産業技術遺産探訪 2006.10.15.|2010.7.24.|2010.7.25.|2010.8.1.|2013.5.19.

山形県内に現存する明治時代の石橋群

 薩摩藩出身で、初代山形県令「三島通庸(みちつね)」の政策により山形の石橋は建設されはじめました。九州地方は肥後の石工をはじめとする架橋技術によって、多数の石橋が建設されています。このことが、山形での石橋の建設に影響を与えています。また、薩摩出身の山形県土木技官である奥野忠蔵も石橋を設計しています。(瀧ノ岩橋、瀧ノ小橋、吉田橋、綱取橋、常磐橋など)
 初代県令の三島通庸は、県内の幹線道路や隣接する各県へつながる道路網を整備するために石橋(アーチ橋)や隧道(トンネル)、洞門などの建設を推進したため、現在でも数多くの建造物が現存しており、貴重な土木遺産となっています。(栗子隧道(米沢市)、関山隧道(東根市)、片洞門(小国町)、石橋群など)


山形県に架設された石造アーチ橋石(拱橋、眼鏡橋)は21橋と言われています。現存するもの13橋。8橋は撤去または流出しています。

新井田橋 山形県酒田市 1890(明治23)年竣工 1955(昭和30)年撤去

萬代橋 山形県最上郡真室川町及位 1881(明治14)年竣工 1975(昭和50)年撤去

大泉橋 山形県鶴岡市 1888(明治21)年竣工 1930(昭和5)年撤去

幾代橋 山形県村山市岩野 1889(明治22)年竣工

土生田橋 山形県村山市土生田 1879(明治12)年竣工 1960(昭和35)年撤去

多嘉橋 山形県天童市本町 1887(明治20)年竣工   1976(昭和51)年に明治村(愛知県犬山市)へ移築

太鼓橋 山形県山形市鉄砲町 1879(明治12)年竣工

常磐橋 山形県山形市坂巻 1878(明治11)年竣工 1890(明治23)年流失

中山橋 山形県上山市中山 1878(明治11)年竣工   上山市指定文化財

堅磐橋 山形県上山市川口 1878(明治11)年竣工   上山市指定文化財

新橋 山形県上山市楢下 1880(明治13)年竣工   上山市指定文化財

覗橋 山形県上山市楢下 1882(明治15)年竣工   上山市指定文化財

吉田橋 山形県南陽市小岩沢 1880(明治13)年竣工   南陽市指定文化財

小巌橋(蛇橋) 山形県南陽市小岩沢 1881(明治14)年竣工

康寿橋 山形県南陽市赤湯 明治末期?竣工年代不詳

幸橋 山形県東置賜郡高畠町幸町 1879(明治12)年竣工

九十九橋 山形県東置賜郡高畠町夏茂 1879(明治12)年竣工 撤去年不明

舞鶴橋 山形県米沢市丸の内 1882(明治15)年竣工   国登録有形文化財

瀧ノ岩橋 山形県米沢市万世町 1878(明治11)年竣工 1907(明治40)年撤去

瀧ノ小橋 山形県米沢市万世町 1878(明治11)年竣工 1907(明治40)年撤去

綱取橋 山形県西置賜郡小国町綱木 1881(明治14)年竣工


山形県内に現存する明治時代の石橋群


舞鶴橋 山形県米沢市丸の内1丁目 1882(明治15)年竣工   国登録有形文化財

舞鶴橋 まいづるばし
米沢城本丸跡の堀に架かるアーチ式の石橋で、上杉神社の参道として明治19年に作られたもの。江戸時代は米沢城の正面にあたり、木製の太鼓橋が架けられていた。舞鶴橋の名称は米沢城の別称「舞鶴城」に由来する。平成10年に国の登録有形文化財に指定された。
米沢市

多嘉橋 山形県天童市本町 1887(明治20)年竣工   1976(昭和51)年に明治村(愛知県犬山市)移築

天童眼鏡橋(てんどう めがねばし)
登録有形文化財
旧所在地 山形県天童市倉津川
建設年 明治20年
解体年 昭和45年
移築年 昭和51年
長さ/幅 約13.3m/約7.7m
構造 石造二連アーチ橋
寄贈者 建設省東北地方建設局

