産業技術遺産探訪 2012.4.29.
きゅう おかや じょうすいどう しゅすいこう
旧 岡谷上水道集水溝
(滝ノ沢湧水集水溝)
国登録有形文化財(第20-0129号 文化庁)
近代化産業遺産(平成19年度 経済産業省)
溝水集 道水上谷岡 工竣月九年二和昭 |
きゅうおかやじょうすいどうしゅすいこう 旧 岡谷上水道集水溝 国登録有形文化財 〜人々の生活を支えた水道施設〜 「おいしい水」が飲めるまで 大正時代、製糸業が最盛期を迎え工業用水や飲料水の 需要が増え、上下水道建設の要望が高まった。そこで 昭和2年 塩嶺山麓の滝ノ沢に集水溝、導入管、受水槽、 分水槽が造られた。 翌3年に給水が開始された。 水を導く特異な構造 正面は切石布積、側壁及び内部アーチ天井はコンクリート 造りで、上部には換気口があるのがわかる。山側壁面の 石積みのすき間から湧水を取り込み、動力を使わずに山の 傾斜を利用した。 思い出深い水道施設 1日1100m3の湧き水を取水した水道施設。 中央道長野線岡谷トンネルの掘削により 水が枯渇して、 昭和63年に使用停止となったが、 現在は宗教法人十五社によって大切に保存されている。 |
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岡谷水道 滝ノ沢湧水集水溝 平野村は大正時代に入り製糸業の隆盛と急激な人口増にともない、飲料水 及び工業用水の需要が高まり、大正8年には上水道敷設のことが論議された。 たまたま大正9年から10年にかけて腸チフスが流行しその原因は飲料水に よるものであることが判明した。 岡谷地区では上水道敷設計画を立て調査中に関東大震災のため中止して しまった。 大正15年になって再び調査を開始、新屋敷、上浜を加え大正15年11月県の 許可を得た。 昭和2年 水源をこの地、滝ノ沢に求め、まず湧水集水溝、導水管、分水井を、 さらに小部沢の丘陵頂上に配水池を築造、その後配水本管敷設を行い、岡谷水道 として昭和3年3月末、給水を開始した。 その後、昭和30年9月1日 岡谷市営上水道へ移管された。 この滝ノ沢湧水は中央自動車道長野線岡谷トンネルの掘削により枯渇し、 昭和63年廃止を余儀なくされた。 この集水溝は日量約1500立方メートルの湧水を取水した水源施設であります。 所有者 宗教法人十五社 |
集水溝上部の換気口 |
集水溝の内部 |
岡谷市街と諏訪湖を見下ろす位置にあります。