古農具展 〜その技と美」
展示期間 2012.10.12.〜2013.3.24.

古農具は、農業の発展に大きく貢献してきた貴重な産業遺産です。
農民や職人による工夫と改良の繰り返しによって、農作業に適した合理的な機能をもち、機能美や造形美を感じさせてくれます。


踏車
人力で水田に水を揚水するためのもので、寛文年間に大阪で作られて各地に広まったとされています。

 
龍骨車(滋賀県近江八幡市)
水田に水を汲み上げる揚水機で、揚水板が龍の骨に似ているので「龍骨車」といいます。実物を初めて見ました。
中国から伝わり江戸時代前期に近畿地方を中心に普及し、昭和30年代まで使用されていました。
揚水板は腐りにくい素材のコウヤマキを使っています。
揚水板が木製のチェーンのようにして連結されています。「機械」の「木偏(きへん)」を象徴するような農具です。

 東京農業大学による農具収集は、1904(明治37)年に東京高等農学校が設置した標本室に始まっています。この標本室は、東京農業大学(1891(明治24)年 徳川育英会育英黌農業科 ->  東京高等農学校 -> 1925(大正14)年 東京農業大学)の創始者である榎本武揚の農業指導者養成の理念に基づき、東京高等農学校の校長であった田中芳男(1838-1916)が標本室を設置したと言われています。これは田中芳男の「農業教育における実学主義の確立では実物情報を持つ標本室と文字情報を有する図書館が一体である」という考え方によるものとされています。
 その後、戦災により全ての農具と動植物標本を焼失し、戦後再び収集が行われ現在に至っています。古農具は現在約4000点を収蔵しており、産業考古学会「日本の産業遺産300選」に選定されています。

東京高等農学校 標本室
東京農業大学 図書館附属標本室
東京農業大学 図書館附属農業資料室
1958(昭和33)年 東京農業大学 醸造博物館 設立(「食と農」の博物館に吸収合併)
東京農業大学 「食と農」の博物館

田中芳男
1838(天保9)年 信濃国飯田(現在の長野県飯田市)に生まれる。
14歳から、伊藤圭介(日本初の理学博士)に医術本草学を学び、1861年に伊藤圭介に従って江戸へ出る。
1862年、蕃書調書物産学出仕役となる。
1866(慶応2)年 幕命によりパリ万国博覧会に派遣
フランスからの帰国後、大阪府舎密局(理化学専門の学校)御用掛となる。
明治維新後
1870年、大学南校出仕
1871年、東京の九段坂上に物産会を開く。
対外博覧会御用掛(事務官)としてウィーン、フィラデルフィアに出張
第1回内国勧業博覧会事務局長
1881年、農商務省農務局長と博物局事務官を兼務、日本の博物館の基礎を築く。
博物館・図書館・動植物園の設置を推進、神苑会の神宮農業館(産業博物館である伊勢神宮の農業館)創設に尽力した。

参考資料
・「食と農の博物館 展示案内 No.63 古農具展〜その技と美」東京農業大学 食と農の博物館
・科学史技術史事典 弘文堂 1983年


農機具データベース(農林水産省)http://www.agropedia.affrc.go.jp/agriknowledge/noukigu
農村などで使われていた農機具類について、名前や作業名などからの検索や画像情報が閲覧することができます。
農林水産省が1978(昭和55)年度から実施した「農林業技術発達関係資料調査収集事業」で、明治時代から100年余りの間に使用された農具類、民具類、写真など約3,800点を収集し、「写真でみる農具民具」「農林業技術発達関係資料目録」としてまとめたもので、これらは農林業技術開発の原点であり、その後のさまざまな農林業技術が開発されています。


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