天童眼鏡橋は現在の天童市内、旧国道が倉津川を渡るところに架けられた「多嘉橋(たかはし)」である。それまで木橋であったものを、国道の交通量が多くなったために石橋に架け替えたのである。石材には天童附近に産する山寺石(やまでらいし)が使われている。
この橋は石造アーチ橋の典型であり、半円が水面に映じて真円となる姿から眼鏡橋と呼ばれた。石造アーチ型の橋は江戸時代には長崎で盛んに設置された。この山形県のものは西洋直伝の形である。

幾代橋 山形県村山市大字岩野 千座川 1889(明治22)年竣工

岩根の石橋(通称 めがね橋  橋名 幾代(いくよ)橋)
明治期に入ると県内にアーチ式の石橋が数多くかけられた。これは、初代県令 三島通庸(みちつね)の道路開削政策によるものが大半です。
熊野神社境内にある<岩野記念碑>には「千座川橋ク、石ヲ踏ミ徒歩(かちゆ)ク、淫雨一(ながあめひと)タビ至レバ則(すなわ)チ人行全ク絶ユ、是ニ新道開削之議有リ。二十一年十一月起工、翌年八月成ル。・・・川ニ則チ架橋シ・・・」と建造当時の様子が刻まれている。
岩野は山村にして耕地が少ない。里民は山の恵みに依るところ大きく、村を挙げての大事業であったことが文献からもうかがわれる。
○ 請負金額 81円 <20円・30円・31円の三分割>
○ 人夫 200人。但し村方より出人夫のこと
○ 世話掛総代として村の主だった11名をげ、請負者には、石工 渡辺源太郎の名がある。
○ 橋長、四軒半。幅、八尺。高さ、三丈。
上部が木造であったため、永久橋にの思いで1963年(昭和38年)秋、鉄筋コンクリート造りに補強工事が行われている。
県内の現存する「十一橋の石橋」のなかで、地元の資金と技術で架けられた唯一のものであり、貴重な明治の文化遺産として、後世に伝えたい。
平成16年(2004年)9月
岩野の石橋を守る会

岩野記念碑 大正15年4月

太鼓橋 山形県山形市鉄砲町2丁目 光禅寺境内 1879(明治12)年竣工


堅磐橋(かきわばし) 山形県上山市川口 1878(明治11)年竣工   上山市指定文化財

(川口の眼鏡橋)

上山市指定文化財(昭和50年7月24日指定)
堅磐橋(かきわばし)
山形県令 三島通庸 の道路開さくと整備の積極的政策により、山形から米沢に通ずる国道の川口部落南端の前川に架橋された。当時としては珍らしい石の橋である。石材は同橋上流山手の採石場と、同河川からも採取された凝灰岩で、明治11年1月着工、同3月竣功している。橋長14.30メートル、幅員6.60メートル、アーチの高さ約3.1メートル、河床部での径は約5.6メートルで河床中央に立つ橋脚から、それぞれ左右の河岸にまたがるアーチ式に架橋されている。
市内には現在4橋の石橋が市文化財として残されているが、2連のアーチを持った眼鏡橋はこれだけであり、今は旧道となり公道から外されてはいるが、貴重な文化遺産として保存されているものである。
上山市教育委員会

中山橋 山形県上山市中山 1878(明治11)年竣工   上山市指定文化財

上山市指定文化財(昭和52年12月28日指定)
中山橋(なかやまばし)
中山橋は中山地内を走る国道が、カラジュク川を横切る所に架けられたアーチ式の石橋で、親柱には「奈可やまはし」と陰刻されている。この石材は中山石と言われる凝灰岩で、工事は明治13年に竣功している。この年は山形県令 三島通庸によって、栗子山にトンネルが掘られ苅安新道が開通した年でもあり、これと関連があったものと考えられる。
橋の長さ11.3メートル、全幅6.7メートル、アーチの高さ4.35メートル、川床部での径は5.85メートルでアーチの部分を構成する石組みは二重になっており、その上に積まれた石の層も厚く極めて堅牢に造られている。後世一部補強はされているが、明治初期の洋風土木技術の結実した貴重な文化遺産として保存されているものである。
上山市教育委員会

