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信越本線 横川駅
旧・跨線橋(橋脚)

鋳鉄製
製造年 1907(明治40)年
製造所 鉄道作業局 新橋工場

日本の鉄骨構造の黎明期における貴重な鉄道遺構の一部

日本工業大学工業技術博物館(埼玉県宮代町)/碓氷峠鉄道文化むら(群馬県碓氷郡松井田町横川)

 この橋脚は、信越本線横川駅跨線橋の橋脚として使用されていたものの一部で、1911(明治44)年から1985(昭和60)年3月に撤去されるまで約74年にわたって使用されていたものです。

 跨線橋の軸組は、国産の鋳鉄柱を使用し、外壁および小屋組には、奈良の東大寺・大仏殿が明治時代の改修に使用した英国製T形鋼(CLIFF)およびL形鋼(HALLSIDE)と同じ材料を混用した鋼構造で、停車場内に跨線橋の定規が制定される(1909(明治42)年10月9日)以前の跨線橋です。 

 鋳鉄製の銘板は、1本は「鉄作新橋」(鉄道作業局新橋工場)、他の柱には「鉄道新橋」(帝国鉄道庁新橋工場)との混用で、官制の変遷期に製造したことを物語っています。


「碓氷峠鉄道文化むら」に保存・展示(2カ所)されているもの


 日本工業大学・工業技術博物館(埼玉県宮代町)には、信越本線横川駅で開業当時に架設されていた跨線橋の脚柱(鋳鉄柱)が博物館前に保存展示されています。

 この骨組は、フランス・パリ市のレ・アル(旧中央市場)に使用されていた鋳鉄構造部材と旧横川駅跨線橋の脚柱4本を組み合わせた鋳鉄フレームになっています。

 鋳鉄フレームの四隅の柱は、信越本線横川駅構内に架設されていた跨線橋の脚柱で、日本工業大学・工業技術博物館が日本国有鉄道から譲り受けたものです。
 脚柱の下部には「鐵道新橋明四十」と記した銘板があり、JR(国鉄)の前身である「帝国鉄道庁」時代(明治40年4月1日開庁、翌年11月5日に逓信省鉄道局と統合されて鉄道院となる)に、新橋工場で製造されたことを示しています。
 跨線橋は柱の部分に国産の鋳鉄柱を使用し、橋梁トラスなどの他の部材は全てイギリスからの輸入鋼材を用いてあり、停車場内の跨線橋に関する規定ができる(明治42年10月9日)以前の日本の鉄骨構造の黎明期における貴重な鉄道遺構の一部です。  


備考
1897(明治30)年8月18日 鉄道作業局・新橋工場が設置される。
1907(明治40)年4月1日 鉄道作業局が廃止され、帝国鉄道庁が開庁する。
1908(明治41)年12月5日 逓信省鉄道局および帝国鉄道庁が廃止され、鉄道員が開院する。


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