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信越線 碓氷峠
災害・事故


1950(昭和25)年6月8〜9日 熊ノ平駅構内 土砂崩壊

 1950(昭和25)年、熊ノ平駅構内で6月8日に土砂崩壊が発生し、その復旧作業中の6月9日に再度土砂崩壊が発生して熊ノ平駅舎、鉄道官舎等が埋没しました。懸命な救助が行われましたが、鉄道員および鉄道官舎に住んでいた方々約50名の尊い命が失われました。
 碓氷線が復旧したのは6月23日でした。


熊ノ平殉難碑
昭和25年6月9日朝、この静かな碓氷の山峡に山崩れが起きて作業中の職員と家族を一瞬にして埋め去りました。
鐵道の安全を守って犠牲となられた五十のみたまに、ゆき交う人々と共に哀悼を捧げたいと思います。
日本国有鐵道總裁 加賀山之雄

 この殉難碑は昭和25年6月9日早朝、突如として山くずれが起こり、一瞬にして埋め去れれた職員と家族の五十のみたまを末長くまつるため、全国の国鉄職員から寄せられた浄財で設立されたものであります。
 設立当時は線路の反対側にありましたので、参拝するためには線路を横断しなければならず、危険かつ不便なので、昭和43年12月現在地に移設しました。
 しかしながら現在のみたまには雨雪にさらされ誠に忍びない状態にありますので、今回ささやかながら霊堂を建立して、みたまをおなぐさめ申し上げることにした次第であります。
 昭和44年11月 高崎鉄道管理局


1975(昭和50)年10月28日 回送電気機関車 脱線転覆事故

 1975(昭和50)年10月28日 6時16分、上り(軽井沢→横川) 5462単機列車(電気機関車4両編成回送列車:EF63×2+EF62×2)が第1隧道内で暴走し、高崎起点32.9km付近で脱線後、約40mにわたって線路路盤上を逸走し、転覆しました。この事故で乗務員3名が重軽傷を負い、EF63−5、EF63−9、EF62−12、EF62−35の4両の電気機関車が11月29日に廃車となりました。
 この事故をきっかけとして、1976(昭和51)年4月からEF63に「加速度検知装置(OSR)」を搭載するための改造が実施されることになりました。
 また、事故廃車の補充用としてEF63−24、EF63−25が新製され横川機関区に配置されました。


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