産業技術遺産探訪 2006.12.24.

加部安左衛門

1859(安政6)年の横浜開港を契機に横浜弁天通で大店舗を構えていた生糸商

加部安左衛門関係遺跡(東吾妻町指定史跡

群馬県吾妻郡東吾妻町大戸

生家跡(東吾妻町指定史跡


井戸(東吾妻町指定史跡

 1829(文政12)年、吾妻郡大戸村の豪商の家に生まれた加部嘉重は、家督を継ぎ12代目 加部安左衛門(琴堂)とな りました。1859(安政6)年の横浜開港を契機に横浜弁天通へ大きな店舗を構えて、生糸・麻・呉服・茶・雑貨等を外国人へ売り込み、大きな利益を得ていました。
 のち経営を使用人に任せた(幼少から才能を発揮していた俳句に打ち込んだためと言われている)ため、経営不振となり、1864(元治元)年に事業から撤退、横浜の店舗を閉めて郷里の大戸へ戻りました。1894(明治27)年歿。商売は13代目 加部安左衛門となった孝重が1874(明治7)年まで続けていました。
 現在、加部安左衛門の生家跡の一部と墓(大運寺)が残されています。


 大運寺は天正年間に大戸村寺原から現在地に移りました。
 当時、上州の三大尽の一人と言われた富豪で大戸出身の加部安左衛門の寄進によって、大運寺は荘厳な寺観となりました。
 当時の本堂と庫裡は、平成2年2月に発生した火災によって焼失してしまいました。現在の本堂は平成6年に再建されたものです。
 加部家の墓地が大運寺にあります。              


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