覗橋(のぞきばし) 山形県上山市楢下 1882(明治15)年竣工   上山市指定文化財

上山市指定文化財(昭和51年7月21日指定)
覗橋(のぞきばし)
覗橋は上流の新橋が架橋された翌々年の、明治15年に石の橋に掛け替えられた。新橋とともにいつ頃からこれらの橋があったかは定かでないが、金山峠を通る街道が楢下宿駅以前からあったとすると、かなり前から造られていたと推定されるが、木橋であったため洪水により何回となく流された記録が残されており、その苦労の程をしのばせている。
今に文化財として残されているこの石橋は西洋の土木技術を取り入れたもので、橋脚がないため村民達は不安だと仲々渡らなかったと言う話が伝えられている。橋長10.8メートル、全幅3.5メートル、アーチの高さ約3.83メートル、川床部の径約8.44メートルのアーチ式石橋で、新橋同様大門石と言われる凝灰岩で築造されている。
上山市教育委員会

新橋 山形県上山市楢下 1880(明治13)年竣工   上山市指定文化財

上山市指定文化財(昭和51年7月21日指定)
新橋(しんばし)
 新橋は通称 新町めがね橋 と呼ばれ、新町から下町に通ずる間を流れる金山川に架けられた、アーチ式の石橋である。昔は木橋であり洪水のため しばしば流失したので、その都度の修理・架け替えは大変な苦労であった。
 明治初期に三島通庸が県令になると西洋の土木技術が導入され、石の橋が架けられるようになった。この橋がそれであり、県から三百円を下附金として補助され、残り七百円余は地元が立替えて架けている。この金を通行する人・人力車・荷車等から橋銭として特に徴収したと言う珍らしい橋でもある。明治13年8月に竣功し、橋長14.7メートル、全幅4.4メートル、アーチの高さ約4.4メートル、川床部の径約12メートル。石材は大門石と呼ばれる凝灰岩を用いている。
上山市教育委員会

吉田橋 山形県南陽市小岩沢字静御前 前川 1880(明治13)年竣工   南陽市指定文化財

第三羽州街道踏切

南陽市指定文化財(建造物の部)
よしだばし
吉田橋
YOSHIDA BASHI

所在 南陽市小岩沢字静御前
指定 1968年10月4日
所有者 山形県(管理者:置賜総合支庁道路計画課)

明治13年(西暦1880年)に前川(まえかわ)に架けられた、石造りの眼鏡橋(アーチ型橋)である。初代 山形県令の三島通庸(みしま みちつね)が命じた土木工事の一つで、発足時の山形県の道路事業や、橋作り技術を伝えるものとして貴重である。地元の名工、石工の吉田善之助(よしだ ぜんのすけ)により造られたことから、吉田橋と名付けられた。

解説
吉田橋:長さ約12.6m(7間)、高さ約8.8m、幅は約7.2m(4間)。下部はアーチ型(眼鏡型)、上部は両端に飾り石を配した欄干と、和洋折衷様式である。当時県内に造られた橋65か所の内11か所がアーチ型であるが、市内には吉田橋と小岩沢地内の「小巌橋(こいわばし)」(通称:蛇(じゃ)橋)が残っている。
県令:現在の知事にほぼ相当する職名。
三島通庸(みしま みちつね):天保6年(西暦1835年:江戸時代)生-明治21年(西暦1888年)没。鹿児島県出身。山形県令として在任中の明治9年(西暦1876年)から同15年(西暦1882年)の間に、山形県の発展のため、県内の縦貫道路の整備や土木工事を強くすすめた。
吉田善之助:天保9年(西暦1838年:江戸時代)生-明治42年(西暦1909年)没。現在の南陽市宮内出身。代々続いた石工(いしく)(石を加工したり組み立てたりする職人)の家に生まれ、名工と称せられた。三島県令の在任中に、請負師として橋・トンネル等多くの土木工事に関わった。
2001年11月
南陽市教育委員会

小巌橋(蛇橋) 山形県南陽市小岩沢 1881(明治14)年竣工


康寿橋 山形県南陽市赤湯 明治末期?竣工年代不詳

康寿橋(こうじゅばし)
KOUJYUBASI
明治時代につくられた洋風石造アーチ橋で、めがね橋の愛称で親しまれています。
市指定文化財「吉田橋」や「石造大鳥居」をつくった名石工 吉田善之助の弟子である川合兄弟の作で、御神坂の石段や石塀なども同じ頃につくられました。近代の洋風技術の導入をしるうえで貴重なものです。

