産業技術遺産探訪 2013.4.1.|4.14.
日本鋼管鉱業株式会社専用側線(太子線)・国鉄 長野原線
太子線 鉄道施設
長野原駅〜太子駅間の5.8km
群馬県吾妻郡中之条町太子(おおし)〜中之条町日影〜吾妻郡長野原町長野原
太子駅跡
2013年3月から旧 太子(おおし)駅周辺に残る産業遺産の整備が始まっています。
鉄鉱石を貨車に積み込むための施設(ホッパー)の基部、ホームの石積み、線路止めなどが残っています。
群馬鉄山の創立と太子線の開通 昔から吾妻川は、河原の石までも赤く染めて流れていました。この流れの源が、鉄山です。群馬鉄山は、ここ太子駅から北北西、直線距離にして約8km、中之条町大字入山字元山地区(現在のチャツボミゴケ公園)に位置し、ここに国内随一の褐鉄鉱鉱床がありました。 太平洋戦争末期、戦局の悪化に伴う輸入鉄鉱石の減少から、国内鉄鉱石増産の要請があり、昭和18年6月、この地方の鉱業権を取得した日本鋼管株式会社が、国の命令を受け鉱山開発を行いました。この鉄鉱石を京浜地域に輸送するため、突貫工事により敷設されたのが長野原線(渋川〜長野原間の42km)と、日本鋼管鉱業株式会社専用側線の通称「太子線」(長野原〜太子間の5.8km)です。 開通は昭和20年1月2日、大雪の中、太子駅より鉄鉱石が初出荷されましたが、すでに戦況は悪化し、米軍の空襲により交通機関は寸断され、思うような出荷が出来ないうちに終戦を迎えました。 なお、群馬鉄山から太子駅までは、索道(空中ケーブル)により鉄鉱石が運搬されていました。 戦後の太子線 終戦後、群馬鉄山は事業を再開し、鉄鉱石は日本の復興に役立てられました。太子駅は引き続き貨物専門の駅でしたが、昭和29年6月に当時の六合村村民の願いが叶って客車乗り入れが実現し、通勤、通学、観光等の足として利用されるようになりました。 ところが昭和40年に群馬鉄山が閉山され、昭和42年、長野原線は電化されましたが太子線は電化されず、唯一の駅である太子駅は無人駅に指定されました。 太子線の利用客は日に日に減少して、全国でも指折りの赤字路線となったため、「先祖伝来の田畑を提供し、勤労奉仕の血と汗で築いた太子線を残してほしい」という地元住民の願いもむなしく、昭和45年11月1日営業休止となり、昭和46年5月1日、ついに営業廃止となりました。 今でも、鉄鉱石を貨車に積み込むための施設(ホッパー)の基部、ホームの石積み、線路止めなどが、戦争中から戦後にかけての歴史の証人のように残されています。 「太子線の歴史」 昭和17年10月1日 吾妻線建設工事施工のため、東京地方施設部 渋川、小野上、中之条 各工事区新設。 昭和20年1月2日 鉄鉱石輸送開始。長野原線開通、貨物運送営業開始。 昭和27年10月1日 長野原〜太子間が国鉄に編入。長野原線が「渋川〜長野原間」から「渋川〜太子間」に改められる。 昭和29年6月21日 長野原〜太子間 旅客営業開始。 昭和45年11月1日 長野原〜太子間 営業休止。 昭和46年5月1日 長野原〜太子間 営業廃止。 (おもな写真) 群馬鉄山(現 チャツボミゴケ公園) 索道(空中ケーブル)による運搬 太子駅の様子 |
愛宕橋梁
「愛宕橋梁」と「第二愛宕隧道」
愛宕橋梁の鉄橋には「渋川起点46K78」(渋川駅を起点として46.78km)の表示が残っています。
第二愛宕隧道
太子駅側 手前が「愛宕橋梁」 |
長野原駅側 |
この付近は道路として整備されており通行が可能です。
第一愛宕隧道
第一愛宕ずい道
自46K179M78
至46K235M28
型式 2号型
延長 55M50
太子駅側 | 長野原駅側 |
「第一愛宕隧道」と「第二愛宕隧道」の間には、このような立派な石積みの壁が残っています。
手前の道路は、旧 太子線が通っていたところです。
正面の集落は、赤岩地区養蚕農家群(群馬県中之条町大字赤岩)で、国の「六合赤岩重要伝統的建造物群保存地区」に選定されています。
この隧道(トンネル)のところで通行止めになっています。トンネル内は途中から土砂で埋まっています。 群馬県吾妻郡中之条町日影 |
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隧道(トンネル)の南側 群馬県吾妻郡中之条町日影 |
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白砂川橋梁
左側の橋台と中央の橋脚基部には当時の石積みを見ることが出来ます。 | 右側遠方の橋梁はJR吾妻線「須川橋梁」 この橋梁の先に長野原駅(現在の長野原草津口駅)があります。 |
参考資料
・IV 鉄 群馬鉄山の消長
「産業遺産を訪ねる 下 ぐんまの産業史・その光と影」(上州路選書)あさを社 1987年 P.48〜60
・六合村誌
・群馬鉄山小史
・日本鋼管鉱業株式会社 社内報 144号
・旧長野原線 長野原〜太子 京浜工業地帯へ続く産業路線だった
宮脇俊三 編著「鉄道廃線跡を歩く 失われた鉄道実地踏査60」(JTBキャンブックス)JTB 日本交通公社出版事業局 1995年 P.62〜63