「石造大鳥居」(烏帽子山八幡神社境内)吉田善之助
山形県南陽市赤湯

継目なし石造り
日本一の大鳥居

南陽市指定文化財(建造物の部)
せきぞうおおとりい
SEKIZO OTORII
所在 南陽市赤湯字烏帽子石(えぼしいし)一
指定 2002年3月25日
所有者 烏帽子山八幡宮(えぼしやまはちまんぐう)
明治36年(西暦1903年:明治時代)に作られた鳥居で、高さ10.75mと国内でも有数の規模である。特に柱石は、この大きさとしては全国的にも珍しい、継ぎ目のない一本のものである。石材は、当神社北裏の山から切り出され、石工の吉田善之助(よしだ ぜんのすけ)により造られてから、建師(ひきし)の市川良次(いちかわ りょうじ)により建てられた。当時のすぐれた技術を伝えるものとして貴重である。

解説
石造大鳥居:柱間(はしらま)7.65m、笠木(かさぎ)長さ12.7mである。このような大規模の鳥居を建てた当時の技術を伝えるものとして名高い。この鳥居の注連縄(しめなわ)は重さ約300kgで、毎年4月18日に架け替えられる。
吉田善之助(よしだ ぜんのすけ):現在の南陽市宮内(みやうち)出身で、代々続いた石工(主に石を加工する職人)の家に生まれた。名工と称せられ、吉田橋やトンネル等多くの土木工事に関わった。
市川良次(いちかわ りょうじ):現在の南陽市沖郷(おきごう)出身で、名建師(ひきし)と言われた。斜面という建てることが難しい場所に、優れたわざを用いて鳥居を建てた。
建師(ひきし):鳶職(とびしょく)・曳き屋(家)職等を、かつて当地方ではこのように呼んだと言われている。
2003年3月
南陽市教育委員会

大鳥居(おおとりい)
この石の大鳥居は、明治35年から翌36年にかけて製作建立したもので、赤湯町民一丸となっての大事業であった。石材は当八幡宮裏から割出した凝灰岩である。
この鳥居建立は、当時の技術から容易ならぬ難工事であったが石工 吉田善之助と建師 市川良次 両氏の力によって完工した継目なしの石鳥居としては日本一大きい貴重な文化財である。

総高 10.75m
笠石 12.7m
貫石(柱石中心から)間の長さ7.65メートル
総経費(米1俵6円の時)1560円18銭9厘

烏帽子山八幡宮


幸橋 山形県東置賜郡高畠町幸町 1879(明治12)年竣工

幸橋(さいわいばし)
明治12(1879)年、二の堰に架けられたアーチ型の石橋は高畠石で造られ、町で唯一現存し、120年もの星霜を経たこの橋のたもとには、かつて洗い場と鯉の生簀(いけす)があり水神が祀られ町民に親しまれてきた。
平成10年度、まほろば通りの整備拡張工事に伴い、欄干部を除くアーチ部分は元の素材をそのまま使い、明治時代の面影を残して復元された。
平成15年3月 高畠町文化財保護会

綱取橋 山形県西置賜郡小国町大字綱木箱口 1881(明治14)年竣工

橋長 約27m 橋幅 約4.5m スパン 約16m 拱矢 約8m
設計 奥野忠蔵
石工 片岡孫兵衛 吉田善之助

綱取橋

小国新道(置賜地方と新潟県を結ぶ)の桜川渓谷にあり、綱取橋がある。地元の石工である吉田善之助が工事の中心となって建設された。付近には「片洞門」がある。

片洞門   山形県西置賜郡小国町綱木箱口

山形県西置賜郡小国町のWebサイトで、供用されていた当時の「綱取橋」「片洞門」などの写真が掲載されている。
綱取橋  ・片洞門  ・国鉄 米坂線 落石止擁壁の踏切と片洞門付近(落石止擁壁は昭和39年9月2日竣工)


山形の近代化産業遺産群(山形県商工観光部産業政策課)


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